第三十二話 《ノアビヨンド》

 《プシュケロス》たちを全滅させた《アルクシェル》に握られたまま、ロウとシルバリオンはずっと空の上にいた。

 アカデミー上空を出るときは普通の飛行機が出している速度、時速八百キロはあろうかという速度で、ロウは生命の危機に瀕していた。ので、鼻水を垂らしながら必死に《アルクシェル》の頭部に向かって叫んでいた。必死に抗議をしていると、彼女は聞き入れてくれて、速度をだいぶ落として、今は車ほどの速度になっている。

 ゆっくりと足元の景色が流れるのを見ながら、一時間ほど経過しただろうか。

 景色は街から空へと変わった。

 空中都市シグマデルタの境目の壁を悠々と乗り越え、ロウは「あ……」と感嘆の声を上げて背後を振り返った。


「外に出た……」


 半球状の空中庭園に乗せられたビル群を見ながら、何ともいえない感動が胸に湧き上がってきた。あのビルの中にポツンと自分はいて、そこから必死に出ようともがいてた。

 その瞬間が、ようやく来た。

 そして、段々と高度が下がっていく。《アルクシェル》が本当のエデンの大地へと高度を下げて行っているのだ。

 ようやく地上をこの足で踏みしめることができると、こっそり嬉しくなったが、何か忘れていることがあるような気がした。

 シグマデルタの上空から、ジェット噴射させている赤い鉄鳥がこちらへ向かってくる。


「キティが来ていますな。追っ手もある程度は片付けたのでしょう」


 反対側の手に握られたシルバリオンが言う。

 ロウは何のためにキティの……『エリクシル』の力を借りようとしたのだろう……。

 それを思い出していた。


「……フレイアッ! そうだ。まだ戻るわけにはいかない。イフ! すぐに戻ってくれ! 仲間が捕まったままなんだ!」

「何を馬鹿なことを言うのです⁉ せっかく脱出したのに、捕まりに行くのですか⁉」


 シルバリオンが体を揺らして抗議する。


「――――」


 《アルクシェル》の目が僕に向けられる。その口は開かず、ただじっと見つめられた。

 僕はシグマデルタを指さす。


「あそこには僕の仲間が捉えられているんだ……【調律機関】に! 助けて欲しい」

『ダメだ』


 スピーカーから響くキティの鋭い声。

 《パッションコード》が《アルクシェル》に追いつき、横に並んでいた。


『このまま地上に降りるんだ。シグマデルタに戻るのはリスクがでかすぎる』

「キティ! あそこには僕の仲間が……ッ!」

『仲間は俺たちだろ。ユーリ・ボイジャー』

「………ッ!」


 ブツッという音が響き、キティが通信を切った。彼女の顔は見ることができないが、非常に冷たい声色だった。

 《アルクシェル》がゆっくりと地上へ向けて降下していく。

 シグマデルタの街はすでにはるか頭上へ。

 ロウたち暮らしていた町はもう天上の都市となっていった。そして、フレイアとの距離も離れていく。彼女はまだ捕まったままだというのに……。


「フレイア……」


 ロウの呟きは雲の中に入って掻き消えていった。

 暗い雲の中を《アルクシェル》は降下していく。雷の閃光がきらめき、逆側の手に握られているシルバリオンは「うわっ」と声を上げたが、これからどうなるか、どうするか不安に満ちていたロウは特に気も止めることはなかった。


『見えてきたぞ』


 下方から……雲の向こう側からキティの声がスピーカーで響く。

 雲が晴れる。黄色い、黄金に輝く砂漠が広がっていた。

初めて見る、大地だった。


『あれが俺たちの船。《ノアビヨンド》だ』


 その上に浮かぶ白い細長い空中船が浮かんでいた。傷一つない外装に日の光が当たり、輝く……。

『あれが、俺たちの母艦。そして、『エリクシル』の本拠地だ』

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