第二十六話 ロウ、イフと出会う

 時間が、少し巻き戻る。

 僕は屋上に出ると、上空を浮遊している《プシュケロス》に目を見張った。


「《AF》まで出してきたか……こりゃやばいな……」


 ここを落ち合う場所にしたのは失敗だったかもしれない。

 三機の《プシュケロス》は校舎を見下ろして、明らかにこちらの様子を探っていた。


「キティ、騒ぎを大きくしすぎだよ」


 打ち合わせの場所を変えるか、と携帯を取り出した瞬間だった。

 一陣の風が吹いた。

 ヒュオウッと、強烈な風に吹かれて、シルクハットが飛ばされないように手で抑える。

 もしかして、と風が吹いた先を見つめる。

 わずか、ほんのわずかに雲が揺れた。

 陽炎のような揺らめき――――光学迷彩を使っているのだろう。巨大な戦闘機のような影が見える。


「《パッションコード》が来たか……」


 指をこめかみにあてて思考を巡らせる。

 コートのポケットに入れた虹の腕輪を握りしめる。

 これを渡して、《パッションコード》に救出してもらう。あの《AF》の目的はイフ・イブセレスの保護だ。この屋上にイフ・イブセレスがいるのなら、下手に攻撃できないだろう。

 その隙をついて、《パッションコード》に都市軍AFを撃墜してもらえば、何とか切り抜けられるかもしれない。


「そうだな。このままでいこう……あんたならどう考えるかな」


 鞄から持ってきた『ジェミニスター物語』を見つめる。

 学生鞄は教室に置きっぱなし。もうあの教室に戻るつもりはないので、置いてきたのだ。この本も置きっぱなしにしても良かったのだが、何となく持ってきてしまった。

 これがイフ・イブセレスと、本物のユーリ・ボイジャーとの絆の証のような気がして。

 ヒュオウッ……! と再び強い風が吹き、本が飛ばされそうになる。

 《パッションコード》が位置を変えたのか―――『ジェミニスター物語』を懐にしまった。。

 再びシルクハットを押さえると、手首に何か金属が当たっている。


「何だこれ?」


 エメラルドグリーンのコート、その右側の袖の内側になにかある。

 金属に縁どられたボタンが付いていた。

 どうして服の内側にボタンが……と、思ったが、何が起きるかわからなかったので押すのはやめておいた。

 秘密組織のトップが来ているコートに謎のボタンが付いている。その用途は? 

 と、落語のお題が作れそうなものだが、ユーモアの足りないロウの頭で考えつくのは緊急脱出用のジェットが服の裏側に仕込んであり、それの作動ボタンだとか、手に武器がなくなった時、ミサイルが服に仕込んであり、それの発射ボタンだとか、昔の映画で見たようなモノしか思いつかない。

 最悪な想像は自爆装置だ。イフと出会って物語が始まる前から自爆して死ぬなんて、間抜けすぎるのでもうボタンを押さないように気を付ける。

 突然、屋上の扉が開く。


 来たのか。


 イフ・イブセレスが―――!


 ロウは一つ咳払いをして、彼女と会った時に言おうと用意していたセリフを頭の中で暗唱し、扉を開けた女性へ向けて声を張り上げた。


「ようこそ! イフ・イブセレス! 始まりの場所へ!」


 これから幻想的な冒険の船出。その始まりに相応しいセリフ。

 ロウは自信たっぷりに言い放ったが、視界に入ったのはピンク色の髪だった。


「………あ?」


 キティ・ローズだった。

 扉を開けて屋上に出たのは彼女しかおらず、バカを見るような目をして首を傾げた。


 焦りすぎた――――。


 熱が顔に集まり、赤くなっているのが分かる。


「……ッぷ!」


 キティは僕が早とちりして決め台詞を言ってしまったと悟り、笑いだしそうになる。

 だが、最後の理性で笑い袋になるのを踏み留め、頬を膨らましたまま横に移動した。

 わかるよ、わかるよ……焦っちゃうその気持ち。

 キティがうんうんと頷き、同情を込めた視線で、そんなことを言っているような気がした。

 扉の向こうで銀髪の髪が見え始める。

 階段をだんだん上がっているようだ。階段の端から揺れてひょっこりと上がってくる。

 気を取り直そう。

 とりあえず、気持ちを切り替えるために帽子のつばで顔を隠す。


「ユーリ……ボイジャーさんですか?」


 イフの声が聞こえた。

 図書室で聞いた声と同じ声だった。

 ロウは気持ちを完全に切り替えて、顔を上げた。


「初めまして、イフ・イブセレス。僕がユーリ・ボイジャー。タイムトラベラー……だ」


 切り替えられなかった。先ほどの失敗が後を引き、若干心が折れかけ、言葉がしぼんでいく。

 出鼻をくじかれてこれからどうするのか、プランが全く浮かばない。真っ白になってしまった。

 だけど、やりきらねばならないと、イフを見つめた。


「あなたは人間なの?」


 彼女は首を傾げてそんなことを聞いてきた。

 その言葉で、頭が回った。

 それで、ロウの中でユーリ・ボイジャーの設定が肉を付けて、頭が回る。

 嘘が次々と思いつく。

 その嘘のファクターが糸で結ばれ、固く、嘘で塗り固めたユーリ・ボイジャーが創り上げられていく。

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