第二十話 イフ、逃げる。

「ハァ~……」


 学生証をどうやって返してもらおう……。

 イフは周囲に立つ四人の男子生徒を見る。

 こいつらがいる限り、一人になれそうにない。


「大丈夫ですか? イフ様、何か悩み事でも?」


 イフがため息をつくとすかさずイーグルが顔色を窺ってくる。


「いえ、別に何でも……」


 何を言っても無駄だと顔を逸らす。

 その先にいたクラスメイトの女子と目が合う。


「……あっ」


 彼女たちは私と目が合うと、襲えれるように目を逸らすばかりか、逃げるようにクラスから出ていった。


 いつもこんな感じだ。


 イーグルたち以外のクラスメイトは遠巻きに見つめて触れ合おうとしない。話しかけて来ようともしない。

 エデンに来たばかりのころはこんな感じじゃなかった。


 この学校に転入した初日に、赤毛の女の子が私に話しかけてきた。彼女は気さくでまだエデンに来て、右も左も分からなかったイフに学校や、シグマデルタの街を案内してくれた。そのことはすぐに友達になった。

 それから一週間、その子の家に行って遊ぶだけ遊んだ。一緒にゲームをやったり、喫茶店に行ったりして、エデンでできた初めての友達とはしゃぎまくった。

 だが、その子は少し落ちこぼれというか、素行がよろしいタイプの子ではなかった。悪人とまではいかないが、羽目を外しすぎるタイプだった。

 アカデミーに入って初めての休日、彼女と一緒に遊び行った先は歓楽街、ゴールドストリートだった。そこのダンスホールで踊りあかした。

一晩中踊り明かすという、初めての体験に戸惑いもしたが興奮もした。その店は酒が出る店でこんな店に来てもいいのかと思ったが、そのことを口にするたびに彼女「みんなやってることだよ」と言って、笑った。

これがいわゆる不良の入口かとも思ったが、羽目を外せるのは今だけだとイフはそのまま彼女と共にいた。

だが、次の日、赤毛の彼女は転校していた。

そして、ウェールズ先生に呼び出され、ゴールドストリートには二度と行くなとくぎを刺された。あんな場所私には相応しくない、と。

赤毛の彼女はどうして突然転校したのか、イフはウェールズ先生にしつこく尋ねたが、彼は答えてくれなかった。

ただ、去り際に彼女も君の友人に相応しい人間ではなかったと最後につぶやいた。

 その日から、イフの周囲にはイーグルたち四人が常につくことになった。そして、赤毛の彼女のような三等市民は近づかずに、一等市民の彼らのような人間しか話しかけてこなくなった。


 イフは、自由に友達を作ることも許されずに半年の時を過ごしたのだ。


「ハァ……」


 見ていただけで、クラスメイトに逃げられ、暗い記憶が呼び起こされてしまった。

本日二度目のため息をつくと、目の前に一輪のバラの花が差し出される。


「イフ様。そんな顔をしていてはダメだ。そんな目をして沈んではダメだ。もっと笑え」


 キザな黒髪の青年、コンドがウィンクをする。

 彼が差し出したバラを受け取り、苦笑する。


「あ、ありがと……」


 少し精神年齢が幼いファルコがコンドの脇を小突く。


「ちょっと、コンド。イフ様に対してその言葉遣いは……!」

「いいのよ。そもそも、クラスメイトに敬語なんておかしいでしょう?」


 注意するファルコを止める。

 ファルコが彼を睨むが、コンドは気にも留めないといった様子で口笛を吹く。

 この四人の中ではコンドが一番気を許せる。距離を置こうとせずにグイグイと近寄ってくるし、言葉遣いもフランクだ。

 ただ、やることなすことキザすぎて、どう反応していいのか困るが。


「……そういえば、さっき話しかけてきた人はなんの用だったんですか?」


 廊下で私に話しかけてきた男の子……だと思う、顔はハッキリ見えなかったが。

主にオウルが相手をしていたようだったのでオウルを見ると、彼は不快そうに鼻を鳴らした、


「別に大した用ではありませんよ。二等市民が身分を考えずにイフ様とお近づきになろうとしただけです」

「二等市民って、オウル。その言い方は何度もやめてって」


 オウルの差別的な言葉遣いは何度も直せと注意しているのだが、彼は一向に直そうとしない。そのたびに、


「イフ様。貴方は人の上に、少なくともエデン人の上に立つべきお方だ。エデンの人間は貴方と同列ではないのです」


 こう言って自分を正当化する。


「ハァ……」


 うんざりして時計を見上げる。まだ、授業まで時間はある。


「イフ様、どこへ?」

「……お花を摘みに!」

「では入口まで私がお供します」


 廊下に出て、一人になろうとしたが、やはりイーグルに止められた。

 トイレに行くのに乃一々人が付くこの環境は本当にうんざりする。

 と、イフが出ようとした出入り口から人が入ってくる。


「イフ・イブセレスちょっといいか?」


 ウェールズ先生だ。彼が手招きする。


「ウェールズ先生。何か用ですか?」


 先生に呼びだされているときは四人は取り囲んでついてきたりしない。流石にそこら辺の分別はついているらしい。


「君に渡すべきものがある」


 そう言って、彼はイフの顔写真が入っている学生証を掲げた。


「そ、それ⁉」

「ある男子生徒から私の元へと届けられた。昨日、君の手元を離れたものだろう。次からはちゃんとなくさないように持っていたまえ」


 ウェールズ先生から学生証を受け取る。


「……あの、これを渡した人はどうなったんですか?」


 もしかして、都市警察に引き渡してはいないだろうなと、警戒する。


「イフ・イブセレス。心配するな。ちゃんと君の意にそうように私が対応しておいた」


 意に添うようにって……つまり、地球人の学生証を盗んだから、重罪扱いとして都市警察に渡したということか?


「先生! そこまでしなくてもいいんじゃないですか⁉」

「……そこまで? 私にしては優しい処置だと思うが」


 さらに厳しい処置を考えていたのか?

 まさか都市警察に話を通さないまま処刑するとかだろうか。

 自分のせいで人が傷つくのをこの半年で嫌というほど見てきたので、胸がざわつく。


「この学生証は私が彼に一時的に貸そうと思って渡したものです! 悪いのは彼じゃなくて私です! 彼はいまどこにいるんですか?」

「会ってどうする。君が話しかけても彼は困るだけだ。彼は二等市民、『未来適正評価』でも君のような選ばれた人間に関われそうな職につける可能性は微塵もない。君の人生に全く有用じゃない男だ。時間の無駄だから彼と話そうとするのはやめたほうがいい」


 そんな人間付き合いを、効率で推し量ろうとしないで欲しい。


「私の人生に有用だとか無用だとかどうでもいい! 私は彼に合わなきゃいけないの!」


 ウェールズ先生と話していると息苦しくなってきたので、彼の横を通って廊下に出る。


「イフ様! 困ります!」


 イフの後に続いて慌てて四人の取り巻きが廊下に出る。

 また、彼らが来るのか。もういつもそばに人がいる時間が嫌になる。ストレスがもう限界だった。


「ついて来ないで!」

「そういうわけには行きません! 貴方を守ることこそが我々の使命ですから!」


 四人はすぐにイフの後ろまで迫った。

 このままじゃ捕まると思い、とっさに近くにあった女子トイレに入った。


「く……!」


 誰もいない清潔なトイレの中を走る。

 学生が使うには不似合いな大鏡にトイレの全景とイフの姿が映し出される。

 流石に女子トイレには入るわけにはいかずに外で待っているようだ。鏡にはイフしか映っていない。

 捕まってたまるかと、彼らがいる方と逆側の換気用の窓を開けた。

 そしてそこから外に出る。 


 二階の女子トイレ……、


「おお……!」


 浮遊感に驚きながらも、何とか二本の足を地面につけて降り立つ。

 顔を上げて、当てもなく駆けだした。彼がどこにいるのかはわからないが、イーグルたちの傍にいたらろくに動くこともできない。


「おっとぉ、悪いなイフ様。自由に動かれると困るんだ」


「フフ、イフ様。鬼ごっこでもやるの?」


 イフの道を遮るようにコンドとファルコが二階の窓から飛び降りて、立ちふさがる。


「どいて、礼儀を尽くすだけよ。人間として当たり前のことをなぜしたらいけないの?」

「いけなくはない、立派なことだ。だが、あんたは自由に動き回っていい人間じゃない。気の毒だとは思うが、俺たちという鳥かごの中にいてもらうぞ。しばらくは」

「ちょっと! コンド!」


 言いすぎだと、ファルコがコンドをどつく。


「いやよ、私を通して」

「聞き分けのないお方だ」


 イフの頑固さに痺れを切らして、コンドが私の手を掴む。


「イタッ!」 


 振り払おうとしても、ものすごい力で手を閉められ、コンドの腕はビクともしない。


「すいません、女性にこんなことをするのは主義に反するんですがね。あんたから目を離すわけにはいかないんですよ」

「放しなさい、コンド! もう嫌なの。何をするにしても貴方たちみたいな監視の目があるのも。私のせいで誰かが傷つくのも! 彼は何も悪くないのに、私のせいで転校になるのは嫌なの!」

「……彼?」

「……転校?」


 コンドとファルコが顔を見合わせる。


「彼って誰だ?」

「さぁ? イフ様何か勘違いをしてるんじゃ……」


 と、彼らが疑問を口にした瞬間、黒い影が覆った。


「ん……グぁ!」

「ったぁ!」


 打撃音が二つ響き、イフを掴む手が緩む。 


「誰?」


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