第十八話 調律

 考え込みながら廊下を歩く。

 学生証を返却する名目で呼びだして、虹の腕輪を渡すつもりだったが、当てが外れた。

 イフ自身がオウル達について来ないように言えば、簡単に二人っきりになれると思ったが、事態はそううまくいかないものらしい。


「ロウ」


 どうしたものか……どうやって、虹の腕輪を渡そうか……。


「ロウ、ロウ・クォーツ!」

「ハイ!」


 名前を呼ばれて立ち止まる。

 振り返ると、オリバー・ウェールズ先生が立っていた。

 彼に呼び止められるとは、嫌な予感しかしない。


「何の用ですか? ウェールズ先生」


 ウェールズはゆっくりとした足取りで近づくと、まるでロウに威圧感を与えるかのように胸を張った。


「校内の定期IDチェックでね。毎日自宅にちゃんと生徒が帰っているのか調べるのだが、一人だけ、自宅に帰らずに君の家にいた生徒がいる」

「……へぇ」


 IDカードの位置を毎日チェックしているとは知らなかった。

 バレてる。ウェールズは僕がイフの学生証を持っていると知っている。

 背中に冷や汗が流れる。


「出すんだ。イフ・イブセレスの学生証は君が持っているのだろう?」

「……はい」


 隠しきれるものではないと判断して、素直にイフの学生証をポケットから取り出す。

 果たして自分はどうなってしまうのかとドキドキしながら、ウェールズの采配を待つ。


「ID:Noナンバー―――D101。ロウ・クォーツ。罰として君に一週間の朝の校門掃除を命じる」

「はい」

「以上だ。次からは他人からIDカードを受け取らないように」

「へ?」


 あっさり終わって拍子抜けしてしまう。

 それだけかという視線を向けると、ウェールズははにかみ、


「図書室でイフ様から受け取ったのだろう? 私とて馬鹿ではない。状況を考えればわかる。私が『ジェミニスター物語』を制限図書に指定したから借りられず、イフ様から借りたのだろう?」

「そ、そうですけど……」


 ウェールズは僕の手からイフの学生証を取りあげる。


「私もいきなり制限図書にしたのはやりすぎだったと、思っていた。だが、今回は大目に見るというだけだ。次他人のIDカードを持っていたら……わかっているな?」

「わ、わかっています。寛大なご処置ありがとうございます! ウェールズ先生」


 ウェールズに深々と頭を下げる。

 彼は僕のお辞儀に満足すると、背を向けて歩いていく。次の授業の準備のため、職員室へ向かうのだろう。


「あ、そうそう」


 ふと、その足が止められた。


「君のバンドメンバーランドとシルフィは復学したぞ」

「え⁉」


 さらっと重大なことを言われた。

 都市警察に捕えられたままのランドとシルフィが、もう学校に来ている? 『未来適正評価』違反でしばらくは留置所で拘束されているはずだ。

 だから、『エリクシル』の力を使って助けに行こうとしていたのに。


「も、もうですか? もっと時間がかかる者じゃないんですか?」

「ロウ。君は『未来適正』違反について詳しくないようだね。『未来適正』違反をしたものは長時間拘束されたりしない。ただ、調律を受けて、都市警察から許可が下りたら解放される。それだけだ」

「調律を……?」


 はっきりとウェールズは言った。


「それって具体的には、どんなことをするんですか?」

「いろいろだ。このシグマデルタに相応しい人間になるように講習を受講させる。ランドとシルフィは呑み込みがはやかったのですぐにシグマデルタの理念に共感を示し、講習の効果ありとして、解放した。フレイアだけはまだ理解していないので拘留中だが」


 ウェールズの話を聞きながら、悪寒が走った。


「……シグマデルタの理念を理解した? ランドとシルフィが?」

「ああ」


 ウェールズが頷き、ロウはずっと以前、チャイルドアカデミーに入りたての頃のことを思いだした。



 一人のやんちゃな同級生がいた。名前はリック。彼は体が大きく、知恵が回らず、すぐに手が出る性格だった。なので、『未来適正評価』で常に「D」をくらい続けて、教師の彼に対する態度は厳しく、何をするにしても一々注意された。

 ある日彼が爆発した。家族でファミリーレストランに食事をしていた時の事、リックが誤って別の客の料理を食べてしまった。店員の配給ミスなのだが、リックの両親は一方的にリックを責めた「どうして確認しなかったのか?」「そんな軽率だから、いつも先生から叱られるんだ」と。恐らく出来の悪い息子に対して両親も常々頭に来ていたので、先に爆発したと言えるのは彼の両親だった。

 誰も自分を信じてもらえなくて、リックは逆上した。そしてそれは、苛烈だった

 そして、店のものを次から次へと破壊し始めた。椅子を振り回し、テーブルを砕き、目に映る人間に食器のナイフを投げつけまくった。

 社会が強く押さえつけた反発か、リックは子供とは思えない凶暴性を見せつけ、流血沙汰を起こした。顔から血を流す人間、指を切り取られた人間、止めに入った人間は何かしらの傷を負った。両親が止められなかったのでやむなく都市軍人の客が取り押さえ、リックは都市警察に送られた。

 しばらくはリックは学校に来なかった。その間、アカデミーでは様々なうわさが流れては消えていった。リックはもう学校に来ないのではないか。都市警察に捕まり一生を牢屋の中で暮らさなければいけなくなったのではないか。シグマデルタを一人で追放されて、見知らぬ土地で一人さまよっているのではないか。と。

 だが、ロウたちが彼の存在を忘れかけた一か月後、ひょっこりと彼はアカデミーに登校してきた。

 そして、彼は変わり果てていた。いや、そういう言い方をすればネガティブない身に聞こえてしまうか……彼は別人のようにいい子になっていた。

 少し気に障ったら手が出ていたリックが、頭をはたかれてもにこやかに笑い、休み時間になっても大人しく勉強をする子供になっていた。

 なぜそんなに彼が変貌したのか、かなり気になったが、リックは頑なに語ろうとしなかった。というか、完全に忘れさっている様子だった。

 それから、ロウたちの学年では噂が広まった。

 都市警察に拘束されると洗脳されて、以前とは違う人間に脳を改造される、と。



 ロウはウェールズの歩き去っていく後姿を見ながら、今はノース地区の高学アカデミーに行ったリックの事が頭から離れなくなった。

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