第26話
◇ ◇ ◇ ◇
店のカウンター越しに、僕の顔をじぃっと見つめ、思い返すように目を瞑って言った。
「――確かに言われれば似ているわね」
年季の入った調度品がのけぞる僕の身体に合わせてぎしりと音を立てる。目の前の小柄で細身の三十代の女性は何度も頷きながら、僕を眺めた。
「息子ですからね」
サービスで入れてもらったミックスジュースを飲む。どこか懐かしいその味を舌に転がす。そんな姿も何かを思い出させるのか、女性は嬉しそうに微笑む。
「君のお父さんまで来なくなって、ここも随分寂しくなったのよ」
ぼんやりと彼女はそう言って、視線を僕から外す。
「覚えてるんですね、昔のことなのに」
僕は店内をぐるりと見回して、そして彼女の視線の先を見つめた。
窓際のひときわ小さなテーブルに、二つの椅子が向かい合うように置かれている。窓の外には手入れの行き届いた花壇が見え、アルバイトであろう、二十代の青年が水をやっている。
僕は今、父さんが学生時代によく来ていたリッカロッカへと訪れていた。
カウンターから、テーブルを眺めるのは店主の立花雪さん。髪を後ろでくくり、少しきつい目は、どこか猫のような印象を与える。黒のシンプルなデザインのエプロンが似合っていた。
「あの席によく座っていたのよ。私はまだ小学生で、お父さんの手伝いをしててね。子供ながらに憧れたわ。どこに行こうか相談して、いつも笑顔で」
僕の脳裏に、学生服を来た二人が、あのテーブルを挟んで笑いあっている姿を想像した。
幸せだったであろうその姿に、哀愁を感じるのは何故だろう。
「やよ姉ちゃんがこの町からいなくなって、忠行さんもこの店に来なくなって、子供の私には何も分からなくてね。やよ姉ちゃんの家まで行ったけど、やよ姉ちゃんの家族も皆いなくなってたわ」
「――弥生さんは町を出たと」
「えぇ、私も大人になってから知ったんだけどね。母親に置いて行かれてね、一人で九州の父方の実家へ行ったのよ」
言いながら立ち上がって、雪さんは店内の小さな引き出しからいくつかの葉書を取り出した。
「二十年くらい前から、手紙がくるようになったの。忠行さんのところには来てなかったのね」
「みたいです。お互い、連絡を取ろうとしていなかったみたいで」
「――それで、今日忠行さんは?」
「父さんは先月亡くなって……」
それまで笑っていた雪さんが表情を固めた。
「今日はそのことを伝えに……」
「そ、そう……いくつだったっけ。忠行さん」
「四十三です」
グラスについた雫をそっとすくう。ついた水滴は冷たく、窓から入る僅かな光に反射していた。
雪さんは静かに息を吐いた。ちらりと二人がよく使っていたと言うテーブルを眺めた。
「十年もしたら追いついちゃうわ」
呟くように雪さんは俯いた。僕は雪さんから目を逸らすように、テーブルに置かれた宮町弥生からの葉書を眺めた。
十通ほどだろうか、葉書の中には、自身が描いた絵が添えられているものや、写真が印刷されたものもあった。僕はその中のひとつをとった。
「それはさつきちゃんが生まれた時に送られてきたの」
「娘さんですね」
宮町弥生の言葉を思い出して呟く。今はもう高校生になる娘がいると言っていた。
「あら、よくわかったわね。――あぁ、でも顔立ちは女の子かな」
「いえ、この間本人から聞いたんです。さすがに赤ちゃんの顔じゃ男か女かなんてわかりませんよ」
そう言うと雪さんは眉間に皺を寄せて首を傾げた。
「この間?」
僕はネット上で父親の振りをして同窓会に出席した旨を伝えた。そこで宮町弥生と出会い、父の最期の手紙を渡した。
宮町弥生はあの記録を見ただろうか。父さんの残した記録。結局僕も母さんもあの記録を見ないまま、父さんの書斎の引き出しにしまった。あれは、父さんと宮町弥生のものだからだ。
「もう会わないほうがいいと言われたんだけど、父さんの書斎を片付けていたらこんなものが出てきて」
僕は鞄の中から携帯電話を取り出した。白い、かなり古い型のその携帯電話には一枚の手紙が挟み込まれている。
「――ちょっと待って」
髪を掻きながら、雪さんが僕の言葉を遮った。そして、テーブルに折り重なって置かれた葉書の一枚を、指でそっと僕の前に引っ張り出した。
「この間って言ったわよね。その『弥生さん』に会ったの」
「あ、はい、二週間くらい前ですけど」
雪さんが無言で、トントンと葉書を叩いた。僕は視線を雪さんからテーブルの上の白い葉書へと移して、そこに書かれた文字を読んだ。
「――え?」
思わず僕はまぬけな声を上げた。手紙を手にとってもう一度、そこに書かれた文字を凝視した。
三年前の日付だ。送られた時期は十二月。黒い墨字で書かれたその葉書には、「喪中」の文字が会った。
――妻、弥生 享年四十一歳。
「亡くなっているのよ。やよ姉ちゃんは。もう三年も前に」
葉書を見つめて、雪さんを見て、僕はわけが分からなくなってただそれをくり返した。思考が上手く回らずに、ただあの日、夕焼けの海岸で見た少女の姿を思い起こしていた。
一体あれは誰だったんだ。僕が偽者であったと同じように、彼女もまた偽者だったと言うのか。
じゃあ僕は一体、誰に父さんの手紙を渡したと言うのか。
「な、なんで……」
雪さんは黙って立ち上がると、葉書を片付け、僕にもう一杯ジュースを入れてくれた。
「交通事故だったの。忠行さんの住所がわからなかったのね。お互い連絡とっていなかったんだから仕方ないわね」
僕は、無言で出されたジュースを飲んだ。冷たい林檎ジュースが、僕の喉を通って全身を潤す。
「――じゃあ、僕が会ったのは……」
「海岸に行ってみなさい。きっとあなたの会いたい人はそこにいるわ」
雪さんが微笑を浮かべて言った。長い髪をかき上げ、力強い瞳で僕を見つめていた。
「僕の会いたい人?」
雪さんが親指で人差し指をはじいた。そして首を傾げて笑んで見せた。
――わかってるんでしょ?
言葉が頭に浮かんだ。
僕はおもむろに鞄を担いだ。雪さんはニッっと口の端を上げて笑った。
「行って来ます!」
電車に乗ってすぐのところに海岸がある。父さんと宮町弥生にとって大切な海。
そこに、彼女がいる。
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