第22話
◆ ◆ ◆ ◆
天井を見上げて、ゆっくりと瞼を上げる。何も見えない真っ暗な部屋、まだ夜中なのだろう。毛布をどけると部屋は随分と寒い。
何時だろうかと、時計に目を移すとすでに針は三時を過ぎていた。俺は身体を起こして軽く頭を振る。
電気をつける気力もなかった。頬に手を当てるとまだ痛みが走る。
宮町の顔が一瞬だけ目の前をちらついた。
舌打ちをして、一つ小さなため息をこぼす。
――とんだ間抜けだったな。
心の奥で呟いた。
――単なる遊びを本気にして、とんだ間抜けだったんだ。
止められない思考が次々と流れる。考えたくないから眠りについたのに、起きてしまえば、同じことを繰り返してしまう。
左右に頭を振る。考えても仕方がない。終わったことなのだ。
そう言い聞かせて、もう一度ベッドに横になった。ベッドは大きくぎしぎしと音を立てて揺れる。
「――終わりはいつ来るかわからない……か」
いつか宮町が呟いた言葉を思い出す。
頬にもう一度触れる。じん、と痛みが手のひらに甦った。神経を電気のように走るそれを眺めていると、一瞬だけ、きょとんとした表情の宮町が瞼に映った。
「どうしたかったんだろうな、俺は」
口に出して呟いてみた。答えは返ってくるわけでもなく、胸を締め付けてくる思い出だけがゆっくりと落ちる砂時計のように胸の底に溜まっていくのを感じた。
――炭で汚れた頬を拭って笑う姿、一緒に見下ろした夜の街。白い息を吐いて話してくれた父親のこと。
手を繋ぐことも抱きしめることも出来なかった自分がいた。そうするだけで壊れてしまいそうな気がしていた。
――丸い瞳が見つめていた。ゆったりと歩くキリンを遠くから眺め、一緒にとった写真。坂道を下った。風が駆け抜けていた。夏の終わりに聞いた下手で綺麗な歌声。
プリントした写真を受け取って笑う姿は子供のように見えた。彼女の喜ぶ姿をもっと見てみたいと思った。
――一人で波打ち際に立っていた。冷たい海水を両手ですくって。こぼれる水滴が涙に見えた。
一人ぼっちに見えたんだ。賑わう海水浴場の中心で、人々の笑い声が行き交う中で、宮町だけが一人ぼっちで。
――だから俺は隣に立ったんだ。彼女を一人にしたくなかったから。
ベッドから見える天井は白く四角く、だけど暗くてよく見えなかった。蛍光灯はすでに光を残さずどこにあるのかも見えない。
遠くで車の走る音が聞こえた。その音が細く消えるとやはり静かで、ただ空気の音だけが耳の中で反響して聞こえた。
いつもと違う気がした。
自分から、全てが遠くなってしまったような感覚がした。
何もない四角の箱の中の中心に自分がいる。胸元がぽっかりと開いてしまったような、痛みともつかない空虚な感覚。目を瞑って頭を抱えた。
考え込む頭を切り替えようと頬を叩いた。ずきりと右の頬が痛んだ。
はっ、として身体をもう一度起こした。
「――違う」
違うじゃないか。一人になったのは俺じゃあない。
海で一人で立った宮町の背中が頭に浮かんだ。
この冬で、この町からいなくなる宮町。
どうしてずっと考えなかったんだろう。
あの日、突然に俺を海に連れ出した宮町のことを。
(ここで会ったのも何かの縁だし)
高校に入学してから、ずっと一人でいた宮町が、あの日あの時出会った「縁」にすがりついた。
――とんだ間抜けじゃないか。俺は。
一人になったのは俺じゃない。一人になったのは宮町だ。
すぐに携帯電話を探った。ベッドの隙間に落とした携帯電話を取り出す。
謝らなくちゃいけない。単なる俺の自己満足なのかもしれない、勘違いかもしれないけれど、それでも宮町に謝りたかった。
だけどどう謝ればいい。謝って済むことだろうか。宮町の触れられたくない部分に不用意に触れてしまったことは許されないだろう。
――違う。考えるな。思考は感情を抑え込んでしまう。
目を瞑って、親指で人差し指を弾いた。どうすればいいかなんて、わかってんだろ。
大事なのは気持ちを伝えることだ。
携帯電話のディスプレイが発光した。そこには文字が浮かんでいた。
『留守録音三件』
予感がした。一時過ぎに宮町から電話があったのは気付いていた。だけど出る気も起きず、俺はそれに出なかった。
初めて宮町の電話を無視した。きっとこの録音は宮町のものだ。
携帯電話を操作して、すぐに再生してみた。古い順から再生が始まった。
感情のない、再生ガイダンスが流れ、そして、発信音が鳴って、宮町の震える声が響いた。
『――日比野くん……』
か細い、今までに聞いたことのない宮町の声だった。
『助けて……ごめんなさい……だから許して』
すすり泣きが聞こえた。胸の奥がジンと熱くなるのを感じた。
「……宮町?」
『お願い……電話に出て』
そこで宮町の声が途切れた。録音時間を過ぎて、発信音が残った。
続いて次の録音が再生された。
『――えっと、ごめんね、さっきは変なメッセージ残して』
場所が変わったのか、周りの音が変わった。
『もう、お別れになるから、最後に君に全部話そうと思うんだ。長くなると思うけど聞いてね』
――こんなことならメールアドレス教えてもらえばよかったね。宮町は少し笑みを含んだ声で言った。そして波の音が聞こえた。
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