第21話
◇ ◇ ◇ ◇
渡された記録を、私は夜中に一人で再生させた。部屋を暗くして、画面にぼうっと浮かび上がるようにその映像が始まった。
真っ白な壁、真っ白なベッド。テーブルに置かれているのであろうビデオカメラに向かってパジャマを着た中年男性が手を伸ばしていた。
ゆっくりと、身体をベッドのほうへと戻して、彼はカメラに視線を合わせた。
『――久しぶりだね』
落ち着いた優しい声。想像していたよりも随分と痩せている。隅のほうにテレビがあり、腕には点滴の管が見える。ここは病院なのだろう。
『君と別れたあの日から、もう二十年以上経つんだね』
優しい表情の彼は静かに、カメラに向かって語りかける。
『あの時は、君を追いかけることが出来なくてごめん』
両手を膝の上で握り締めた。時々、彼はビデオカメラから視線を外し、画面の外にあるであろう窓の外を見つめた。光が入ってきているのか、少し眩しそうに目を細める。
『冬になると、今でもあの日の君の事を思い出す。君は俺のことを時々思い出したりするんだろうかなんて、そんなことを考えながら、やっぱり時々考えてしまう。――あの日、君をあの後追いかけることが出来たなら、俺と君の人生は変わってたかもしれないなんて』
ため息をついて、彼はこちらを見つめた。その視線から逸らすことが出来なかった。画面越しに私たちは見つめ合う。
『君は幸せだったかい?』
彼が優しく微笑んで言った。
『俺は年下の奥さんをもらって……元気が取り柄のやつでな。子供も男の子が二人産まれて幸せに過ごしてる』
「――うん」
『俺はあれからよく本を読むようになった。幸せな、優しくなれる話が好きでさ。俺たちもああいう終わりを迎えられたらってずっと思ってた。息子たちも最近、俺の残した本を読んでるみたいで、よく本の話をするんだ。――そうそう、この記録を届けたのが俺の息子だ。まぁ、嘘が下手だから途中で気付いてたかもしれないけど、ああいう子だ』
唇が震えるのを手で押さえた。じんと熱いものが身体に流れるのを感じていた。
「――どこからどこまでも似てるんだから……」
『君も、俺と同じように幸せになってることを願っているよ。こんな形でしか言えないのが残念だけど、俺は今でも君の幸せを祈ってる』
「――同じだよ」
私は答えた。ビデオの向こうの彼が頷いたような、そんな気がした。
しばらく静かに彼は私を見つめた。一つ息をついて、そして笑った。
『――俺はもう、君には会えないだろう。ずっと手の届かないところにいくからさ』
彼は両手の指を絡めて、膝の上に落とした。
『だけど、さよならだけは言っておきたかったんだ』
私は目を閉じた。彼の声だけが暗闇の中で響いた。
『――もしもいつか帰って来られたら、また君に会いに行くよ』
雫が膝の上に落ちた。声が胸の奥を熱くさせた。
『そのときはまたあの海で会おう』
彼の優しい声。彼の最期の声。低くて、包み込むように優しい。
『――それじゃ、さようなら』
瞼を上げて、彼を見つめた。彼は目を瞑って眠るように、笑みを浮かべた。
そこで再生が終わった。私は声を上げて泣くのをこらえて、涙を拭った。
「いなかったんだね、もうあの時には」
作り物の世界で出会った彼は、どんな気持ちで私と話していたのだろう。
――会いに行こう。あの頃の彼に。あの海へ。二人が過ごしたあの街へ。
棚の上に飾られた写真を私は見つめた。
「――お母さん、私行くね」
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