第16話


  ◇ ◇ ◇ ◇


 潮で錆びたベンチに二人で腰掛けた。夕陽はいつの間にか沈んで、月明かりが青く辺りを照らしていた。星が随分と綺麗に輝いている。

「星座とか、全然わかんないや」

 宮町が見上げて微笑を浮かべる。

 海岸は静かに夜に包まれていた。

 終わりの時間が近づいて、僕らは最期にもう一度だけ二人きりになった。

 海の家から吊り下げられた提灯が色とりどりに光を灯し、その下では父の同窓生たちが笑いあって最後の話に花を咲かせている。

 僕も宮町と同じように軽く顎を上げて空を眺めた。

 現実じゃ滅多に見ることのできない、いっぱいのバケツをぶちまけたような満点の星空が僕たちを包んでいた。

「――さっき……聞いたんだけどね」

 宮町が躊躇いがちに口を開く。静かで、少し迷いのあるその声に僕は耳を傾ける。

「日比野くんもこの同窓会にはあまり来てなかったんだってね」

 僕は小さく頷いて、目を閉じる。今まで緊張していた心臓がそんなこと初めからなかったかのように、落ち着いてる。

「――どうして今日は参加したの?」

 たぶん宮町は答えをわかって聞いているのだろう。瞼を上げて、宮町を見て答える。

「宮町が来るって聞いたからだ」

 目だけそらして宮町は、呟くように小さく、そっか、とこぼした。

「宮町に話さなくちゃいけないことがたくさんあったんだ」

 だけど父さんはもうそれを話すことができない。だから僕をこうしてここへと連れてきたんだよな。

 言い聞かすように僕は胸のうちで頷く。

 終わらせなくちゃいけないんだ。

(――悲しい話がさ、終わりまで悲しいと救われないだろ)

 父さんの言葉がふいに頭に浮かんだ。

 二人の物語は途中で途切れたままなのだ。お互いの終わりを知らないまま、ずっとずっと二十年もの間、互いを気にかけていたんだ。

 だから、僕は父さんが伝えたかったことを宮町弥生に伝えなくてはならないのだ。

「私も、色々日比野くんに話さなきゃいけないことがあるんだけど……」

 言いかけて宮町はまた星空を見上げる。いつのまにかぽっかりと浮かんでいた青白い月にうっすらと雲がかかるのが見えた。

「だけど会ってしまうと言葉を見失うわ。何を話せばいいのか分からなくなってしまったわ」

「それは俺も同じだ」

 僕も同じなんだ。

 話したいことも、聞きたいこともたくさんあった。だけど父さんの代わりにここにいる僕は、どんな言葉をかけていいのかわからなかった。

 僕は人差し指と親指を擦った。

 ――言葉に行き詰ったら、考え込まないで頭の上にいる神様に聞いてみろ。手を合わせるんじゃなくって、代わりに指を擦ってな。

 ふと、僕の隣で宮町も同じように指を擦っているのが見えた。

 思わず僕の口元は緩んだ。俯いて隣同士、同じおまじないをする姿は何だかまぬけで僕は宮町に笑って言った。

「宮町もそのおまじない知ってるんだな」

「――え?」

 きょとん、と宮町は僕の目を見た。

「困ったときは神頼みってやつだよな」

 僕は海のほうに手をかざして、浮かぶ月に透かすように指先を見つめた。瞬くように一筋、流れ星が線を描いた。

「日比野くん」

 呼ばれて振り返ると、宮町は眉を寄せて、僕を見つめていた。僕を黙ってじっと見つめる宮町の視線に押されて、僕は黙った。

 何かを警戒するような、そんな視線だった。

 沈黙に耐え切れず、僕が宮町から視線を外し、砂浜へと顔を逸らした瞬間、宮町は立ち上がって口を開いた。

「――あなた、誰?」

 宮町の言葉が、耳から通って、心臓を貫いた。心臓がどくりと唸った。

「え?」

 僕は恐る恐る宮町の目を見た。宮町弥生はすでに険しい表情で、僕を睨み上げていた。

「このおまじない、頭の上の神様って私が考えたおまじないなのよ。あの頃、私が日比野くんに教えたの」

 宮町は立ち上がって僕から一、二歩距離を置いた。

「あなた、日比野くんじゃない」

「――な、何言ってんだよ」

 誤魔化そう。僕はそう思って、笑みを浮かべた。だがその笑みがきちんと形作れていないことが自分でもわかった。

 宮町弥生の視線が僕を突き刺していた。

「俺は――」

 僕は考えた。ただ考えた。この場を切り抜けるためにはどうしたらいいか。どうやったら今の状況を打開できるか。そればかりを考えていた。

 俺は、僕は――。

 宮町弥生の瞳には、疑念と、失望に満ちていた。そしてその瞳にほんの少しだけ悲しみを落としているような、そんな気がした。

 彼女はこの日をどんな気持ちで待っていたのだろう。二十数年、一体どんな気持ちで。

 僕の思考はいつの間にか、自分のことではなく、彼女のことへと向けられていた。

 この裏切りは彼女にどんな悲しみを与えるだろうか。僕のつく嘘は、彼女に何をもたらすだろうか。そして何を奪うのだろうか。

「俺は……」

 これ以上、嘘を上塗りして僕は誰になるつもりだろうか。

 僕は指を擦って、頭の上の神様に聞いた。

 ――うん、分かっている。

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