第15話

 もうあとどれくらい、こうしていられるのだろうか。

 宮町の炭で少し汚れた頬を眺めながら思う。

 いつか遠くに行く宮町は、いつまで俺のことを覚えていてくれるだろうか。

 友達でもなく、恋人でもない、不思議な関係だった。

「どうかした?」

 目が合って、宮町が首を傾げた。

 左右に首を振って俺は、何でもないって笑ってみせた。

 そんな関係を望んではいけない。低俗な噂の中にいる宮町が俺の前でこんなに笑っているのは、俺が宮町をそういう目で見ないようにしているからだ。

 勘違いをしてしまわないように、いつも頭の中で繰り返す。宮町は俺にそんな関係を望んではいないのだ。

「日が暮れるな……」

 沈む夕陽を見つめて言った。宮町はどこかつまらなさそうに、そうだね、と返した。

 完全に日が沈んで、二人でぽつぽつと灯る街の光を眺めた。

 誕生日の蝋燭のようだと宮町が言った。

「あの一つ一つに家庭があるんだろうね」

 宮町は頬を膝の上に乗せて、うっすらと目を細めて微笑んだ。

 それが羨望のまなざしであったことをこの時の俺は気付くわけもなく、ただ、そうだな、と頷くことしか出来なかった。

 しばらく夜景を眺めていた。道に沿って走る車のライトが、光の川のように流れる。静かに変化し続けるその景色を眺めながら、時折、宮町の白い頬を見つめた。

 宮町は不透明なのだと思う。どれだけ彼女と一緒にいても、まったく近づけているような気がしない。

 心が解らないのだ。学校での姿と、そして今の姿。本当の宮町弥生はどんな姿をしているのだろう。

「そろそろ帰ろっか」

 宮町がこちらを見て言った。目が合いそうになって思わず逸らして頷く。

 立ち上がって軽く伸びをする。宮町はまだぼんやりと街を見下ろしている。

 パチパチと、何度もまばたきする。この夜景を記録するように何度も。俺も宮町と同じように夜景を見下ろす。そして隣で遠くを見る宮町の姿もそれよりもしっかりと記憶の奥に刻み込んだ。

 手を差し伸べ、宮町を立たせる。二人で並んで階段を下りた。

 長い、しかし心地よい沈黙のまま、俺たちは神社を離れた。

 一台、トラックが通り過ぎた。遠くなっていく車の音が消えるのを見計らったように宮町が呟いた。

「だんだん寒くなってきたね」

 もういつの間にか遠くに過ぎ去ってしまった夏を懐かしむように、枯れ葉をぐしゃぐしゃと踏み鳴らしながら言った。

 いろんなところに行ったよね、宮町はそう言って微笑を浮かべる。

 街で出会って、海へ行き、少し大きめの公園に行ったり、動物園に行ったり。他にも水族館や、メリーゴーランドが見たいと遊園地の近くまで行った。

「いろんなところ付き合わせてごめんね」

 覗きこむように上目遣いで宮町は俺の顔を覗き込む。

「いいよ。楽しかったし。まぁ、子供みたいな遊びばっかりだったけどさ」

 小学生の頃、夏休みにてっちゃんと毎日遊びに出かけた日を思い出す。ちょうどあんな感じだった。

「――私ね」

 宮町がどこか寂しげな声で、話し始めた。

「私のお父さんって、私がまだ小学生に上がったばかりの頃に亡くなったの」

 交通事故でね、と宮町は付け加える。

「私が家族で出かけたのって、お父さんが生きてた頃に行った動物園が最後でさ。私の父さんの記憶って、お父さんと一緒にキリンを見たときのしか覚えていないんだ」

 枯れ葉を静かに宮町は踏んだ。音を立てないように静かで柔らかな足取り。

 俺は黙って頷いた。宮町は俯いたまま続ける。

「お父さんが亡くなって、それからはお母さんは仕事、私は妹の面倒みるので大変で、家族でどこか行ったりなんて全然なかったの」

 だからね、と宮町は少し前に出て俺のほうへ振り返った。

「この数ヶ月、すごく楽しかったの。君と出会って、遊んで、話して、すごく楽しかったんだよ」

 にっこりと、学校では決して見せない笑顔を俺に向かって見せた。宮町のその無邪気な笑顔を見つめて俺は、どこかくすぐったくて、恥ずかしくて、思わず瞼を伏せて笑んでしまう。

「嫌なこと、全部忘れられるくらいに、君と一緒にいるのは楽しかった」

 目の前の宮町の小さな身体を抱きしめたくなった。力いっぱい、それでも壊れないように優しく。

 拳を握って、その衝動を抑えた。丸い目を輝かして見つめる宮町を裏切ってしまうような気がしたからだ。

「いつまで……」

 からからに喉が渇いていた。聞いてしまえば終わってしまうようなそんな気がして口を閉ざしてしまう。

 いつもだ。いつもこうして俺は宮町がいなくなるという事実から逃げている。

 視線を逸らして宮町がぽつりと呟いた。

「――もう……来月過ぎたら……」

 そこで言葉を切って俯く。俺はどこか辛く痛む胸を抑えて、そうかと答えた。

 静かな街を歩く。きらきらと輝き始めた星が頭上に広がっていた。俺は宮町の手を触れることも出来ず、ただ近くて遠い彼女を隣に感じながら、暗くなる夜の街を歩いた。

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