第8話


◆ ◆ ◆ ◆


 宮町を自転車の後ろに乗せて俺は坂道を下っていく。潮風が身体を撫でる。しがみつく宮町の感触を感じながら、俺は目的地に向かって自転車を走らせていた。

「バイクの免許があったら、もっと遠くまでいけるのにな」

「私はこの速さが好きかな。のんびりしてるし」

 夏休みも半ばを過ぎ、海にはくらげがぷかぷかと浮かぶようになった頃だった。宮町と会うのはこれで四度目。日焼け止めをしっかり塗っているのか宮町の肌は白く、あの日にあった痣はもううっすらとしか見えない。

 電話番号を交換し合って、俺たちはこの夏休み、数度に渡って連絡を取り合った。週にだいたい三回、昼頃に宮町のほうからかけてきて、三十分ほど話すのが習慣のようになっていた。こっちからかけても宮町が出ることはなく、数度かけたがそのほとんどが留守番電話に繋がった。だから最近では宮町からかかってくるのをただ待つようになっていた。

 そして都合がつくと俺たちは必ず彼女のバイト先である喫茶店で待ち合わせをした。彼女の父親の友人の店「リッカロッカ」だ。

 店主である立花さんは見た目、屈強なプロレスラーを彷彿させる肉体を持っていた。そんな彼が、チェック模様のエプロンをしてミックスジュースを入れる姿はどこか可笑しくて、宮町はそんな姿が可愛いと言う。

 熊がおもちゃで遊んでるみたいな、そんな可愛さなのだという。

 そこで宮町はウェイトレスをしている。若年層向けでないこの店の客は大方四十歳代から六十歳代がほとんどで、朝は忙しいらしいが俺たちが行く夕頃にはだいたい決まって暇そうだった。

 内心、宮町が普通のアルバイトをしていてほっとしたのは事実だった。噂を信じていたわけではないが、ウェイトレスをしている宮町はごくごく普通の女子高生だった。

 そして今日もリッカロッカを出て、宮町を自転車に乗せてどこかへと向かっている。

「で、今日はどこ行くんだ?」

 まだどこへ向かっているのか俺は知らない。宮町に言われるまま、ただ自転車を漕いでる。

「動物園にね、行こうと思うのよ」

「は?」

「キリン、見たいと思わない?」

 相変わらず会話が繋がりにくい。自己中というか何というか。

「見たく、ない?」

「お前ってさ」

「うん?」

「いつもいきなりだよな」

 たぶん、傍から見たらきっと、自分勝手でむかつく女なんだと思う。宮町弥生は。

 それでもどうしてか、俺はそんな宮町の行動を気に入ってしまっている。彼女にペースを乱されるのがどこか新鮮で今まで味わったことのない感覚だった。

「悪い? 見たいと思ったらすぐ見たいのよ」

「それで人を足に使うか普通」

「帰りは私が漕ぐよ。それでいいでしょ?」

 帰りはこの坂を登ることになると、宮町は解って言ってるのか。俺は口の端をあげて、OKと答えた。

 宮町が小さな声で歌を歌う。少し前にヒットした女性シンガーの曲。どこか切ない歌詞が背中越しに俺の耳に入ってくる。

 下手だな、と思う。だけど宮町の歌声が何だか心地よくて、俺はそのままずっとその声を聞いていた。

 遊び、勉強、遊び。それがずっと続いていた。てっちゃんは夏期講習で、他のやつはそれに加えて塾や家庭教師。皆進学に向けて勉強している。

 宮町と会うようになってから、初めは多少の不安があった。だけどこれも息抜きと腹をくくればその僅かな不安も払拭できた。

 坂道が終わり、回る車輪に合わせてペダルを踏み込む。夏の日差しを避けるように日陰を選んでハンドルを傾けた。

 揺れる自転車に合わせて、ときおり宮町の身体が強く俺の身体に押し付けられた。

「あ、見えてきた」

 歌うのを止めて宮町は背中越しに覗くように身体をかがめた。

「懐かしいなぁ、昔、お父さんに連れて行ってもらって以来だよ」

「俺も小学校の遠足以来だな」

 へぇ、と宮町は頷き笑う。

 並んで園内に入ると、宮町は走って大きな園内地図の前へと立った。こちらを振り向かずに手招きして、地図を指差す。

「ねぇねぇ、どの子から見ようか?」

 宮町がキリンの場所を凝視しながら言う。俺はつい苦笑いを浮かべてしまう。

「キリンを見に来たんじゃないのか」

「うーん、でも一番見たい子は最後にとっておこうかな」

 親指で人差し指を弾きながら、宮町は眉を寄せる。

「じゃあ、一番近くの子から……えっと猿かな?」

「だな。それから、こうぐるっとまわって行けばキリンが最後になるかな」

 地図を大きくなぞって示す。

「うんうん」

 宮町は大きく頷いて笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る