第7話
僕はどうすればいいんだ。緊張のせいか、喉元が熱い。
手を握ってしまってはいけない。わかっているけど、目を合わせずに、ただ僕の、いや、父さんの手を待つ宮町弥生を見ると何故か胸が痛む。
母さんへの裏切りになるような、そんな気がしていた。
その時、ふと頭に母さんの背中と父さんの葬儀を終えた後のことを思い出した。
(父さんの言ってたこと、どうするの)
その日は馬鹿みたいに晴れていて、暑い日差しを見上げて母さんは、遠くの空を眺めながら、父さんらしいねと笑顔を見せた。確かに父を送る日に雨は似合わないと僕も思った。
まだ僕はその頃、この同窓会に出席するかを悩んでいた。父さんの振りなんて出来ないだろうと思ったし、母さんには何も残さなかった父が、母さん以外の女性に何かを残そうとしているのに嫌悪感を抱いていたからだ。
だけど、母さんの返してきた言葉はあまりにも簡単なものだった。
(――正人に任せるわ)
父の衣服をたたみながら、母さんは笑顔で言った。それにはどんな計算も無くって、母さんは全部を僕に任せた。
どうすればいいかなんて、答えは見つからない。
だけど母さんに笑って、任せると言われたときに、僕の頭の中にあった嫌悪感は一瞬で無くなっていた。母さんのその表情だけで、父さんが母さんに目には見えないものを残しているのがわかったからだ。
僕は考えるのを止めた。
父さんの言葉が頭に浮かんだ。
――迷ったり、悩んだりしたときに、考えても答えがでないときは、頭の上にいる神様に聞いてみるといい。手を合わせる代わりに指を擦って、頭の上でぼんやり眺めてるそいつに聞くんだ。そうしたら、そいつはいつも同じ答えを返してくるんだ。
たぶん、それは考えすぎるなってことだと思った。時には思うままに行動してみろと、父さんは言いたかったんだと思う。
太ももに置かれた、宮町の手を見つめた。これは裏切りになるだろうか。頭の上に描いたそいつに僕は聞いた。
(――わかってんだろ)
少し笑いそうになるのを堪えて、僕はごくりと唾を飲み込み、その手を握り締めた。
暖かな感触が指を伝わる。
心臓がだんだんと高鳴っていく。
「ねぇ、私のこと、忘れちゃってた?」
「忘れてなんかない……」
「そっか、よかったぁ」
微笑を浮かべ、宮町弥生は僕の手を握り返す。
二十数年振りに会うなんて、一体どんな気持ちだったのだろう。二人が出会ったあの頃、二人が過ごしたあの頃。二人があの頃、思い描いた未来はどんな姿だっただろうか。
宮町弥生は静かに僕の肩にもたれかかった。宮町弥生の重みに、身体が一瞬強張る。なんて不甲斐ない心臓なんだろう。
父さんならどうしていただろうか。宮町弥生にどんな言葉をかけていただろうか。
父さんの気持ちをもっと知りたかった。父さんがどう思っていたのかを知りたかった。そうすれば、今、僕はこの手を握る以外で彼女の求める言葉をかけられたのに。
「あ、そうそう、この間ね、リッカロッカ行ってきたんだよ。久しぶりに」
思い出したように宮町が急に言った。手を握りあったまま、隣の宮町は笑う。聞きなれない言葉に僕は思わず首を傾げて、しまったと思った。
「――リッカロッカ?」
「あれ? 忘れちゃった? 昔よく一緒に行ったじゃない。私が働いてたバイト先」
宮町は不思議そうに僕の顔を覗き込んだ。僕は慌てて目を宙に泳がせながら答える。
「あ、あぁ、リッカロッカな。まだ残ってるんだ」
「うん、雪ちゃんがお店継いだみたいでさ」
――そう言えばそんな名前の喫茶店があったな。そこまでチェックしてはいなかった。
「雪ちゃんもすっかり大きくなっててびっくりしたわ」
そこまで話して宮町はふと、遠くにいる皆のほうを見て、ぱちくりと目を開いた。
「どうした?」
くすくすと、宮町弥生が皆のいる方を指差して、笑い声を漏らした。
「皆こっち見てるね」
言われて、指されたほうを見てみるとてっちゃんを含めたクラスメイトたちがこちらをちらちらと見ていた。
「そろそろ戻ろうか。日比野くんのこと、独占しちゃうのも悪いし」
僕は手を握ったまま離せずにいた。彼女は立ち上がり、僕の手を引く。立ち上がってもやはりその手は離すことが出来ずただ黙って、宮町弥生を見つめていた。
夕日を背にした宮町が、茜色に染まった髪を右手で掻きあげる。その目は僕のほうを逸らすことなく、ただ静かに見つめている。
「――日比野くん」
しばらくして宮町弥生が呟いた。
視線を落として宮町は黙った。僕はかける言葉を見つけられず、今にも離れてしまいそうな汗ばんだ手を握り締めていた。
「宮町?」
沈黙に耐え切れず、僕は宮町に声をかける。宮町は少し困った様子で顔を上げ、軽く笑って見せた。
「ごめん、何でもないの」
そう言って宮町は僕の手を離した。
宮町は皆の方へと振り返り、さくさくと砂浜に足跡を残しながら、先へと歩いていく。
僕は少し汗ばんだ手を見つめ、宮町のあとを追った。
何故か僕の目には、その宮町の少し困ったような顔が強く焼きついていた。
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