第5話
気が付けば、俺は潮の匂いを嗅いでいた。照りつける太陽が砂漠のような砂浜を白く輝かせている。
蝉が鳴いている。耳に刻み込まれるその声が海辺の暑さを倍増しているような気がした。
水着姿の男女が笑いあいながら海へと走っていく。ビーチサンダルを履いていない男性は足をぴょこぴょことさせて、今にもこけそうな走り方だ。
制服姿のまま、宮町は砂浜をまっすぐ海に向かって歩いていた。俺は呆然とその様子をしばし眺め、振り返る宮町につられて、思わずついていってしまう。
皆が宮町と俺を振り返った。正直、少し恥ずかしい。だけど時折立ち止まっては振り返る宮町を放っておくことは俺にはできなかった。
波打ち際の少し手前で、宮町は立ち止まって靴を脱いだ。靴下を脱いで、熱い砂浜を走って通り過ぎ、海水で濡れた濃い茶色い波打ち際に立った。すぐに宮町の足を海水が撫でた。
「お、おい」
わけがわからなかった。目の前の宮町が何をしたいのかも、こうしてついてきている自分も。宮町はゆっくりと足元に気をつけながら振り返って言った。
「君もさ、早くおいでよ。気持ちいいよ」
その光景は一言で言って奇妙だった。半そでの白のセーラー服に身を包んだ、黒髪の少女が海辺に立っている。制服が濡れるのもかまわずに足元の水に触れて遊ぶ。俺はただ、そんな彼女を一歩離れた場所から見つめていた。
宮町弥生は目立っていた。スカートの裾を濡らして、手のひらに水を溜めて。
「宮町……」
「ぼぅっと、突っ立ってないでさ」
海水を指ですくって舐める。塩からいのか、その味に宮町は顔をしかめた。
「宮町!」
宮町は驚いたように俺を見上げた。何でいきなり大声なの、と言いたげな顔だ。
「な、何でいきなり海なんだよ」
わけがわからないことばかりだった。そもそも今日の今まで話したこともない宮町弥生と、どうして俺は海に来ているんだ。
「好きだから」
どきりと心臓が飛び上がった。いや、違う、海のことだよな。
そう言って、スカートの裾を軽く持ってくるりと背を向けた。
ふと、そんな宮町の背中に陰りが見えた気がした。足を前へ出せば届く場所で、声も届くのに宮町は一人で海に足をつけている。
この距離を阻むのは、宮町か俺か。ふとそんなことを考えた。
学校でも宮町は一人だった。無口で、表情も変えず、友達も作らず。
その距離を作っているのは宮町か皆か。
靴を脱いだ。靴下を脱いでズボンの裾を上げた。熱い砂浜を避けるように濡れて硬くなった波打ち際を通り、宮町の近くに立った。
「気持ちいいでしょ?」
来ることをわかっていたように、宮町は振り返らずにそう言った。俺は頷いて答える。
わけわからなくたっていい。今はただ何となくだけどこの子を一人にしたくなくなってしまった。
海水は足をあまり優しくは撫でてくれなかったけどそれでも気持ちのよい冷たさがあった。
「さっきは……あ、今もだけど、ごめんね」
「いや、いいよ。もう」
もうよかった。こうして隣に立つ宮町が何をしていたかなんてどうだって。俺が気にしたって仕方がない。
「一人じゃこんなことできないからさ」
「うん」
「やっぱり恥ずかしいし」
「だよな」
どこかぎこちなく、でも心地よい空間だった。近くて遠かったさっきの距離がほんの少し近づいた気がした。
しばらくして、ふと宮町が言った。
「ねぇ、後でケータイの番号教えて」
「え、あぁ、いいけど」
宮町はポケットを探って携帯電話を取り出す。少し危なっかしく、今にも海に落としそうに。
「こうして会ったのも何かの縁だし」
宮町は流し目でこちらを見て言った。その目はどこか優しく、どこか怪しく、それでいて凛々しかった。
それが俺の宮町弥生との出会い。
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