第4話

◆ ◆ ◆ ◆


 宮町弥生は、誰の目にも止まる不思議な魅力を持っていた。たぶん、その整った顔立ちと、長い黒髪がそうさせるのだろうと思う。

「なぁなぁ、日比野」

 てっちゃん――加賀哲也がコンビニで買った漫画雑誌のグラビア写真を見ていた。

「この子、宮町に似てね?」

 コンビニの前に座って、カレー味のカップ麺の残りのスープを啜っていた俺は、開かれたそのページを覗いてため息をこぼす。

「似てねぇ」

「そっかぁ? 絶対似てると思うんだけどなぁ」

 少しだけ似ているとは思う。だけど水着を着て、前かがみに胸の谷間を強調しているその姿が全然宮町に似合わないと思ったのだ。

 宮町弥生は孤高の人。それが俺の中の宮町のイメージだ。テスト休みに入り、これから夏休みが始まるという頃なのに、俺はまだ宮町が友達と話しているところを見たことがない。

「まぁ、こんな媚びた感じじゃないか」

 てっちゃんの独り言に心の中で頷く。

 十七歳なんて年の割りに、宮町は落ち着いている気がする。どこか俺たちとは違う大人の雰囲気を持っていた。

 だから宮町に関しては、色々な噂がひっそりと流れている。

「でもウリしてるってのは本当かな?」

 ぎくりと心臓が絞まるのを感じる。そう、これがその噂の一つだ。

「ありえねぇって。噂に尾ひれがついただけだろ」

 そう言いながらも、頭のどこかで”火のないところに煙は立たない“なんて考えてしまう。

 そうだよなぁ、なんて言いながらてっちゃんは考え込む。考えてる内容は想像したくない。

 同じクラスの結構可愛い女子が売春してるなんて、高校生の俺たちにはかなりショッキングな話題で、まぁ、たぶん年相応の妄想が噂を肥大化させてるんだと思うんだけど、さすがにその噂の真偽を確認する方法はない。

「んじゃ、そろそろ帰るか」

 胃が満腹になったところで、残りのスープを溝に捨てて、立ち上がった。座りっぱなしで痛くなった足を屈伸してほぐす。

「んじゃ、海行く日程決まったらまたメール送るわ」

 中学の頃からてっちゃんとその他四人で毎年海へと行ってる。今年は全員の予定がわからないからまだ日程が決まっていない。

「まぁ、今年は勉強があるからなんとも言えないけどな」

 今年受験の俺たちには、海で遊ぶ資格はないのかもしれない。てっちゃんも夏期講習で忙しいようだし。

「うっす」

 てっちゃんは苦笑いを浮かべて軽く敬礼のポーズをとってから、手を振った。

 そのまま俺たちは別れた。

 その後もしばらく、俺の頭の中には、てっちゃんが話した宮町の話がぐるぐると回っていた。

 単なる尾ひれがついただけ。もし事実だとしても俺には何の関係もないことじゃないか。いや、事実だなんてありえない。ただぐるぐると、思考だけが無意味に回転し続けていた。

 ぼんやりと、気付けば駅前の雑居ビルの前を歩いていた。そのビルの中に入れられているカラオケボックスの看板を見て、最近行ってないな、と思い、宮町への思考がそこで一端途切れた。

 てっちゃんは贔屓にしているロックバンドの歌を何度も何度も繰り返し歌う。俺はラジオで気に入った曲を適当に見繕って歌う。どちらかといえばバラードが好きだがやはり、ああいう場ではリズムのいい曲を選曲するようにしている。

 てっちゃんは音楽に詳しくないわりに、やたらと歌が上手い。気持ちよく上手く歌うが、だがマイナーバンドのせいか受けが微妙なのが悩みの種だ。最近は俺も合わせてそのてっちゃん贔屓の曲をそこそこ聴き始めている。

 そんなことをぼんやりと考えながら、雑居ビルの前を通りすぎようとしたときだった。

 俺の視界の隅に、宮町弥生の姿が映ったのは。

「ま、まじかよ……」

 宮町は白のワイシャツに紺のネクタイの中年と向かい合わせに立っていた。父親、という雰囲気はまるでなく、宮町は視線を地面へと泳がせて、でもやはり表情は崩さずいつもの凛とした顔をしていた。

 会話は聞き取れなかった。気になるが、立ち止まって聞くわけにも行かず、俺はその場を通り過ぎようとした。だけど目だけは逸らしてはいけないような気がした。

 そのとき、宮町が顔をふと上げた。黒い髪が軽く揺れて、長いまつげがぱちぱちと二度瞬きをした。

 俺は……立ち止まってしまった。何だか、宮町のその驚いた表情が自分を引き止めている気がした。

「日比野くん?」

 宮町が、自分の名前を知っていることに俺はまず驚いた。宮町は中年に一言断って俺のほうへと走ってきて、俺の手を掴んだ。

 俺は不覚にも身を固まらせてしまった。一言も発せずに、目の前の宮町弥生の吸い込まれてしまいそうな綺麗な瞳に釘付けになってしまっていた。

「ごめん、そういえば約束してたよね」

 そんな俺をさて置いて、宮町はぐいぐいと手を引っ張る。

「お、おい……な、なんで?」

 高鳴る心臓を押さえても、口は上手く回らなかった。宮町は、しぃっと俺に小声で囁いた。

「お願い、どこでもいいから私を連れてって、あのおじさんしつこいの」

 わけがわからなかった。やっぱりあのサラリーマン風の出で立ちの中年は宮町とは知り合いでもないやつなわけで、俺は宮町と約束を? それで中年はしつこいから。

 こんがらがる頭と、やたらと熱くなった手が変に汗ばんでて、もちろん宮町もそれは同じで、汗同士が吸い付き合って、その手は何だか離れなくなってしまいそうだった。

 俺はいつも学校で見かけるのとはまるで違う宮町弥生の姿にただ困惑するばかりだった。

 その場を少し離れると、僕が思っていたよりも容易く宮町はその手を離した。そっと髪を掻き揚げ、安堵のため息をつく。

「あ、あのさ……」

 うん? と宮町が首を傾げる。それだけで俺はしばらく口を噤む。

「学校の……帰り?」

 違う違う、そんなことを聞きたいわけじゃない。

「まぁ、そうだね」

 じとっと自分の制服を見下ろしながら宮町は言った。

 ――あのおっさんと何やってたんだ。

 何て聞けるわけがない。

 視線を宮町の目から逸らすと、ふと、宮町の白い腕に青痣があることに気付いた。楕円形のそれは見るからに痛々しそうで、思わず俺は宮町に言った。

「――それ、痛そうだな」

 肘のほうを覗き込むように見て、宮町は笑った。

「あら、痣になってた。転んでぶつけてさ。あ、でもそんなに痛くない」

 俺が黙っていると、宮町は痣を撫でながら視線を逸らした。

「うーん」

 宮町は親指で人差し指を軽くはじきながら考え込むように眉を寄せて唸った。そして一つ頷き言った。

「ねぇ、海に行きたい。電車に乗ってすぐだよね?」

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