第15話 頭文字はD

「街が…出来ちゃいましたね」

 


 高台から一望し、アリ子が思わずと言った感じで呟く。

 


「ああ。なんかもう、ここまで来ると壮観だな」

 


 夕焼けを背景に大きく聳え立つ山、麓には湯気、一周回って心地の良い硫黄の香り。

 


 


 ネオ箱根。

 


 


 今はまだ旅館だけだが、いずれあらゆる娯楽施設を詰め込んだ世紀末シティにしてやろう。

 


「そろそろサキュ子さん達も従業員となる下僕? を連れて帰ってくる頃でしょうし、明日から営業できるように旅館に戻りますか」

 


「そうだな。じゃあ、行こうか」

 


 俺はけもの道をくだろうとする。

 


「ああ、ちょっと待ってください!」

 


 アリ子が俺を制止する。

 


「俺の顔にささみでもついてるか?」

 


「いえ、そうではなくて…ずっと言えなかったんですけど、ありがとうございます」

 


 改まったアリ子の態度に、思わずドキリとしてしまう。

 


「…どうしたんだ急に」

 


「いつもデバッグおにいさんは常識に縛られない行動ばかりしていて…その、デバッグおにいさんを見てると、何でも出来そうな気になるんですよね。それと単純に、ここまで連れ出してくれてありがとうございます。…そういうことです」

 


「はは、なんだ改まって…」

 


「…」

 


 俺はむず痒くて視線を逸らしてしまったが、彼女は身を寄せ、前かがみになり、まっすぐ、ただ俺の瞳を見つめる。

 


 


 最近ではただの村娘としか思っていなかったが、よく見ると顔も端正で、目がくりっとしていて、肌がきめ細かく、髪も透き通って綺麗だと思ってしまった。

 


「…ど、どういたしまして、だな」

 


 根負けしたのは自分だった。

 


 


 つい口ごもった返事をしてしまう。

 


「うむ、よろしい。さて、目的の返事も得られたことですし、戻りましょうか。みなさん待ってますよ!」

 


「ふぅ…」

 


 これは1枚とられたなぁ。

 


 アリ子はけもの道を掻き分け、元気に俺に手を振りながら駆けていく。

 


「あ、おい! この辺はモンスターが出るんだぞ! あまり走るな!」

 


「大丈夫ですよ〜! 今日のわたしは大丈夫なんです!」

 


 慌てて終えども追いつかず。

 


 これほどアリ子に振り回されたのは、今日が初めてだった。

 


 


 


 


 


 


     *

 


 


 


 


 


 


 


「クラッチを離し…車体を曲げる!」

 


 容易い容易い。

 


 実に容易い。

 


 モンスターバイク『スフィアナイト』の前では、峠など赤子も同然。

 


「グオオオオオオオオオオ!」

 


 エンジンが今にも燃料を飲み干さんと唸りをあげ、吠える。

 


 私はその怪物に答えるべく、スロットルをフルで回し、風となる。

 


「ふはははは! 実に愉快痛快! バーチャルリアリティでしか味わえないこの疾走感! クセになりますね…」

 


 童心に帰るとは、まさにこの事だ。

 


 


「ま、魔王センパイ…自分もう…ぐぷっ」

 


 私のポケットから現れた小型モンスターと化した部下の瀬川クンは、どうやらモンスターバイク『スフィアナイト』にひれ伏してしまったようだ。

 


「仕方ありませんね…そこの建物で休憩しますか」

 


 眼前には、『Dおに健康ランド』なる怪しい建物がそびえ立っていた。

 


「は、はい…」

 


 満身創痍、我々は意を決して『Dおに健康ランド』へと向かうのであった。

 


 


 


 


 


     *

 


 


 


 


 


 


「ふむふむ、ここが例の…おえっ」

 


 流石にスライムの身体を利用してのバイクの機関部に潜り込む作戦は無理があったようで、その反動がかなり来ている。

 


 だが、踏ん張らねば。

 


 魔王パイセンにも、瀬川クンにも、私がこっそりと着いてきたことには気がついてないようだ。

 


 大丈夫、まだ歩ける。

 


「大丈夫、大丈夫…」

 


 魔王四天王となり、桃色スライムの肉体を得た私には、使命があるのだ。

 


 それも魔王パイセンには打ち明けることも出来ない大仕事。

 


 ではでは、人間に擬態して。いざ、美少女の湯へ!

 


 


「お邪魔しま〜す」

 


 私はDおに健康ランドの暖簾をくぐる。

 


 するとそこには、何故かパンイチのマッチョ男がいた。

 


 


「ようこそいらっしゃい、Dおに健康ランドへ!」

 


 こ、声がでかい。

 


「ど、どうも〜」

 


 思わず微妙な返事をしてしまう。

 


「試験運転ということで、入場料はタダだ。どうぞくつろいで行って欲しい」

 


「あ、ありがとうございます」

 


 怪しまれぬうちに脱衣場へと向かわねば。

 


 私は小走りで、しかし自然な感じを装い脱衣場へと向かう。

 


 大丈夫、大丈夫…

 


 


「ちょっとお待ちを!」

 


 


 大きな声で、パンイチ男に話しかけられる。

 


「ひ、ひゃい!?」

 


 思わずキョドる。

 


「…」

 


 男はそっと私に手を伸ばす。

 


 何か、ミスを犯してしまっただろうか。

 


 …いや、そんなはずはない。

 


 ないはずだが、男の手は伸びる。

 


 もはやここまでか…!

 


 一か八か、モンスターに戻るしか…!

 


 


「…いや、止めておこう。NPCと言えど迂闊な行動は避けるべきだったな。すまん」

 


 そういうと、男は手を引っ込めます。

 


 なんだったのか、一体。

 


 気が変わらないうちに脱衣場へと逃げ込んでしまおう。

 


 


 


 


「ふぅ、危機一髪」

 


 私は深いため息をつきながら女湯の暖簾をくぐる。

 


 そりゃため息のひとつも出るか、男にバレそうになったのだから。

 


 今更だが、あのパンイチの男が、話に聞いていたデバッグおにいさんなのだろうか。

 


 いや、今はそんなことどうでもよい。

 


 美女で溢れる秘境があるかもしれないのだ。

 


 私は裸体の女性に変化する。

 


 もっとも、リアルでも女性だから、モンスターに変身してその能力で女性になるってのもおかしな話ではあるが。

 


 さあ、いざ天国へ!

 


 更衣室のロッカーを曲がる。

 


 突き当たり、そこが温泉のはずだ。

 


 


 しかし、事件が起きた。

 


 


「お、おねえちゃん…」

 


 なんと、水色の髪をした幼女が裸体で泣いているのだ

 


 それに、私はこの子をよく知っている。

 


「か…」

 


 可愛い。

 


 私は幼女を舐めまわす、じゃなかった。舐めまわすように眺め…でもない。淑女然とした態度を以て話しかける。

 


「き、ききききききみおなまえは?…はぁ…はあ…」

 


「おねえさん、だれ?」

 


 水色幼女はうるうるとした目でこちらを見つめ返す。

 


 やはり間違いない。

 


 彼女はジゼル、リードキャラクターデザイナーである私がデザインしたキャラクターの一人だ。

 


「カワダって言います。墨田川の川に田中正造の田で川田。き、きみは?」

 


「ワタシはジゼル…おねえちゃんとはぐれちゃって…銭湯に初めて来たから…分からないことだらけで、おねえちゃんと一緒に入ろうねって…」

 


 守らねば。

 


 この姿を見て、そう思わない人類がいるだろうか、いや、いない。

 


「あー、それなんだけどね。おねえさん銭湯来たことあるからさ、一緒に入ってあげようか。湯船に来る約束してたなら、きっとここに来ると思うし、ね? どうかな」

 


「うん…そうする…」

 


 きたきたきた!

 


 幼女、風呂。

 


 自分の考えた最強に可愛い幼女の裸体を眺める…じゃなかった、洗髪を施すチャンスはまたとない。

 


 そのためならば、命を賭けられるほどだ。

 


 いざ征かん!

 


 私は心の中で叫びながら、大浴槽へと続くドアを開けるのだった。

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