前日譚1 追憶〜鎖される刀〜

 これは武が壊れたものクランプスと遭遇する、1年前の出来事である。


 晴国へと向かう船の上に武はいた。


「陽ノ下の国から出るのは初めてです」


 気分が高揚する武に対して、緋梅は落ち着いた声で返す。


「遊びに行くんじゃないのよ」

「わかっていますよ

 俺たちは、晴国の帝と交渉するんですよね

 でも、何があっても大丈夫

 俺が緋梅様を守りますから!」


 カラッと晴れたような笑顔を見せる武に、緋梅は柔らかい表情を向けた。


「頼りにしているわ」

「もちろんです!

 なんて言ったって、俺は陽ノ下の英雄ですよ」


 晴国は陽ノ下の国から、およそ船で2日ほどかかった。

 航海は2日目になると、武はその経験の無さから船酔いをしてしまった。

 船の甲板で寝ている武に、緋梅は声をかける。


「出発したときの、威勢はどうしたの?

 陽ノ下の英雄さん」

「からかわないでくださいよ

 船なんて乗ったことなかったんですから」

「そんなあなたに朗報よ

 そろそろ晴国に着くわよ」


 船が晴国の港町、常海チャンハイに着く。

 桟橋には、すでに晴国の軍隊が待ち構えていた。

 その軍隊の最前列に、槍を右手に持ち、すらっと背の高い男が立っていた。


「よくお越しになりました、叔母様」

「その呼び方は、やめてちょうだい、李羽リウ


 李羽と呼ばれた、その男はフッと笑った。


「実際、あなたは、私の叔母にあたるのだから、そう呼ぶ以外ないじゃないですか」

「それでは、緋梅と呼んでくださる?」

「検討いたしましょう」

「昔から食えない子ね」


 その言葉を無視して、李羽は城へ向かうため、止めていた牛車へと緋梅たちを案内した。


「結構、陽ノ下と雰囲気が似てるんですね」


 緋梅の後に続く武がポツリとそう呟いた。

 街並みは、陽ノ下と同じく木造建築が多く、町を歩く人々の服装の多くは、麻の着物を纏っていた。


 李羽はその呟きを受け、足をピタリと止めた。


「陽ノ下と似ている?

 違うな、陽ノ下が我々に寄せたのだよ、英雄くん」


 李羽はその切れ長で鋭い視線を武へと向けた。


「我々晴国と現在の陽ノ下の国とは、何百年と昔から、文化的な交流が行われてきた

 交流と言いつつ、ほとんどが我々の技術を、君らに授けたにすぎないわけだが

 こんなことは、歴史の基礎中の基礎だ

 そんなことも知らないとは、噂通りの野蛮な、鬼の子と言ったところか」


 そこに、緋梅は語気を強めて、言い返す。


「李羽!私たちの英雄を愚弄するのはやめていただけるかしら?」

「陽ノ下の英雄が、この程度の教養も知らない、不躾な男であったことが、残念なだけですよ

 それでは、急ぎましょう

 帝も待ちかねています」




 緋梅は、晴国の帝都、金京ジンキンへ向かう牛車の中で、晴国の独自の宗教観について語り始めた。


 緋梅と李羽の家系は、晴国の貴族階級に属する、有名な一族であった。

 晴国では、火を崇拝する、敬火教と呼ばれる宗教が広く信仰されてきた。

 晴国は、火とともにその繁栄を築いてきたのである。


 敬火教の信仰対象とする、火というのは、松明や蝋燭に灯されたものだけではなかった。

 その最大の信仰対象は、日の光であった。

 日の光が万物を創造する、源であると信じられており、日の光が雲によって隠れたときは、神の意向に背いた罰であるとした。


 神を宥めその罰を償おうとするものとして、【火の巫女】という存在が、晴国にはいた。

 この【火の巫女】を代々全うしてきたのが、緋梅と李羽の一族である。

 現在その【火の巫女】の責務を果たしているのが、李羽の妹、白艶であった。


 【火の巫女】は晴国の象徴そのものであり、多くの人々が敬い、よりいっそう敬火教の信仰心を強めた。




 緋梅と武は、玉座の前に両膝をつき、両手を胸の前で組んだ。


「よくきたな、緋梅よ

 元気にしていたか」

「お久しゅうございます、陛下

 えぇ、おかげさまで元気に過ごしてございます」


 武は特に何というわけでもなく、晴国の帝を見ていた。

 その男は、平たい板が載った冠を被っており、板の両端には、玉飾りが垂らされていた。

 周りを見ると、帝を取り囲むものたちもまた、同じ冠を被っていた。


「そやつが、将照の秘蔵っ子か」


 帝は武を一瞥すると、すぐさま話を切り替えた。


「そちらに、はるばる我が国に来てもらったのは他でもない

 そちらの国名を変えてもらいたいのだ」


 武たちが来たのは、晴国側からの要請であった。


「そちらは、自国を陽ノ下の国と称しているようだが、それは困る

 陽ノ下とは、つまり日の光の下ということだが、我が国教が、敬火教であることを知っての選定か?

 日の光の加護は、晴国でなく、そちらの国にあるということか?」


 緋梅は恭しく、帝へ返答した。


「いえ、そのようなことはございません

 しかし、日の光とは、独占できるものではございません

 我々の国は、日の光とともにあらんとする、貴国への敬意を込めて、この国名を選定したまでにございます」


「戯言を!」


 帝のそばに控える、高官の1人が緋梅に向かって吐き捨てる。


「やめんか、ここは童の喧嘩場ではないぞ」


 帝はその高官を嗜めると、緋梅へ向き直った。

 

「我が国への敬意を含んでいると、その認識して良いのだな」

「はい、偽りはございません」


 帝は手に持つ笏で、口を隠して笑った。


「なかなかに食えぬな、お主は

 あの将照の坊には、勿体無い」

「いえ、私にはあの人しかおりませんよ」

「お熱いことよ」


 帝は笏の先端を緋梅へと向けた。


「この件に関して、不問といたそう

 今宵は宴を用意してある

 存分に楽しむといい」


 緋梅は、それまでの強張った表情を緩め、安堵した様子だった。

 武は、帝と緋梅のやり取りの内容を理解できなかったが、緋梅の安堵した様子を見て一安心した。




「無事、交渉終わって良かったですね」

 

 宴の席で、食事を皿一杯に盛った武は、緋梅にそう告げた。


「えぇ、帝もお話がわかる人だから、難しいことにはならないと思っていたけれど、すんなり済んで良かったわ」


 そう返した緋梅は、武の皿を注視した。


「とはいえ、そんなに料理を大量に盛っては、はしたないわよ」

「いいじゃないですか

 晴国料理、結構好きなんですよ」


 緋梅と武の他、陽ノ下から十数人の臣下が、この場にいた。

 なぜか、玉座の前に案内されたのは、緋梅と武の2人だけであった。


 陽ノ下の集団を掻き分け、武と緋梅の間へとやってきた男がいた。


「我が国の料理を、気に入ってもらえるとは光栄だよ」


 武たちを帝都まで案内した、李羽であった。

 李羽は、ツヤ感のある黒いシルクに、背丈ほどの長い布を、右脇あたりでボタン留めされた衣服を身に纏っていた。

 晴国の他のものたちも色こそ違うが、同じような質感と形の衣服を身に纏っていた。

 武はその顔を見て、内心でげっという声が出た。


「また、何か皮肉でも言いに来たのかしら?」


 緋梅はジト目で、李羽を迎え入れた。


「そんなに警戒なさらずに

 シワが増えますよ」

「本当に、人の神経を逆撫でするのが得意ね」

「それほでではございませんよ」

「褒めてないわ」


 目まぐるしい会話の応酬の中、武はその場から抜け出し厠へと向かった。


「英雄くんは、逃げ出したようですね」


 李羽は、武の後ろ姿を見て、そう呟いた。


「あの子からすれば、こういう場は合わないのよ

 あの子にとって、自分のいる場所は戦いのある場所だと思っているの」

「では、この場が戦いの場になったとしたら、彼はすぐに戻ってくるのですかね?」

「それは、どういう−」



 

 武が厠から出ると、周辺が少し騒がしくなっていた。


「大変だ、武、緋梅様が!」


 武を見つけて、急いで駆けつけるものがいた。

 そのものは、小袖に袴を身につけた、陽ノ下の人間であった。


「緋梅様がどうした?」

「緋梅様が、晴国のものたちに急に攫われた!」

「どうして、急に?

 交渉は成功したはずじゃないのか?」


 武もまた、慌てていた。

 自分の離れている間に起こったことに、責任を感じていた。


「わからん

 ちょうど攫った人間を追いかけて、ある部屋に入っていくところを見たんだ

 俺1人では、心許ない

 お前の力を貸してくれ」


「もちろんだ!」


 そういうと武は、腰に差した刀に手を添え、男に案内された部屋の前へとやってきた。

 その部屋の扉は、他の部屋と比べて大きく、雰囲気が異なっていた。


「ここだ

 ここに、緋梅様が連れ去られた」

「わかった、一気に行くぞ」


 武は扉を肩で押して、勢いよく入っていく。


「緋梅様!助けにきました!」


 部屋に入った瞬間に、刀を引き抜いた。

 しかし、そこにいたのは、桜よりわずかに小さな少女、ただ1人だった。

 部屋の中は、四つの角に松明が置かれ、その中心に敷かれた絨毯に少女は両膝をついて、天に向けて握った両手を掲げていた。


「ここは、一体?」


 疑問を浮かべる武に対して、少女は武を見るや否や、両手を解き上半身を後へ仰反るように、怯え始めた。


「あなたは、誰ですか?

 なぜ、私に刃を向けるのですか?」

「俺も聞きたい

 ここはどこで、緋梅様はどこに行った?」

「緋梅?」


 その時、武は背後から強烈な一撃を喰らい、片膝をつく。


「誰だ?」

「貴様こそ、ここで何をしている?」


 背後に現れたのは、槍を持った李羽であった。

 武の首筋へと、穂の刃を向けた。


「お兄様!来てくれたのですね」


 少女は李羽に対して、歓喜の声を上げた。


「白艶、心配をかけてすまなかった

 この賊は、私が捕まえよう」

「賊?何を言っているんだ

 俺はただ緋梅様を助けようと」

「叔母様を助けるだと?

 叔母様なら先ほどまで、ずっと私と談笑されていたが

 一体、何から助けるんだ?」


 武の目が大きく開いた。


「我々の宴会場に、陽ノ下の英雄が【火の巫女】のいる礼拝堂へと侵入したという通告があってな

 急いで来てみれば、どうやら事実のようですよ、叔母様」


 陽ノ下の臣下を引き連れ、緋梅もまたこの礼拝堂へとやってきていた。


「違うんです

 俺は緋梅様が、晴国のものに攫ったと言われて」


 弁明する武を遮るように、李羽はその語調を強めて返した。


「なぜ、我々が叔母様を攫う必要がある

 本日より更なる友好が築かれるというのに」

「そ、それは-」


 言葉に詰まる武に対して、緋梅はこの状況を冷静に見ていた。


「もし、武の話が本当なら、あなた方、晴国の誰かが私たちを嵌めようとしていることになる」

「だから、なぜそのようなことをする必要が-」

「あなた方が、武を消したいからでしょう」


 その場にいたすべての人々が騒然となる。


「私たち、陽ノ下が力をつけてきたことを、特に主力たる、武の存在を恐れているのではなくて?」

「何を世迷いごとを

 しかし、こやつが犯した罪は、この国において非常に重大なものです

 【火の巫女】の礼拝を妨害すること、そのこと自体が重大な罪なのです

 ましてや、命を狙ったのであれば、極刑は免れないでしょう」


 緋梅はこのとき、目を瞑った。

 その瞼の裏には、夜な夜な自室へやってくる、暗い顔をした昴を思い出していた。


(ごめんね、昴)


 緋梅は目を開き、李羽に強い眼差しで答える。


「私が、武の罪を被るわ

 あなた方が私たちの英雄を貶める意図がないなら、私がこの罪を被ったところで問題ないはずよ

 そもそも、この場での陽ノ下側の責任者は私よ

 私が責任を取るのが、筋ではなくて?」


「緋梅様!何をおっしゃっているのですか

 あなたに何かあれば、我々は親方様にどのように顔向けすれば」


 臣下の1人がそう告げると、緋梅は覚悟を決めた表情を向けた。


「では、武をみすみす、ここで殺してもいいというのですか

 それこそ、陽ノ下、しいては将照様の力を削ぐことになるのではなくて?」

「それは…」

 

 その臣下は、返す言葉を失った。

 何よりも緋梅の覚悟に、水を差すことができなかった。


「叔母様のいうことも一理ありますね」


 李羽は合点がいったように頷いていた。

 臣下は食い下がったが、武の天秤においてはやはり自分自身の重みは小さかった。


「ダメだ、緋梅様!

 俺が罰を受ける

 あなたがそんなことする必要ない」


 首に迫った槍越しに武は叫んだ。


「お前は黙っていろ

 つまり、叔母様は、我々がこの男を処刑することに固執すれば、陽ノ下の戦力を割くための工作を行ったとおっしゃりたいのですね」

「えぇ、そうよ」


 武はずっと首を横に振り続けていた。


「ダメだ、そんなこと

 言ったじゃないですか、何があっても守るって

 だから、俺のことなんて」


「武、私たちの国には、あなたが必要よ

 あなたはまだ死んではいけない」


 そう言い残すと、李羽が呼んだ兵士たちによって、緋梅は両手を拘束され連れて行かれた。

 その時に見せた最後の笑顔は、武の心に強く刻まれた。


「哀れだな、英雄くん

 主君の妻さえも守れないとは」


 李羽はそういうと、武の首根っこを掴んで礼拝堂から放り投げた。

 武はしばらくの間、その場に留まっていた。




 明朝、城内の広場にて、緋梅の処刑が執り行われることとなった。

 緋梅の処刑を諦めきれなかった武は、処刑台の前方から離れたところに現れた。

 処刑台前方には、晴国の兵士たちが列をなしていた。


(俺には納得いかない

 緋梅様も救い出して、陽ノ下へ帰るんだ)


 胸中で宣言し前方の兵士たちを押しのけようと、武が走り出そうとしたとき、複数の男たちが武の身体を押さえ、その場に拘束した。

 拘束した男たちは陽ノ下のものたちだった。


「なぜ、止めるんだ?!

 緋梅様を助けるんだ

 邪魔をしないでくれ」


 武を拘束する男の1人が答える。


「頭を冷やせ、武

 お前、いや俺たちみんなで行ったところで、緋梅様は助からない

 それどころか、俺たち全員が死ぬだけだ」


 武は激昂した声色で、弱々しい男の主張へ返す。


「そんなに死が怖いか

 俺はここで、緋梅様を救えない方が怖い!」


「勇敢と無鉄砲は違うぞ

 お前がここで出ていくことさえ、晴国の奴らは織り込み済みかもしれん

 そうなれば、俺たちは、緋梅様だけでなく、お前さえ失うことになる」


 武は男の言葉を聞いて、諭されるものの感情の面で納得していなかった。


「でも、俺は陽ノ下の英雄だ

 これくらいの苦難を超えてこその英雄だろ!」


「違う、冷静さを欠いて、力にだけ頼ろうとする今のお前は、英雄なんかじゃない」


 グッと武はその言葉を飲み込んだ。


「俺たちには、お前が必要なんだ

 緋梅様が、せっかく罪を被ってくれたんだ

 ここで無駄死にしないでくれ」


「でも、俺は−」


 武にとって緋梅は、心の拠り所で、記憶の中で初めて母親のような愛情を注いでくれた人だった。

 そんな代替不能な人物を、見殺しにすることなんて、やはり武の感情が許さなかった。

 自己保身のためでなく、自分が蒔いた種だからこそ、それを刈り取らなければならないという使命感が内側にあった。


 武は押さえ込む陽ノ下のものたちを振り払い、一気に走り出す。

 武はただ我武者羅に晴国の兵士たちの間を潜り抜けていった。

 だが、なぜか、その兵士たちは武を取り押さえようとはしなかった。

 

(俺が、俺が救うんだ!)


 ひたすらに掻い潜った武が最前列まで迫ると、そこに緋梅の顔の輪郭が見えた。


(待っていてください

 今行きま-)

 

 武は胸中ですら、その言葉を失った。

 最前列を抜けると、武が目にしたのは、斬首された緋梅の亡骸だった。

 その首は、木製の台の上に置かれていた。


「あぁぁぁぁあぁぁぁ」


 武はその声が枯れるまでに叫び続けた。

 涙は出なかったか、もしくはそれさえも枯れていたのかもしれない。


 渦巻く感情が、武の精神の奥深くへと侵食していく。


(何が、英雄だ、

 何があっても守ります、だ

 そんな自負も約束も全部、嘘じゃないか

 俺は、英雄なんかじゃない

 俺は、何も守れない)


 精神の奥深くへと渦巻くその感情は、次第に形を成していき、武の心、つまり刀を強く鎖で締め付け始めた。

 武はその鎖の音を無意識に聞いていたはずだが、それを認知できるほどの精神状態ではなかった。


 その後取り押さえられた武たち、陽ノ下のものは、自国へと強制的に送還された。




 大雨の陽ノ下、城下町・檎園へと帰郷した武たちから、緋梅の死が知らされる。

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