晴国編

第10話 旅立ちの日

 桜は、青見ヶ丘の一本松の根元に、一通の手紙を埋めていた。

 その内容は、母である緋梅ひめに向けたものであった。

 緋梅の遺体は、晴国から帰ってくることはなかったため、彼女の墓はなかったが、桜にとって、一本松がそれに相当するものになっていた。


----------------------------------------------------------------------

お母様


そちらではお元気に過ごされていますか?


1週間前、城が燃え、お父様が亡くなられました。

今頃はそちらに着いているでしょうか?

それとも、もう少しだけ、私たちを見守ってくれているのでしょうか?


昴は、まだ行方がわかりません。

霧鮫きさめからは、きっと避難しているはずだと伝えられました。

でも、それなら私たちの元に来てくれてもいいはずです。

何か、昴なりの理由があるのか、霧鮫が私に嘘をついているのか。

嘘をつくにしても、理由があるはずですよね。

今はその理由がわかりません。


武は城が燃えた夜、霧鮫の肩を借りて隠れ里へ帰って来ました。

私はそのときの表情を、今も忘れることができません。

お母様が亡くなられた、あの事件から帰ってきたときと同じ、自分自身を手にかけてしまいそうなほどの深刻な顔でした。

その顔を見て、お父様が亡くなられてしまったのだとわかりました。


彼は、傷ついた身体を引きずりながら、私の前で深く深く頭を下げていました。

何度も何度も頭を地面に打ちつけて、額からは血が滲んでいました。

私はとても耐えられませんでした。


膝をついて、彼の両肩を強く握ると、彼の顔は血と泥と涙でぐちゃぐちゃでした。

そんな彼を非難することなどできませんでした。

そもそもするつもりも、する資格も私にはないのです。

お母様がしてくれたように、強く抱きしめてあげたかったけれど、私の小さな羞恥心がそれを邪魔しました。


武に、お父様を救おうとしてくれたことを深く感謝しました。

一方で、お父様の最後に立ち会えなかったことを後悔もしました。

そんな感情が武に伝わらないように、表情を固く結んでいました。


武が傷の手当てをしに、長屋の奥の部屋に向かっていくのを確認してから、私は外に出ました。

城の方角はもう明るくなくなっていました。

独りになった私は、涙を抑えることができませんでした。


お母様だけには告白しておきたいのです。

私はとても無力です。

お父様を救うことを武に預け、傷ついた武を看ることもできず、昴の行方もわかりません。

お母様に代わって家族を支えたかったのに、私には何一つ力になることはできなかったのです。

私はその無力感に涙を流してしまいました。


身勝手な涙なのかもしれません。

私はお母様のような深い愛で誰かを救い、支える人になりたいと思っています。

だから、この涙はこれで最後にしようと思います。


武は、放火の下手人を捕まえるべく、はれ国へと向かうと言っていました。

霧鮫は、そんな武を助けるために、一緒に晴国へ向かうようです。


私も、お父様を死に追いやった下手人を捕まえるため、共に晴国へ行きたいと考えています。

私が行っても2人の足手纏いになるだけでしょうか?

それでも行きたいと思っています。

どうか背中を押してくれると助かります。


いつも、私の悩みばかりを聴かせてしまって申し訳ありません。

また、ここに足を運びます。

そのときには、楽しいお話を聞かせられるように頑張ります。

それまでは、どうかお元気で。

                       桜

----------------------------------------------------------------------


 桜は、土を被せ終えると、立ち上がり額の汗を拭った。

 日は少し傾き始め、青見ヶ丘から見える町の人々は夜に向けた準備を始めていた。




 城の跡地に、武は来ていた。

 昴との戦いから、1週間経ったことでようやくこの場に来ることができた。

 檎園ごえんの町を見守るように聳え立っていた城は、わずかにその石垣のみを残すだけになっていた。

 

 石垣の上には、いくつかの人骨が散らばっていた。

 武は己の無力感を痛烈に覚えた。

 多くの犠牲が出たにも関わらず、助けようとした将照まさてるすら救えなかった。

 

 硬く縛られているためか、内側からの鎖の音を武は聞くことはなかった。

 あれ以来、自身のうちに秘めた刀を握ることはなかった。

 やはりまだ、自分の意思でその刀を掴むことはできないでいた。


 そのとき、霧鮫の声が武の背後から聞こえた。


「そろそろ出るぞ」


 霧鮫の声は、普段よりかは少し柔らかいものだった。

 武は小さく、あぁと言うと石垣から目を逸らし、霧鮫の方へと向かう。

 2人はかつての城門を抜け、城跡から歩き出した。


「何を考えていた?」


 霧鮫は平静を装って、武に尋ねた。


「大したことじゃない」


 武の言葉には力がなかった。

 実際のところ彼が今動かされているのは、将照から昴を任されたことの使命感にすぎなかった。

 

 霧鮫はどこか苦々しい表情を浮かべながらも、言葉を返せずにいた。

 武が自責の念にかられていることはわかっていたのにも、関わらず不必要な質問をしてしまった自分を恥じるように、霧鮫は小さく、そうかと呟いた。

 その声を武は聞き取れていなかったが、霧鮫は気にしないことにした。

 

 沈黙の中、檎園の夜を歩く二人を待ち構える、一人の女性がいた。


「私も一緒に連れていってもらえるかしら?」


 桜は弓を背負い、左肩には矢の入った筒をぶら下げていた。


「お気持ちは嬉しいですが、今回の件に桜様を巻き込むわけにはいきません」

「私も、もう十分に巻き込まれているわ

 お父様の仇を、確認する必要が私にだってあると思うの」


 食い下がらない桜に対して、霧鮫は後頭部をかきながら困っていた。

 一番の理由は、晴国で昴と桜が遭遇する危険性から来ていた。

 昴を放火の犯人とも、青見ヶ丘であった仮面の男とも、伝えるわけにはいかず、消息不明としていることに、半信半疑であることも、霧鮫は桜の表情から察していた。


「次は私の番なの!

 いつも武に頼ってばかりだったから、今度は私が武を助けたい」


 真剣な眼差しの桜を突っぱねることは、霧鮫にはできなかった。


 武にとって、その表情は目を背けたくなるようなものになっていた。

 桜の表情こそ、武の罪を被ることを決意した緋梅のものと大きく重なって見えたからだった。


 桜を連れていけば、危険に晒されるかもしれない。

 無断での入国ゆえに、間者とされて拘束もしくは、緋梅のときと同様に何かしらの工作がされ、処刑まで持っていかれるかもしれない。

 しかし、不思議なことに、桜のこの表情を無下にすることはできなかった。

 

 武は瞼を一度閉じ、将照と緋梅を思い出す。

 もう一度瞼を開けた時に、一呼吸置いてから武は答えた。


「わかりました

 一緒に行きましょう」


 武がそう答えると、桜は嬉しそうに感謝を述べた。


「ありがとう!」


 霧鮫は額に指を当て、思案していた。

 そこへ武が追加で答える。


「でも、何があっても無茶はしないでください

 俺か霧鮫から絶対に離れないでくださいね」


 将照と緋梅を亡くし、昴が闇に飲み込まれてしまった、武にとって桜は最後の砦であった。

 せめて彼女だけは守らなくてはならないと強く決意した。


「わかった

 もちろん、単独行動とかはしないから安心して」


 桜は、拳を胸の前で強く握った。

 武はその姿と、初めて出会った頃の桜が重なる。


『私、桜!

 あなたより年は下だけど、この城のことは詳しいから、お姉ちゃんよ!』


 腕を腰の後ろに組んで、自己紹介をした幼き日の桜の姿だった。


「大きくなられましたね」


 武の表情がわずかに綻んだ。

 桜はどこかキョトンとした表情をしていたが、武のわずかに溢れた笑顔に、より明るい笑顔で返した。

 そのやりとりを見ていた霧鮫は、まいったなといった風に、口角をわずかにあげながら、2人に声をかけた。


「これからのことは、動きながら話しましょう」


 霧鮫は港へ向かうため、武と桜を先導した。

 

 檎園から港までは、およそ一刻はかかる。

 その道中で霧鮫は、武と桜に晴国へ向かう方法について説明し始めた。


「今回、俺たちは晴国と交渉をしに行くわけじゃありません

 だから、あまりに大きな船で行くと、変な衝突を起こしかねません」

「それじゃ、帆船は無理ってことよね」

 

 桜がそういう付け加えると、霧鮫は小さく頷いた。


「その通りです

 親方様が亡くなられたことは、まだごく一部しか知りません

 このことを民衆や他の地域を統治する大名たちに、知られないためにもこの晴国への調査は俺たち3人で、秘密裏に進めなくてはなりません

 そのため、帆船を動かす人手が足りません」

「それじゃ、どうやっていくんだ?

 歩いては無理だろ?」

「手漕ぎで行くぞ」 

 

 霧鮫の回答に武は驚きを隠せずにいた。

 それは以前の晴国への経験から来ていた。


「晴国まで帆船で行っても2日はかかるんだぞ

 それを手漕ぎなんて、どれだけ時間かかるんだよ」


 待っていましたとばかりに、霧鮫は自信ありげに答える。


「それを可能にするのが俺たち、忍よ

 諜報活動は何も国内だけじゃない

 国外、特に晴国への諜報活動も、俺たちの仕事だ

 バレないように入国した経験はすでに何度もある

 任せてくれ!」




 晴国は、東側に海が、西側に山がある。

 その面積は広大で、陽ノ下の国の約20倍あり、人口はおよそ10倍である。

 東側の東晴海ひがしせいかいは、晴国と陽ノ下の国を繋ぐ、航路になっているが、西側の西嶺岳せいねがくは、西洋国との交流を妨げるほどの高度だと言われ、その文化の流入はこれまでなかった。

 陽ノ下の国から晴国に向かうには。東晴海を渡り玄関口とも言われる、常海チャンハイに向かうのが基本である。


 東晴海上に浮かび、小舟の船尾に対して武、霧鮫、桜の順に座っていた。

 霧鮫が櫂で舟を漕いでいた。

 夜に出たが、視界良好で波は落ち着いていた。


「今回の場合は人目を避けるためにも、常海チャンハイから入国するのはやめておいた方がいいかもしれませんね

 常海チャンハイには晴国の軍隊も駐在している

 そこで、常海チャンハイから南側に位置する、紅山ホンシャンという集落にまずは向かいましょう」


 意気揚々と説明する霧鮫に、武は小舟の側面を撫でながらいった。


「これで本当に2日かそこらで着くのか?」

「すぐに着いてみせるさ

 心配なら、お前が代わってくれもいいぞ」


 武は両手を振ってその提案を拒否した。

 その様子を見ていた桜がクスッと笑った。


「なんだか、少し前の2人に戻ったみたいで良かった」


 武と霧鮫は目を見合わせ、鬼北での出来事を思い出す。

 

「ちょっとありましたからね」


 武が答えると、桜は少しムッとした表情をした。


「含みのある言い方なの?

 私には秘密なわけ?」


 壊れたものクランプスについて伝えるべきか、武は答えあぐねていた。

 うまく説明できる自信がなかった。

 壊れたものクランプス万有に通じる賢者ワイズマンや昴のことについて考えると、武はその内側で思考する言葉を失った。

 正確には考えるほどに、言葉が雲散霧散となっていったのだった。


 そんな武を振り向き様に一瞥し、代わり霧鮫が先に答え始める。


「にわかには信じられないかもしれませんが、鬼北の遠征で俺は化け物になったんです

 人が心を壊すことで変化する、壊れたものクランプス

 そこから武が救ってくれたんです」


「くらんぷす?」


 初めて聞く単語に困惑する桜は続け様に質問する。


「どうして、壊れたものクランプスに?」


「恥ずかしい話ですが、俺は武に対して劣等感をずっと抱えていました

 そこを今回の放火の首謀者、万有に通じる賢者に利用されて、壊れたものクランプスになったんです」


「でも、霧鮫が元に戻っているなら、武には元の状態に戻す力があるってことなのよね?」


 桜は霧鮫越しに覗くように、武を見た。

 武は黙っていた。

 【霊息処プレーマ】での老爺とのやりとりを思い出すが、自身の心の解放は今の武にできるようなものではなかった。


「まぁ救われたのは確かなことです

 武がそういう力を持っているのも確かだと思いますよ」


 桜の目線を隠すように、霧鮫が間に入った。

 霧鮫はまだ武があの燃える城の中に、囚われていることに気づいていたが、それをどのように解消するべきかをわかりかねていた。


「武の力の正体を知っている人っていないのかしら?」


 桜の問いに該当する存在として、武と霧鮫は万有に通じる賢者が浮かんだが、簡単に教えてくれるとは思えなかった。

 彼が開示するのは、いつだって彼にとって都合の良い時機出会った。


「老師は知らないかしら?

 陽ノ下で軍師をしてくれていた、葛明かつめい老師」


 桜のいう、葛明かつめい老師とは豊富な知識を用いた優れた兵法を提案し、多くの戦を勝利に導いた人物であった。

 将照が青年の頃から従者や家来などではなく、彼にとって指南役として仕え、将としての武力だけなく心構えもまた教えていた存在だった。

 2年前にもう教えることはないと言い残し、陽ノ下の国から晴国へと帰郷していた。


「老師と会ってみましょう

 何か教えてくれるかもしれない」


 武には葛明かつめい老師に聞きたいことが他にもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る