第9話 戦いの果てに

 昴は、黒い渦に覆われた刀で、武へと向かっていく。

 それに対して、武は、鎖から解き放った刀を中段に構える。

 城の火は刻一刻と、その強さを増していく。


 昴は上段に構え、大振な一撃を武へと放つ。

 武はその一撃を右へと回避するとともに、左腰へ刀を平行に構え、横薙ぎに払おうとした。

 しかし、昴の一撃は、床に大きな亀裂を入れ、そこに大きな穴が生じる。

 その衝撃で、武は体の重心を崩しそうになるが、両脚で強く踏ん張った。

 

(避けるたびに、城の崩壊を早めてしまう)


 武は、その場から高く跳躍し、昴の視線を上へと向ける。

 昴は、その禍々しい刀を、武の着地点へと振り上げる。

 武もまた、体重を乗せた一撃を、振り下ろす。


 ドーンと二人の刀の衝撃音が、城全体を揺らした。

 武は歯を食いしばったような表情を浮かべ、昴はうっすらと笑みを浮かべていた。


瘴気ミアズマ發つ」


 そう昴が呟くと、刀に纏われた黒い渦は、武へ一直線に放出された。

 近距離で、武は放たれた黒い渦を受け、天井を突き破るまでに押し上げられる。

 屋根裏に衝突し、自由落下によって、床へと打ちつけられる。


 カハっと武は吐血し、その小袖も袴もボロボロになっていた。


「どうだい、僕の力は?

もう十分にあなたを超えたよ」


 床に這いつくばる武を、見下しながら昴は続ける。


「僕はこれから、この力で、世界そのものを壊す」


 その言葉を聞き、二人の撃ち合いを見ているだけだった将照が口を開く。


「なぜ世界を壊す?

 この世界がお前に一体何をしたんだ?」


「僕は知っているんだよ、この世界で起こる様々な戦いを

 そして、その結果が生み出す、人間の負の感情全てを

 何人たりとも、その負の感情を制御できない

 だから壊すんだ、この世界そのものを」


「それは、お前の自己都合にすぎないんじゃないのか?

 お前は本当の世界の姿を知っているのか?」


 真っ直ぐに昴を見る将照に、昴はやれやれと言った様子だった。


「では、父上は僕の見ている世界を知っているのか

 醜い感情が、渦巻いて意識さえも飲み込んでしまいそうな、この世界を」


 将照は落ち着いた表情で語り始める。


「それは、お前がまだ若いからだ

 この世界の色んな側面や、多様な人々が、お前のその認識に、新たな気づきを与えてくれる

 この世界は、お前が思っているほど醜くわない」


 昴は、仮面の裏で目を大きく見開き、強くその言葉を否定する。


「若いからだと?

 年を重ねれば、この感覚は失われるとでもいうのか

 あなたも感じたことでもあるというのか!」


 将照は昴へ、その目線をそらすことなく、強く見つめていた。


「お前のいうものと、儂の感じたものが一緒かは分からぬ

 儂とて多くの戦いで、親しき友人、信頼する部下、そして、愛する妻を失った

 一方で、儂が起こした戦いで、同じように、愛しき人を失った人々もいる

 儂はその痛みを、苦しみを、今日まで忘れたことなどない」


 床に伏せていた武は、その言葉を聞いて少し安心した。

 武がこれまで信じてきた将照は、偽りのものではなかったと確信した。


 武は、これまで関わった全ての人々を思い出す。

 将照と緋梅がくれた人としての温かさ、ともに戦ってきた仲間たちや市井の人々の憧憬、霧鮫と分かち合った絆、そして、桜がくれた優しさ。

 これまでの全てが痛みだけじゃなく、力をくれる。

 そう確信したときから、武の全身の力がわずかに回復した感覚があった。



***********************

 途端に武の意識は、別の場所へと移っていた。

 カランコロンと扉に着いた、鈴が鳴る。


「ようこそ、いらっしゃいました」


 白髪に白髭をこさえた老爺は、そう迎え入れた。

 L字型のカウンターは扉に対して、長手側が垂直に設置されていた。

 老爺は、L字型のカウンターの角に相当するところの奥に立っていた。


「なんだ、ここは?」


 武は、陽ノ下の国で見ることない、レンガの壁と、天井から吊るされるガラスランプに驚きを隠せないでいた。


「ここは、魂の休息地、【霊息処プレーマ

 あなたが真の意味で、自身の心を知覚したときに、現れます」

「自身の心を知覚したとき?」

「そう、あなたは今、自身の本当の思いに気づいたのです

 これまでの多くの経験で傷つき鎖していた心を、解放するために」


 老爺は優しく語りかける。

 その言葉は、武が刀を抜いた時と同じような感覚をもたらした。


「心の解放?

 でも、それは結局、昴の闇を強めるだけじゃないのか」

「あなたは、まだ真に自分の心を解放していないのです

 刀を引き抜くことは、あなた自身の闇からの解放であって、心の解放ではありません」


 武は首を傾げていた。


「もうすでに感覚として気づいているはずです

 あなたの本当の願い、それがあなたの心の解放につながると」

「本当の願い…」


 武の脳裏に浮かぶ、多くの人々。

 将照、霧鮫、桜、緋梅、そして、昴。


「俺は、みんなを守りたい

 そのために俺の力を使いたい」

「そう、あなたの願いは、力は、人のためにあるのです

 だから、使命や責任のために、あるわけではありません

 あなたは、あなたの願いを実現するために、その力を使うのです」


 そのとき、武の刀の表面にいくつか亀裂が入っていく。

 亀裂の間から、内側の光が漏れ出していく。


「その力の名前は、【霊装】

 そして、その刀の真名は−」

***********************



 将照の痛みを忘れたことがないという発言に、昴はハッと鼻で笑った。


「言葉の上では何とでも言える

 人の心などわかるはずもない

 武力で支配するあなたなんかに!」


「お前はどうだ?

 身に余る力を手にいれ、愉悦に浸り、世界を壊そうと企む、お前は本当に人の心がわかっているのか?」


「うるさい!わかったように語るな!!」


 昴は、右手の掌底を前へ出し、そこに黒い渦が生成される。


瘴気ミアズマ!」


 放たれた黒い渦は、その速度を増しながら将照へと向かう。

 黒い渦と将照の間に影が現れる。

 そこに姿を現したのは、先ほどまで床に伏せていた武であった。


「はぁぁぁ!」


 昴が放った瘴気ミアズマを、武は自身の刀で切り払った。

 すると、その黒い渦は灰となってその姿を消した。


「何?!」


 昴は起こったことを理解できず、声を荒げる。


「大丈夫なのか、武?」


 将照は、覗くように武を見た。


「えぇ、もちろんです」


 息はまだ絶え絶えで、肩を揺らしながらも、武は昴へと視線を向けた。


「世界のことはわからない

 昴、お前がどんな苦しみを抱えていたのかもわからない

 でも、嫌な感情が心を支配することは、誰だってあるんだ」


 武は、緋梅が処刑された遺体を見るしかなかった、あの時の自分が脳裏に浮かぶ。

 目を見開き、武は語調を強める。


「お前をその闇から解き放つ

 だから、もうこんなことはやめるんだ」


「解き放つだと?

 母上も守れないあなたに何ができる」


 黒い渦は、切先から鍔元までの全てを包み、その禍々しさを一層強めた。


「受けてみろよ、僕の抱える全ての闇を!」


 空間の歪みもまた強め、部屋に強風が吹き荒れる。


「それがお前の闇の全てなら、俺が祓ってやる

 もう一度やり直すんだ」


 武は両手で握り、右腰へその刀を平行に構える。

 風によりさらに火の手を強め、建物の崩落が加速する。


 2人は一気に駆け出す。

 わずかに、武が早くその間合いへと入る。

 昴は間合いの外からも、その禍々しい刀を、振り下ろす。

 沈みゆく黒い渦へ、右足そして、最後の左足を踏み締め、武は光を帯びた、その刀を横一閃に切り払う。


 光の軌跡が、黒い渦の中へと生じる。

 黒い渦は一瞬にして灰へと変わり、昴の刀を纏うものはなくなった。


 勢いのまま、2人は交差し、互いに背中合わせとなる。

 武が振り返ると、昴はすでに迫ってきていた。


「返せよ!僕の力を、返せ!」


 昴は自身の刀を闇雲に振り回した。

 昴の脳裏には、万有に通じる賢者ワイズマンからの言葉が浮かんでいた。


『君が、選ばれたものだからだよ

 君は壊れたものクランプスを束ねる存在になりうる

 私は君のような存在を探していた』


「それがなきゃ、僕は!

 その力が僕の証明なんだ

 だから、返せ!」


 武は振り回されるその刀を避けることはできていたが、先ほど受けた傷により足元が覚束なくなっていた。

 

「もうよせ、お前の負けだ」


 将照は昴の背後から手を伸ばし、その刀を握った。

 握る右手からたらりと血が流れていく。


「確かに儂は、お前とちゃんと向き合ってこなかった

 そのせいで、お前の苦しみも、痛みもわかってやれなかった

 お前の道理は、まだわからん

 だからこそ、これから少しずつ話してくれ

 お前の見える世界と、その苦しみを

 儂はお前を知りたい」


 それまでと打って変わって、将照は落ち着いた声で、昴へと語りかけた。


「父上、本当は、僕−」

「そうされては困るな」


 昴の言葉を遮るように、万有に通じる賢者は2人の間へと現れた。


「万有に通じる賢者」


 覚束ない足取りのせいで、尻餅をついていた武がつぶやく。


「お前が、昴へ吹き込んだ元凶か」


 将照は万有に通じる賢へ迫った。

 

「彼を説得されては困るね

 彼には、この世界を束ねるものに、なってもらいたいのだから」


 そういうと、万有に通じる賢者は、その右腕を将照の心臓部へと突き刺す。


「親方様!」


 万有に通じる賢者は、その心臓部から、色がはげ、軸の要が緩くなった扇子を取り出す。


「やはり、随分と傷を負っているようだな」


 万有に通じる賢者は、その両端を握った。


「やめろ!」


 立ち上がった武は、自分の勢いで足がもたつき、またも転んでしまう。

 目線を上げた時には、将照の扇子は、半分に折られていた。


 将照は次第に呼吸が荒くなり、握っていた昴の刀を離してしまう。

 徐々にその身体を深い体毛が覆い始めた。

 ぐらつきながら、心臓部を手で押さえる。


「我々は世界を取りに行く

 手始めに君らとも因縁深い、晴国からだ

 それでは、生きていればまた会おう」


 万有に通じる賢者は、そう言い残すと、昴をその外套の下へと覆い姿を消した。

 将照の様子に、驚きの表情を浮かべた昴がそこにいた。

 

 あぁぁと叫びもがき始めた将照に近づこうと、武は匍匐前進で進んだ。


「親方様、俺が助けます」


 ゆっくりと近づき手を伸ばす武に、将照はその右手を前へ出し制した。


「儂は、もう、助からん

 せめて、意識のある内に、自害させてくれ」


 武はその言葉を聞き、手を強く握りしめる。


「だめだ!そんなの絶対だめだ、親方様!

 鬼北のときのように、俺が、助ける

 だから、諦めちゃだめだ!」


 武は刀を杖にして、必死に立ちあがろうとする。

 しかし、身体の力は一気に抜けてしまう。

 先ほどの昴の瘴気ミアズマを払ったことの代償か、武の身体はその制御を失っていた。


 武の刀は自然と、その鞘へと納められていた。

 

「今なんだよ!

 今、俺に、人を、恩人を救う力を!」


 武は拳を握り、何としてでも将照へ近づこうとした。


「ありがとう、武」


 将照は、荒い息の中に笑顔を見せる。


「お前と出会い、儂は本当に良かった

 戦いの道具ではない、人として、家族として、お前と過ごせた日々は、かけがえのないものだった」


「まだです、これからだって、そうやって過ごしていくんです」


 将照は少しずつ、武へと近づいていく。


「お前は、儂の、いや、この国の誇りだ

 どうか頼む、昴を助けてやってくれ」


 将照は、突っ伏した武の小袖を掴んだ。


「手荒な方法で、すまないな」

「何を…」


 掴んだ武を、将照は力を込めて外へ向けて投げた。

 壊れたものクランプスになりかけの将照の投擲により、武は障子を突き破り外へと放り出された。

 将照は手を3回叩いた。


「あとは、任せたぞ

 健やかに、やれよ」


 降下する武に、将照はそう言い残すと、手の甲から生えた鉤爪を、自分の心臓へと突き刺した。

 その将照の姿に、城の火が覆い被さる。


「親方様!!」


 武の叫びが、虚しくも夜に響く。

 城に残された武の刀は、より固く鎖ざされ、その姿を消した。

 

 落下する武を受け止めたのは、将照の手拍子を聞いた霧鮫であった。


「無事か、武!」


 武の息は荒かった。

 受けた傷だけが原因ではなかった。

 明らかに気が動転している様子だった。


「俺は、また守れなかった」


 武は霧鮫の襟を掴んだ。

 その手が大きく揺れていた。

 霧鮫はその時点で全てを察した。


「俺たちの隠れ里に、桜様も避難している

 とりあえず、傷を治すぞ」

「俺にはもう、桜様に顔を合わせる資格がない

 すぐにでも、やつらを追わないと」


 武は無理くりにでも立ちあがろうとする。

 霧鮫はそんな武の胸ぐらを掴んだ。


「今のお前が戦えるのか

 立ち上がることだってままならないんだろ」


 武の全身が強張っていた。

 霧鮫は、武を引き寄せる。


「今、お前ができるのは、桜様を安心させることだ

 せめて、お前だけでも、彼女にその姿を見せるんだ

 反省も後悔も、そのあとだ

 俺たちは、まだ生きなくちゃならない」


 武はこのとき、桜の笑顔を思い出し、それが永遠に、崩れてしまうのではないかと恐怖に駆られた。

 それでも、将照の最後の言葉を想起して、覚悟を決める。


『あとは、任せたぞ

 健やかに、やれよ』


 武は溢れ出る涙を拭った。


「みんなのところまで、案内してくれ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る