第8話 死に至る国

 時間は遡り、昴の幼少期へと移る。


 悲鳴、悲痛な懇願、そして、断末魔。

 幼少の頃から、昴が自然と受け取ってきたものたちだった。


『た、助けてくれ!』


 眼前の男は一歩、一歩と詰め寄ってくる。

 その男は、返り血を浴び、その目の焦点は定まっていない。


『せ、せめて、命は、命だけは』


 男は手に握る刀を振り下ろした。

 すると、腹から血が弾け散る。

 弱々しくなっていく、叫びと全身の力。

 昴の意識はそこで途絶えた。


 昴は目を覚ます。

 目頭から涙が溢れ、身体の震えが収まらない。


 恐怖を感じ命を散らす、その感覚と感情が、自分の中へと流れ入ってくる。

 この現象は一度だけではなかった。

 自然と他人の記憶が、昴の中へと流れ込んできた。


 昴は震える身体を自分で抱きしめながら、母の部屋へと向かった。

 コンコンと母の部屋の戸を叩くと、中からいつも通りの優しい声がする。


「どうぞ」


 開けた先には、寝巻きを着て髪をとかす、母、緋梅の姿がそこにあった。

 昴はその時点で、心の平静を少し取り戻し、震えが収まった。


「どうしたの?こんな夜更けに」

「少し、怖い夢を見てしまって」


 昴の感覚では、自分の体験したものが夢でなく、現実に起こったものだと感じていた。

 だが、その感覚をうまく説明することができなかったため、夢だということにしていた。


「あら、また怖い夢を見たのね

 こちらにいらっしゃい」


 緋梅に促され、昴は部屋の中に入る。

 吸い込まれるかのように、昴は緋梅の腕の中へと入っていった。


「あなたは大丈夫

 きっとお父様や武のように、強い男になれるわ」


 昴を抱きしめた緋梅は、彼の背中を優しく撫でた。


「僕、強くなりたくないよ」


 昴は力の先にある、恐怖の感覚を知ったがために、それを振りまく存在になりたくないと思うようになっていた。

 誰かに恐怖を与えるくらいなら、いっそ自分だけがそれを受け取ればいい。


「今、あなたの思う強さと、私の言っている強さは違うわ」


 優しく語りかける緋梅の言葉に、昴は首を傾げる。


「お父様も、武も、力としての強さも兼ね備えているけれど、あの2人の本当の強さは、決して折れない心の強さよ」

「心の強さ?」

「そう、昴もその心の強さを身につけた、強い男になれるわ」


 やはり昴にとって、緋梅の言葉の真意は理解できないでいた。


「だって、昴はとても優しいもの

 その優しさが、心の強さの源よ」


 緋梅は太陽のような満面の笑みを、見せてると昴をまた優しく抱きしめた。

 母の言葉を理解できずとも、緋梅という存在が昴の心を和らげていた。


 しかし、他人の負の感情が昴へ流れる現象は、ついぞ止まることはなかった。

 その度に、昴は母へ助けを求めた。

 将照はその光景を、年を重ねても母に甘え続ける体たらくさと認識していた。




 それから数年後、緋梅の訃報が、城に届いた。


 その日は、近年稀に見る、豪雨であった。

 天井は雨音が騒がしいのに対して、城内の声は一つとして聞こえなかった。

 いつも元気溌剌な桜の声でさえも聞こえなかった。


 昴は自室に閉じこもっていた。

 雨漏りなどしていないはずだが、彼の自室の畳は、あちらこちらが濡れていた。

 昴の内側に、感情の濁流が生まれる。

 それは次第に、昴自身の意識をさらに底へと飲み込んでいた。


(なぜ、母上が亡くならなければ、ならなかったんだ

 武がともにいたはずなのに、なぜ、やつは母上を守らなかった)


 昴の喪失感は、よりその形を明確にしていった。


(もう、母上と会うことはできない…

 この先、僕はどうしたらいい?

 母上がいないと、この感情に押し潰されてしまいそうだ

 恐怖、不安、嫉妬、後悔、羞恥

 今も僕に流れてくるこの感情に、どう向き合えばいいんだ)


『助けてくれ!』

『父さんが亡くなった、この先どう生きていけば』

『汚れた手で私に触れないで、いや!』

『お前なんかより俺の方が優れているのに』


 無数の声と感情、記憶が、昴へと流れてくる。


(もう、やめてくれ!

 僕に何をして欲しいんだ)


 緋梅の訃報から、1週間、昴は自室に閉じこもり続けていた。

 昴は吐き気を催すが、出てくるものはもうすでに何もない。

 時々呼吸が急に苦しくなり、様々な感情に飲み込まれ、自分の意識を失いそうになっていた。

 それが落ち着くと、プツンと糸が切れたように眠るが、その眠りは浅く、昴の視界は非常に不安定なものになっていた。


「おやおや、随分とやつれているね」


 男の声がする。

 その声の方へゆっくりと顔を向けると、そこには背丈ほどの外套と顔布をつけた、男がいた。


「だ、誰だ?」


 昴は細々とした声で、そう尋ねた。

 声を出すのは、ほとんど1週間ぶりだった。


「お初にお目にかかるね

 私は、万有に通じる賢者ワイズマン

 とでも名乗らせてもらおうか」


 昴の意識下では、これが現実なのか、夢なのか、または、いつもの誰かの記憶なのか、判断ができないでいた。


「今の状態では、何を話したところで、理解もできまい

 少し休むといい」


 そういうと、万有に通じる賢者は、右手を昴の眼前に置いた。

 すると、昴は急に意識を失い、その場に倒れ込んだ。

 久しぶりに、昴はちゃんとした睡眠をとった。

 その睡眠は、緋梅がいたころと同じような感覚だった。


 昴が目を覚ますと、万有に通じる賢者は、手に持つ本を閉じた。

 その本を、万有に通じる賢者は、懐へとしまう。


「お目覚めかね

 これで私の話を聞いてもらえるかな?」


 昴は目を擦りながら、万有に通じる賢者に尋ねる。


「あなたは何者だ?

 どうして僕の部屋にいる?」

「そこは、回答を控えさせてもらおう」

「それでは、僕も話を聞くのはやめよう

 素性も話せない人間の言うことなんか、信用できない」


 昴は背を向け、また床に就く。


「ほぉ、素性で信用できるか否かを判断するか

 それも一つの基準ではあるが、それだけでは甘いのではないか?」

「何が言いたい?」


 昴は振り返り、万有に通じる賢者を睨みつけた。


「素性などというものは、いくらでも誤魔化せるということだ」


 昴は少しの思考したのに答える。


「それは一理あるな」

「ものわかりが良くて助かるよ

 それよりも、もっと単純な判断基準は能力だ

 何ができるか、何を与えるか」

「つまり、あなたは、僕にその能力を見せつけにきたということか」

「そう、君を助ける術を与えにきた

 君の知らない、この世界の裏側を教えてあげよう」


 昴は久しぶりに外へ出た。

 万有に通じる賢者は、城下町のある場所に来るように伝えると、その場から姿を消した。

 外は日が沈みかけていたが、昴にとっては西日ですら随分と眩しく感じられた。


 廊下を歩いていると、後ろから騒がしい音がして振り返ると、急いで昴の後を追っていた桜がいた。


「姉さん、そんなに慌ててどうしたの?」

「はぁ、あなたが、部屋から、はぁ、出てきたと聞いたから」


 息も絶え絶えで桜は、昴へと声をかけた。

 桜は一旦その場で深呼吸をしてから、また声をかける。


「もう、大丈夫なの?

 何か心配事があったら、言ってね

 私、力になるから!」


 桜は、緋梅にその容姿がかなり似てきていた。

 しかし、その内面は、昴の感じ取る中では明らかに違うものであった。

 その相違が、昴にとっては、母がかけがえのない存在であったことを、強調する。


「そういうのいいよ

 姉さんは、母上じゃない」


 そういうと、昴は振り返り、また城から出るために歩き始めた。


 昴は、万有に通じる賢者に指定された場所へと辿り着いた。

 またしても、万有に通じる賢者は、すっとその姿を見せた。


「少し遅かったんじゃないか?」

「姉さんの相手をしててね」

「そうかい

 では、言葉で説明するより、見てもらった方が早いだろう」


 外套の内側から、万有に通じる賢者は、腕を縄で縛り口を布で覆われた女を出した。

 目を大きく開き、女はひたすらに叫んでいたが、口の布がその内容を隠していた。


「先ほど、私に夫を殺された女だ

 つまり、この女は今、次に自分が殺されるという恐怖に支配されている

 と言っても、君はそれを感じ取っているのだろ」


『助けて!殺される

 ただ、見てないで、助けて!」


 女の声が昴へと流れてくる。

 彼女の見た光景、万有に通じる賢者によって、夫が殺害される光景が浮かぶ。


「これのどこが、僕を助ける術なんだ!

 より苦しくなるばかりじゃないか」

「まぁ見ていたまえ」


 すると、万有に通じる賢者は、女の心臓が位置する場所へ手を差し込む。

 そこから引き抜くと、そこには、ズタズタになった麻の着物が現れた。


「これの意味が、君にわかるか?」


 万有に通じる賢者は、昴へと問いかける。

 昴は流れ込む、女の記憶からそれが、夫から贈られた着物であることがわかった。

 だがその着物は実際に贈られたものではなく、彼女の内側で生まれたものだった。


「思い出の一種か?」

「ほとんど正解だ

 これが彼女の心の有り様

 そして−」


 万有に通じる賢者は、手に取った麻の着物を一気に引き裂いて見せた。

 女は涙ながらに叫んでいたが、次第にその様相が変化していく。

 皮膚は体毛に覆われていき、犬歯が鋭く尖り始め、目は正気をなくした。


「ゔぁぁぁ」


 叫び声をあげて、女は自分を縛る縄を、力任せに引きちぎった。

 この変化を遂げた途端、昴に流れていた女の感情は、パタリと消えた。


「これは、一体なんだ?」


 初めての感覚に、昴は困惑していた。


「これは壊れたものクランプス

 人が心を失うことで、生まれる獣の名だよ」

壊れたものクランプス?」

「君にとってはこの存在というよりは、なぜ、君に彼女の感情が流れなくなったことが疑問だろう?」


 昴が目を見張っていると、万有に通じる賢者は説明を続ける。


「簡単な話だよ

 君は人の心を過剰に受け取る力を持っている

 特に、人の負の感情を

 ならば、他人が心を失えば、君はその呪縛から解き放たれる」


「でも、なぜ、僕にそんな力が?」

「君が、選ばれたものだからだよ

 君は壊れたものクランプスを束ねる存在になりうる

 私は君のような存在を探していた」


「あぁぁぁ!」


 壊れたものクランプスと化した女が、昴と万有に通じる賢者へと向かっていく。


「君の役割はもう終わりだ」


 万有に通じる賢者は右手を押し出し、掌底を壊れたものクランプスへと向けると、それは一瞬で灰となり消えた。


「一つ教えておこう

 君もすでに、壊れたものクランプスへの変貌を遂げている」


 昴はまたしても、目を見張った。

 もちろん、その自覚はなかったからだ。


「君が部屋に閉じこもっている間、君へと流れる感情は、君の心を壊すのに十分なものだった

 しかし、最後まで君は、その自我を失わずにいた

 すでに普通の人間では、持ち得ない力を有している」

「どういうことだ?」


「現状、その力は、まだ未熟だ

 その力を高めるために、私に一つ案がある」

「その案は何だ?」

「ところで、君は素性のわからない私を信用するかい?」

「十分だよ、あなたの能力は信用に値する」


 ふっと万有に通じる賢者は笑った。


「随分と偉そうなものいいじゃないか」

「それで、案というのは何だ?」

「陽ノ下の英雄を利用しよう」

「言葉を端折らずに説明しろ」

「全く君は早急な男だね」


 そして、万有に通じる賢者は、武の心のあり方、その刀の鎖について説明をした。


「君の存在が、武の鎖となる

 君が彼に近づくほどに、彼は罪悪感によって、その鎖をより強固なものにしていくだろう

 適当な理由でもつけて、武との接触を増やすことだ」

「母上を見殺しにしたやつと関わりたくもないが、力をつけるには仕方ないか」


 この次の日から、昴は武との稽古を始めるようになった。




 それから、一年が経ち、万有に通じる賢者は、城下町での暗躍を始め、武が斬殺事件の調査に繰り出されることとなった。

 武がその鎖された刀を引き抜くと、彼の抱える罪悪感は、昴へと流れ込んでいった。


 武と霧鮫が鬼北で対峙した際には、武の罪悪感だけでなく、霧鮫の劣等感の一部までも、昴へと流れ込んだ。

 昴は、その感情の渦に飲み込まれそうになり、吐き気を催し始める。


 その感情が次第に中へと溶け込んでいくと、昴の身体に変化が起こり始めた。

 昴は、より一層強くなる吐き気を我慢できず、内側から溢れるものを外へと吐き出した。


 すると、その吐き出されたものは、空中に一度留まり、それが昴の顔へと向かう。

 そして、昴の顔に、白骨の仮面が覆われる。

 さらに、全身が黒い気に包まれ、それが収まると、昴は黒い外套を全身に纏っていた。


「なんだ、これは?」

「ようやく、目覚めたようだね

 それが君の本来の姿だ」


 万有に通じる賢者が、昴の部屋に現れた。


「鬼北にいたんじゃないのか?」

「私にしてみれば、大した距離じゃない

 ところで、どうだい、気分の方は?」


 昴は仮面の裏で、薄ら笑いを浮かべがら答えた。


「悪くない

 早く、武にこの力を見せつけたい」




 時は、現在、燃える城の最上階へと戻る。

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