「どうか私を」
シマモノは大きければ強い。
それは単に質量や筋力量の問題だけでなく、大きいということは、それを包み込む黒き外骨格――
呪詛は、シマモノに対し
黒い腕のバケモノ――ウロノスが『オバケ』と呼んだそれも、シマモノではないにせよ例に漏れず、その戦闘能力はかなりのものであった。
何せプラチナ級のセイバーでも凌ぎ切れないであろう、原初のシマモノたちとアーティが繰り出す高出力の波状攻撃にもしぶとく耐え続けたのだ。そればかりか反撃まで入れようとしていた始末である。これほどの怪物は滅多にお目にかかれるモノではない。
或いはそれは、ひょっとすると禁足区を徘徊する赤いシマモノに比肩する程であったのかも。
理外の魔法、異能による搦手を得意とする原初のシマモノにとり、そういったシンプルな強さは、実は結構手に余る。
数少ない即効性のある攻撃を有するスカーハットの『斬撃』さえ、表皮に僅かな傷を。そして彼らと共闘するアーティの創世神器、【
「アーティさん! もっと本気でやっちゃって下さいよっ!!」
「いや、割とやれる範囲内でしっかり本気なんだけどな? アーティさんこれでも結構全力だぜ?」
「何を謙遜してるんですか! 創世神器の全力がそんなものなはずないじゃないですかぁ!」
「ははは。いやな実は神器の調子がイマイチ出ないんだよ。歪に掛かった変な魔法のせいだな。魔力伝達回路が全損してて、細かい制御は歪に丸投げでオイラはほとんど腕力だけで振り回してる感じなんだけど」
「え? じゃあ今のこれ神器とか関係ないただのアーティさんの素の攻撃力なんです……? それでスカーの斬撃と大差ない威力の殴打を? こわ……」
「引くなよ。おまえが本気出せって言ったんだろが」
――それでも、余裕はあった。
討伐に時間はかかるだろうが、負けはしないとアーティは考えていた。
事実こうしてダラダラと戦っている間にも、アーティの内側で創世神器の機能回復は進んでいる。
ミリエの使用した、
そうなればこの程度の敵になど最初から苦戦しない。
だからアーティにはずっと余裕があったし、それが伝わったのだろう、原初のシマモノたちも必要最低限の干渉に徹し、アーティの回復を待つ構えを見せ始めていた。今は女王の器を守る共通の目的があったから、白きシマモノの勢力は基本的に、アーティに協力的だった。
……ところが、である。
「遅ぇんだよノロマどもが」
それはウロノスが、ミリエとキリムの窮地を軽やかに打破してからほんの数秒後のことだった。
素顔を覆い隠す奇妙な覆面の下で小さく、妖刀の名を口にした刹那の後だった。
「――この程度の相手に、もたついてんじゃねーよ」
「「は……???」」
…………鞘より解き放たれた剣閃は化け物の全ての腕を、全ての目玉を全く同時に、かつ頑強なる本体さえも一刀の下に、真っ二つにしてみせたのであった。
誰の目にも明らかな、致命の一撃。
全ての攻撃行動を中断した化け物はぶるぶると震え、ずるずると後退り、ぐらぐらと崩れ落ち始める。
唖然とする一同の前で、覆面男はふんと鼻を鳴らす。
どれだけ戦闘規模がインフレしようとも当たり前のようについてくる人類最強の変態は。
こともあろうに、ついてくるどころかその上を軽々と飛び越えて――
「ったく。正体不明の相手にモタモタ持久戦やってんじゃねーぞ間抜け。最大出力で即制圧が鉄則だろが。万が一こいつが時限式の能力でも抱えててみろ。長期戦イコール負けだろがい」
まさに、一撃必殺。
たったの一太刀にて『オバケ』を粉々に切り刻み、全てを終わらせてしまったのであった。
*
斬るという強い決意。
絶対の意思。
その心の力の強いほどに威力を増す神器の剣は、彼が頭の中に描く絶対を、そのまま世界に描き込む。
それはまるで、斬ったという事実でこの世界を修飾したかのようなもの。
だってどう考えたって斬れるわけがない。機能不全中とはいえ創世神器でさえ苦戦する程の硬度を誇った外皮を、あんな細い剣で切り裂けるはずがない。
あんなのは人間業じゃない。何かが狂っている。紡ぎ出された信じ難い結果に、地上の誰もが言葉を失っていた。
「――あっはっはっは。いや本当、誰だよ、あいつにあんな物騒な神器を持たせたやつ」
その笑い声は、遥か上空。呪神ヨハネのもの。
その隣にはメロウを縄で縛り上げているウグメと、ウグメに縄で縛られているメロウが並ぶ。
縛られている理由は海産物シマモノの件とは関係なく、『オバケ』を相手にする人類に加勢しようとしたためである。基本的には不干渉であるべき、というのもあったが、もう少しその未知なる存在を観察したいという好奇心の方が、どちらかといえば大きかった。
それがまさか、あの変態覆面男一人の手でこんな風に終わるなんて。
「自意識の強さだけは神の域ね。あんなにあの剣と相性がいい人間、未来永劫存在し得ないわ」
「ゆ、勇者エクスベルが使っていた時とは、出力が比べ物にならないんですけど…………あの、割とアレ、私達も危なくないです……?」
――恐らくは、あらゆる防御力、防御性能、防御効果を無視した斬撃であると見て差し支えない。
彼がその気になってあの刀を抜き放つ、ただそれだけで彼の認識する全てのターゲットが一つ残らず真っ二つになる。
刀剣を扱う者たちはよく斬るという動作を「真っ二つにしてやる」などと表現するが、彼の場合はまさに文字通り、それを省略して実際に真っ二つにしているのだ。剣客としてあるまじき行為である。
もっともそんな便利なアイテムが何のリスクもなく使い放題であるのなら、サボりたがりの彼が普段から使いまくらない理由がない。何らかの使用制限、条件の類はあるはずだ。
ただし神器の能力の仔細は、その弱点は、それを所有した者にしか分からない。たとえ呪神であろうとも、安々と知り得ることはない。
「そうだねぇ。威力だけを見れば執筆者級でしょ。
と、ヨハネは軽薄に笑いながらのたまっているのだが、言っていることはかなり笑えない。
なぜならそれは、その力は、呪神の命にも届き得る。
「じゃあ、私達も斬られるってこと……? だ、大丈夫なの? グメちゃん……?」
「メロウが何を不安がっているのか理解できない」
しかしメロウが恐る恐る顔を覗き込んで問いかけると、ウグメはまるで平静を崩す気配もなく、淡白に答えた。
「真っ二つにする程度の力じゃあ、オバケは殺せても
*
細切れにしたオバケの断面には案の定、内蔵などの消化器官の存在は認められなかった。真っ黒な断面にはみっちりと呪われた黒土が詰まっていて、明らかに生物ではない。
少なくとも、シマモノではないということだ。
なのに動いていた。
生きているかのように振る舞った。
まるで操り人形のようだと感じたが、それはきっと正しかった。
「ふむ。これで死んだのか。意外と呆気なかったな」
口ではそう言いながらもウロノスは、オバケの向こう側にいるナニカが未だ健在であることを理解していた。戦いはまだ、終わってはいない。いずれまた相見えることになるだろう。それが今日か、それとも数年後かは知らないが。
粉々になって動かなくなった化け物を遠巻きに観察していたウロノスは警戒を解く。
亡骸はシマモノの黒い外骨格と同様、徐々に崩れ始めていた。もしシマモノのような中身があれば、それは消えずに残るだろう。土に還って新たな命のための養分となるだろう。しかし、オバケは跡形も残らない。最初から何もいなかったかのように、蒸発して無に帰る……。
(このシマに、いるのに、いないモノ……か)
電波に乗って現れる意思。このシマにだけ仕掛けられた、意識のサブリミナル。
シマモノだとか呪神だとか、そういった連中とは根底から、脅威の次元を異にする未知の敵。
姿があるのなら会ってみたい。話ができるのならばしてみたいが。一方でそれはきっと不可能なのであろうと、ウロノスは何となく思う。
今日、久しく出会ったオバケの姿や行動を見て、改めて感じた。
あれには生物としての意思や感情が、微塵もなかった。まるで物言わぬ機械が、生き物を、魂を、真似しようとしていただけのよう。
僅かに感じ取れたのは、虚しさだけだ。
何かの目的で作られた機械が、その制作者の亡き後にも淡々と、与えられた使命を実行し続けているかのような……ノスタルジックな虚無感だけがあった。
恐らく、だから、きっと。
今後も、それが動き出すルールに抵触しない限り、問題は起きないに違いない。その存在を伏せ、誰からも忘れ去られてしまえば、きっとそれだけで――この問題はあっさりと、解決してしまうのかも……。
「うし、いい加減片付いたな。ったく、死ぬほど面倒な騒ぎにしやがって。おいアーティ、張本人を出せ。一発ぶん殴らせろ」
「オイラ的には殴らせてやってもいいと思ってるが、今は無理だ。神器との結びつきが強まってて剥がれない。あいつ自身がもう肉体なんか要らないって考えてるせいかもな」
「じゃあ代わりに保護者のてめぇを殴るか」
「ならオイラは必死で抵抗するぞ。おお、なんということだ。そうしたらここがおまえの墓場になってしまうな。御冥福をお祈りするぜ」
「殴るのも死なせるのもダメですふたりとも!! ワタシのために喧嘩をするのはやめてください!!」
「「別におまえのためでは断じてない」」
「
どたばたぎゃあぎゃあと、あれだけの戦いの後だというのに呑気な連中である――未だに空間酔いの気持ち悪さが抜けないミリエと、そんな彼女に肩を貸しているキリムは、呆れたようにその光景を見守るのだった。
と、そこへ――
「……むっ、なんだ、間に合わなかったかっ……」
注目を攫ったのは、遅れて参上した濡れ鼠のフェルエルだった。
濡れているだけならまだしも、あちこち傷だらけでボロボロの満身創痍だ。
どこで何をしていたのかは知らないが、よくそれで表情だけは平然としてられるなと誰もが思っても口にはしなかった。プラチナ級とはそういうものだ。ヒトとして何かが壊れていないと、その地位には辿り着けない。
「やぁぁぁぁっと戻りやがったなこのヘッポコ緑女。何か言うことはあるか馬鹿野郎」
「うぐっ、う、ウロノス……………………な、ナニモナイデス」
「無いわけねーだろ反省文コースだ馬鹿野郎。てめー今すぐ村まで走れ。ほらダッシュ! ダーッシュ!」
「ひぃぃぃいいっ、せっかく戻ってきたのにぃぃいいいいっ!」
……あのフェルエルが、ウロノスに命じられ素直に村へと走り去っていく。セイバーとしての仕事中は、彼女にも上下関係の線引きがあるらしい。あれでも根は真面目なんだなとミリエは含み笑う。
ウロノス目線ではこの状況に至るフェルエルの苦難など一つ知らないが、仮に知っていたとしても、やはり知ったことではなかった。
プラチナ級を名乗るとは、そういうことなのだ。
フェルエルは確かに強いし優秀だが、まだまだその肩書きの重さを理解していないなとウロノスは嘆息する。
この重大な局面に居合わせなかったことの意味を、後でしっかりお説教してやらねばならない。
「ったく肝心なとこで役に立たねーよなあの緑。まぁ緑だもんな。だから緑色なんだよ。金髪ボインのアイネを見習えってんだ。なぁユハ子。あ、おまえは緑色ぺったんこか。ははは。ごめんな」
「アーティさんアーティさんッ、ワタシあの人嫌いですッッッ」
「そうかそうか。オイラも嫌いだ。気が合うな」
「嫌いなら嫌いのままで大いに結構だが、遅刻してきた馬鹿も村に向かわせたことだし、俺らも戻るぞ。ちょっとでも反省する気持ちがあんなら、後始末くらい手伝ってけクソガキ」
――かくして激戦を終えた一同は、帰路につく。
散々問題を起こした歪の保護者として、今度はアーティも一緒に……。
*
*
*
*
「――えっ……?」
歪が目を覚ましたのは、真っ白な世界だった。
……いや。真っ白ではない。
脳内に微かに残った、呪神だった時の演算能力が、そこに僅かな、懐かしい景色の残影を捉える。
…………懐かしい?
いいや、そんなはず……。
アーティの頭の中から出たことのない自分に、帰るべき故郷の景色など存在しない。
それはアーティの、特別な出自を考えれば尚の事。
しかし、なのに、その景色はあまりにも懐かしくて切なくて、思わず涙が溢れそうになった。
……だからこそ、これもまた自身の記憶ではないということを歪はすぐに理解する。
ここはいったいどこだろう。
未知なる敵との戦闘を終え、アーティが創世神器を
つまりアーティの外には出ていないのだから、それ以外のどこにも行けないはずなのに――。
「――接続かんりょーっ。気分はどうかな? 呪神だった歪ちゃん。同時に二つ以上で存在するのは脳に負担が掛かるだろうけれど、少し我慢してねー」
「…………」
姦しい、女の声だった。
その言葉で歪は、今ここにいる自分と、それとは別にアーティの脳内で眠っている自分が、並列に存在していることを自覚する。自覚した瞬間、一気に脳の負担が増す感覚があった。それが、身の程を弁えない脳の使い方をした反動なのだろう。
「…………大丈夫。不思議な気分だ。……どちらが現実なのか、分からなくなりそう……」
「キミが生きている以上は、どちらが現実かに大した意味はないかなー。集積された情報を出力する領域が異なるだけ、なんだよね。ここは私が作り出した空間で、暇な時に他の呪神と遊ぶために用意している場所なんだ〜」
「キミは、誰だい……? ウグメに似ているけど……」
「あはは失礼さんかな? 私こそ他の誰でもない、愛されゴッドのウグメちゃん(本人)なんだけどっ!」
「ウグメはそんなこと言わない」
「ふふ、本当は割と、そんなこと言ったりする子、なんだけどねぇ。……あははっ。そうだよー、ウグメは私のお姉ちゃん――或いはお
「(おいも……?)姉妹がいたのか、いや、そういえばメロウも確かそんな感じのことを言っていたな……キミたち呪神は、みんな姉妹なのかい?」
「誰が最初に生まれたのかとか、細かい設定はもう忘れちゃったけどね。私はクダン。親愛を込めて、クゥたんと呼んでくれて構わない、かなっ」
「よろしくクダン。で、ボクは何で呼び出されたの、かな?」
「あははっ、そういうとこアトリィとそっくりなんだよね! おもしろーっ! 本当に生き写しみたい!」
「そんなに似てる? 自分じゃよく分からないけど」
「え? 神器の一部を形代にアーティの記憶から作られたのに、自分で知らないんだ?」
「あくまでもアーティが聞かせてくれた思い出話越しにしか、彼女の姿を見てないからね」
「そうなんだ、そうなんだ? すごいねぇ。それでそこまで再現出来るなんてねぇ」
――クダンは。歪の姿をまじまじと観察するように周囲を旋回しつつ。
そこまでは明るく喋りながらも、しかし最後には口調を、少しだけ曇らせた。
いくら再現できても。
似ているだけだ。
あくまでもアトリィとは別の存在で、結局のところ、死者は決して蘇らない。
アトリィはもう、何処にもいない。二度と会えない遠い場所に行ってしまった。
その当たり前の現実は、呪神でさえも覆すことは出来ない。
もう一度会いたいとどれだけ思い願っても、それは決して叶わぬ夢。夢のまた、夢。
「クダンは、アトリィに会いたいの?」
「そうだねぇ。会いたいかなぁ。アトリィは大事なともだちだったから」
「大事な……ともだち」
「そ。彼女はニンゲンでありながら、このシマの深奥に至ってくれた。私達を理解してくれた。我らが罪の在り処に、気付いてくれた。だから彼女ならこのシマの願いも叶えることができたかも知れない。幾星霜、私達がまだ、呪神ではなかったあの時……あの日、あの瞬間。彼女がいてくれたなら……こんな不幸な島が出来上がることも、きっとなかった。みんな幸せになれたかも…………」
クダンは、遠き過去の景色に思いを馳せるような声色で、そう語る。
起こらなかった奇跡に、理想を重ねて。起きてしまった惨劇を、覆い隠そうとしていた。
「……なんて。たらればだったら、なんとでも言えるよね」
けれど、当たり前だ。過去は変えられない。
起きてしまったことはもう、どうすることもできない。
或いはこの世界で神に最も近い存在ならば、それも可能なのかも知れないが……一時的とはいえ呪神の境地に至ってしまった歪だからこそ、分かってしまう。
仮に過去が書き換えられたとしても、願った未来はそこから枝分かれした新たな世界に紡ぎ直されるのみなのだ。過去で新たに何かが起きようとも、今、この世界には何の影響も与えないのだ。
全てが終わってしまった未来に、新たな過去は、永遠に辿り着けない。
枯れてしまった世界樹にはもう、誰も……。
「難しいよね。もどかしいよね。これだけの力があっても、私は誰も救えない。」
クダンは、儚げな笑みを浮かべる。
それはアトリィのことを思っての言葉だったのか。それとも他の誰かのことなのか。歪には分からなかった。
「ねぇ。歪。あなたなら分かるよね。……うぅん、あなただからこそ、分かるよね? 私達には、死者をも蘇らせる力があるってこと」
「…………」
唐突に、クダンはそう問い掛けた。
先ほど、誰も救えないなどと言ったその矢先にである。
しかしクダンは知っていた。確かに呪神ほどの演算能力があれば、それは可能であろうことは想像がつく。ネクロマンシーだとか、冥界から魂をどうこうなどという、実在するかどうかも不明な、オカルトによるものではないのだが…………。
……例えば、この空間の中でならば。
集積された情報から、生前のアトリィと寸分違わぬ存在を作り出すことが、可能だ。
この世にかつて存在したあらゆる人、あらゆるモノ、あらゆる概念。それらは全てこの場所でなら再現することが……出来る。
だけど。
再現されただけの偽物は、決して本物には成り得ない。
だってアトリィは既に死亡している。その唯一無二の真実が、他のあらゆる情報を陳腐にする。
仮にこの場でアトリィを再現したとしても、それは紛れもない『アトリィを再現したナニカ』であり、アトリィでは、……ない。
「姿形を、いくら整えたところで、そこに魂は宿らない。……あはは、おかしいよね。このレベルの演算能力を手に入れて、この世界全てが数字に視えるんじゃないかってくらい物事を正確に認識出来るようになって、なのに未だに霊魂だとか心だとか、そういう電気信号のバグみたいなものに縋っている。本当に、滑稽、かな」
どれだけ精巧に再現しても、偽物は偽物だ。
自分で作った人形で、一人遊びをしているのと何も変わらない。
そこに魂が入り込まなければ、そんなことをしても寂しさが浮き彫りになるだけなのだ。
いいや、寂しさなど問題ではない。
本当は……怖かった。
少しどころではなく。怖くて怖くて仕方がない。死ぬことよりも、遥かに。
再現した偽物に。
手慰みに作り上げた被造物たちの中に。
魂が入っていたかも知れないことを認めるのは、それくらい、あまりにも――。
だって、もしもそれを認めてしまったら…………。
「歪を此処に招いたのはねぇ、それを訊きたかったからなんだ。歪は、自分に魂が在ると思ってる? アーティの頭の中で生まれた仮初の命が、本当に一つの命として認められてもいいとか、思ってるのかな? ……ってさ」
「魂…………」
「一時的とはいえ。不慮の事故みたいなものとはいえ。あなたも我らを理解した。呪神の一柱となっていた。今は自分のものとは思えないだろうけれど――それでもあなたの中にある意識は本物で、今もまだそこにあるはず。だからこそ、あなたの言葉を聞かせて欲しいんだ」
――というのは、全て嘘だ。
本当はこんなこと、訊ねたくもない。
出来ることなら一生このまま、何も考えずシマと共に在るだけでいたかった。
他の呪神もきっとそう。同じ呪いを背負う者同士。この気持ちもまた同じはず。
だけど。
罪には、罰が必要だから。私はそこから、逃れることはできない。
歪の、返答次第では……。
…………。
「うまく説明できないかも知れないけど、それでもいいかな」
「いいよ。歪の言葉で、私に教えて」
「……。魂とか、命とかを考えた時……凄く悲しい気持ちになったのを覚えている」
クダンが何を思い、何を求めているのか。それは歪には分からない。
一時は同じく呪神の境地には至ったが、ひょっとしたら同じ呪いを背負ったわけではなかったのかも。
或いは呪いそのものが、一つではないのかも。
だって呪いとは強い負の感情から生まれるもので、感情とは心が映し出す万華鏡のようなもの。
人の心は、たった一つの単純な答えが出せるようなものではない。
いくつもの感情が複雑に絡み合うから、深い愛情が突然、激しい憎悪に変わってしまうことだってある。守りたいと思っていた相手を傷つけてしまうことだって、珍しいことではない。
呪神とは。
このシマに眠るあまりにも強い感情の、どれか一つを理解し、共鳴してしまった者の末路なのかも知れない。
それを指して、呪われたと呼んでいるだけ――なのかも。
「それは。この小さな両の手には余る悲しみは。きっとこのシマに潜む真実の、ほんの一端。シマに眠る女王には、命に対してそういう、寂しさとか、悲しさがあって……でも、愛があって。……それと同じくらい深い、怒りと、憎しみがあって……」
今の歪には、他の呪神の思うところの全てが分かるわけではない。ただ――
「そうやって色々思うことが――色々と抱えた感情が、命というものの形を成すのかなって、思ったんだよね」
仮初の。
幻の。
そんな飾り言葉にこそ、きっと大した意味なんてないのだ。
我、思う、故に――。
「……だから、さっきの質問には一つだけ、返せる答えがある」
「――うん」
「ボクが一度は投げ出したこの命は。存在は。――魂は。アーティが拾って、認めてくれたから。アーティに応えるために、もう二度と、ボクはそれを疑わない。決して迷ったりはしない。ボクがここに”い”ることを、誰にも、譲らない。そういうことに、決めた」
不満も、怒りも、嘆きも。
それ以上の感謝が包み込んだ。
何も無かったことになどならないけれど、そうやって形作られた、イビツにユガんだナニカは今も確かに胸のうちにある。それが命で。それを確かめることが、生きるということだ。肉の体の有無など、関係ない。
ボクは確かに、ここに”い”る。
魂。
……虚無から生まれたこの意識体に、そんな高尚なものが宿っているなんて、少し前の自分には信じられなかった。
アーティは生みの親だから、存在を認めてくれるのは当たり前だ。そして本当は、それだけで十分だったはずなのに。
かつての自分は、もっと欲しいと、願ってしまった。
不確かな存在の証明を、求め過ぎた。
だから、罰が下った。
神様はちゃんと見ていた。
欠けた魂を満たそうと欲を出したりしなければ、きっとあんなことにはならなかったのに……。
立ち止まるチャンスは、一度だけあったはず。
あの茶会の場。アーティ以外の誰にも視えない、知覚されないはずの自分の存在を、あの白い布の原初のシマモノが見つけてくれた――その時点で、願いは果たされていたのに。そのことに気づくだけで、よかったはずなのに。
たったそれだけのことであんなこと、しなくて済んだはず、だったのに……。
神様は公平にして平等だ。
既に一線を超えていた歪を、赦しはしなかった。
歪がそこで踏み留まることを、決して許してはくれなかった。
行き着くところまで行き、そして死に、消え去ること。
……それが彼女の罪に対する、罰だった。
「…………そっか」
クダンは、どこか安心したような、けれど少しの不安も滲ませた笑みを浮かべて、そう呟いた。
形なき者。魂さえ不確かな存在。その進む道はきっと、闇に繋がる。それが分かっていたから……分かっていながら、それでも送り出さなければならないから。
喜ばしいはずの歪の決意を、しかしクダンには、手放しに喜べなかった。
けれど。
歪がその道を選んだのなら……せめて笑顔で見送ることがクダンにとっての、義務。
「わかった。ありがとう。キミと話せてよかった」
いつか、このシマの呪いの解かれる日が来るのなら。
せめてその場に、歪が居合わせてくれることを願って……。
「さようなら、歪。新たなる呪神――だったモノ。その力の剥がれ落ちた今、もう二度と会うこともないでしょう」
どうやら、そうみたいだね――と答えようとして。
声が出ないことに歪は気付く。
次第にこの領域から、自分自身が失われていこうとしていた。
クダンの姿も少しずつ白い霧の向こうへと掠れていき、その言葉も遠のいていく。
ここは呪神クダンの作り出した特別な、呪神でなければ存在できない領域。神であることを失い、ヒトに還る歪は、ここにはいられない。
「あなたには罪がある。決して消せない、罪の烙印が。それでも……あなたは」
消えゆく景色の中。
最後に聞こえてきたのは。
「どうか生きて、幸せになって」
寂しげなクダンの、そんなささやかな願いだった。
…………。
……。
馬鹿なことを。
罪があるのは、私だ。
歪のいなくなった、自分だけの領域の中でクダンは、その手に刃を握り締める。
罪深く、業に満ちた愚か者は、他でもない、私自身。
刃を持ち上げて自らの喉元へと添えることにもはや、躊躇いは無かった。
数え切れない程の命を、弄んだ。
この許されざる罪に、相応の報いを。
鮮血が舞う。
白い空間が赤く、赤く染まっていき――その渦の中にクダンは膝を折り、伏す。
こうすると決めていた。
歪の、返答次第では。
だから、この結末に悔いなど、未練など、あるはずもなかった。
ごめんなさい、ごめんなさい、
ごめん……なさい……
どうか、私を……
赦さないで……
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