「オバケ」
このシマの中で、バケモノの正体など深く考える必要はないのだ。
どこかで見たような獣だろうが、怪物だろうが、腕がたくさん生えていようが、目玉だけが葡萄のように並んで宙に浮いていようが、ヒトと同じカタチをしていようが――
その表面が黒かったならどうせ、どうせどうせどうせ――『呪詛にまつわる何か』に決まっているのだから。
遠い昔、遥か古の時代、このシマのあった場所で、誰かが、何かを呪った。
それが原因で今、こういう世界になった。
それだけのことだ。
何も、難しいことなんてあろうはずもない。
ただ、しかし。
しかしどうしても一つだけ、この黒腕を無数に生やしたバケモノの動作に違和感はある。
それは一番近い位置にいたミリエやキリムを無視してまで、ユハビィを狙ったということ。
一番近い獲物を狙う。あまりにも弱ければ無視されることはあるが、超高位の魔女や伝説の不死鳥を無視してまで、離れた位置に待機していたユハビィが狙われたのは、おかしい。
……そもそもシマモノであるならば、女王の器たるユハビィを攻撃すること自体が不可能なはずだ。
女王の器として自覚を得た瞬間から、このシマのニンゲンの中で彼女だけは、シマモノの攻撃対象から外れているのだから。じゃれつかれ、遊ばれることこそあれ、攻撃されることだけは絶対に――
「……まぁいいか。考えてもわからん。とりあえず潰すぞ」
……ない、のだが。
アーティには、特に興味がなくて。小脇にユハビィを抱えたまま、彼は構わず正体不明の敵に突っ掛けていく。
「うひゃぁぁぁあああああああっ!!」
事態はまさしく大怪獣決戦の様相を呈する。
ユハビィの安全を確保した以上もはや手加減は無用であると攻勢に打って出るアーティに、さらに原初のシマモノたちも加勢して状況は混沌を極める。
小脇に挟まれたままのユハビィなど、せいぜいアーティの細めの胴体にしがみついたまま絶叫するくらいしかやれることがない。女王の器であるというだけで、なんの役にも立ちはしない。……いや、彼女のおかげで原初のシマモノが敵対関係にない、というのは、絶大なる戦果なのだが。
戦闘が激しさを増すに従い、次第に黒い腕のバケモノの攻撃から、見境が失われ始める。
女王の器を狙う行動を諦め、誰でもいいからその生命を奪わんと荒れ狂う。
「あッ……!!」
その矛先が、未だ動けずにいたミリエと、それを引き摺ってこの場を離れようとしていたキリムを、同時に襲う。
そのことに、誰も気づいていない。原初は最初からユハビィ以外を守る気がないし。アーティも目の前のバケモノを倒すことに集中している。だから、ちょっとした巻き添えによって犠牲が出ようとしていることに――誰も気づいてはいなかった。
ただ一人。
やっと。
……やっっっっっと。この場所に戻ってこれた、変態覆面男を除いては――。
「斬刀流、【
粉々に爆ぜる無数の黒い腕。ミリエに迫っていた全ての害意が、一瞬のうちに消滅する。
これは、何?
魔法? いや、魔力は感知できていない。魔法であるならば、ミリエは目を瞑っていても感知できる。だからこれは魔法ではない。
じゃあ、こんな芸当が魔法以外で可能なの?
それはそれで、魔法よりも魔法なのでは?
言いたいことは色々あったが、それらはすぐに泡と消えた。
あのふざけた覆面で頭を包む変態の後ろ姿を見たら、感謝の言葉すら喉の奥でつっかえて出て来ない。
「――あーぁ、ったくしょうがねぇな。出やがったぜ、オバケがよ」
人類最強にして、セイバーズが誇る最高戦力。
今はしがない一人の村長――ウロノスは大きくため息をつきながら、ただ刀剣の一振りをもってミリエを、窮地から救ってみせたのであった。
*
『通信装置があればもっと円滑に組織を動かせるはずだ。なぜそうしない』
――アイネの
もう、何年も昔。
ヒトツメ病院の喫煙スペースでサボっていたウロノスは少し考える素振りを見せ、それから逆に問いかけた。
『アイネから何も聞いてねぇのか?』
『――オバケが出ますよ、とはぐらかされた。あの方はたまに私を子供扱いする節がある』
『なんだ、聞いてんじゃねぇか。オバケが出ンだよ』
『…………』
『くっくく。おもしれぇ顔。悪いが別に冗談言ってるつもりはねーぞ。オバケはいるからな』
『………………』
一度目の沈黙とは違う表情で、イーベルは再び沈黙する。
果たして二度目で声でも荒げられるかと期待したウロノスの心境とは裏腹に、彼の表情は眼の前の覆面男の言葉を真剣に受け止め、吟味するものだった。
まぁ、そうだろう。イーベルは頭は固いが悪くない。
アイネが「オバケが出る」と言ったならば、彼の中でその真偽は半々なのだ。子供扱いされたのか、本当に何か途方もない事情があるのか。どちらの可能性も、彼は真剣に検討する。
そしてウロノスまで口を揃えたなら、そこに何らかの意味が必ずあると判断するだろう。そのためにわざわざ会いに来たと言っても、恐らく過言ではあるまい。
アイネはともかく、ウロノスは眼の前の青年を子供扱いする気はない。
イーベルは優秀な人材だ。頭の固さとジョークの通じなさはさておき、組織運営の手腕に関して言えば自分より適任であろうとさえ思っている(適任であることと自分より優れているかどうかはまた別の話だが)。
故に「オバケが出る」などというオカルト話を突き出され、それでも彼が真剣な表情をするのであれば、ウロノスもこの件についてこれ以上はぐらかすつもりはなかった。
極めて重要な機密なのだが、この男には話してもいいだろう、と思っていた。
『あなたがいつものように立ち去ろうとしないということは、オバケについて聞かせていただける、ということですね』
『――くっくっく。俺がそう判断するだろうとこまで見越して会いに来やがったな。全く自己評価の高ぇ野郎だ。嫌いじゃねぇ』
『……。アイネ様が認めて下さった以上、それを疑うことはない』
『理由を外に求めたがる姿勢は好きじゃねぇが、まぁいいだろ。そうだな、さて、ふむ……』
ただ、しかし、では――はぐらかさないとして、どう説明したものか。
それは少し、ウロノスとて切り出し方に困るものであったことも否定はできない。
結果的には、一見関係ない雑談のようなところから、話し始めることになった。
『……どう説明したもんかね。シマモノとも、呪神とも、それは違う。似ているが、別の何かだ。恐らく似ている理由については、呪詛に絡んでいるからだろうとしか言えない。同じ環境を共有するから、たまたま同じ能力を持った、収斂進化ってやつに近いかもな。こっちは生物学の話じゃねーから、中身は全然違ぇけど』
『何らかの比喩ではなく、つまり、あなたやアイネ様がオバケと呼称する何らかの存在がこのシマには存在している、と?』
『あぁ。いる。何処にいるのかは皆目分からねぇが、それは確実にこのシマに存在している』
『…………』
ふざけた覆面で表情を隠していて尚、その奥底の素顔が決してふざけていないことが伝わる確かな口調。
少なくとも通信技術の開発を禁じたのは、一部の大人たちの利己的な判断ではないことをイーベルに理解させるのには、それで十分だった。
しかし事情があるのは理解したが、疑問は何も解決されてはいない。
そもそもオバケがいるとして、なぜ通信装置があってはいけないのか。
『だいたい通信装置があれば組織を円滑に動かせるなんてガキでも分かるような理屈を、俺様みてぇな隙あらばサボりてぇタイプの小賢しい大人が思いつかなかったり、そもそも試してすらなかったりなんてするわきゃねぇだろ?』
『それはそうだが』
『あれはまだアトリィが生きてた頃だな。当時の最強メンバーで禁足区の調査を進めるために、俺様が通信装置を作ったことがある』
『…………………………』
意外な角度から存外な器用さアピールをされて絶句するイーベルを無視し、ウロノスは話を続ける。
『これで楽が出来るって思ったぜ。あわよくば留守番すら視野に入ったもんだ。アトリィさえいりゃあ、戦闘だろうが調査だろうが、大抵の問題は片付いたしな』
『…………』
――優秀な人だったとは聞いていたが、このウロノスにそこまで言わせるとは。
生きていたなら、ぜひとも会ってみたかったとイーベルは頭の片隅で思う。
『通話のテストで使ったのはちょうど
『…………?』
それから少しの間。短くない時間。ウロノスは口を閉ざした。その覆面の向こうに隠した相貌は、かつてのシマの景色を見つめているのだろうか。
やがて不意に紡がれた言葉は、イーベルの理解を、置き去りにする。
『――二人とも死んだ。……あー、まぁ、他人事みたいに言ったが、俺のせいだ。俺が通信装置なんざ作らなきゃあ、あんなことにはならなかった。俺がやらなくても遅かれ早かれ誰かが作って、もっとでけぇ被害になってたかも知れねぇが、少なくとも俺が、俺の判断で二人の部下を……死なせたんだ』
『死ん……何? …………死んだ……?』
――通信装置の、通話試験で? 人間が二人……?
いったい、何がどうなったらそういう結末になり得るというのか。
言葉として受け止めることは出来ても、それ以上の理解が及ばない。
なぜ、どうして。
そんな疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
『言いたいことは分かるが、言われたところで期待には応えられねぇぞ。どうしてそんなことになったのかなんて、俺が知りてぇ』
色々と手は尽くした。科学的にも魔術的にも。けれど結局、何も分からなかった。このシマの中でニンゲンが伸ばせる手の届くところに、少なくともその痕跡を確認することはできなかった。
正体不明の、闇。
悪意の有無さえ分からない。
ただただニンゲンに対する、殺意だけがあるように思えた。
『…………』
――二人がこの会話をした頃には、既に村はセイバーズによって管理されていた。
金属資源の異様に乏しいこのシマでは、そもそも通信装置に限らず、科学文明としての発展は不可能に近い。故に、放っておいても誰かが無断で通信機を開発してしまうなんてことはないだろう――しかし、それでも尚、村の技術管理だけは徹底して行われていた。
念のために。
二度とあのような事故を、誰にも起こさせないために。
『最上級の機密だ。てめぇだろうと立ち入り許可は下りねぇ。そういう場所に今も保管してあるぜ。俺の部下二人……だったモノの、変わり果てた姿がな』
『………………』
イーベルは、言葉を失う。
いつも冷静で、そうあることが習慣づいているような彼だからこそ、表情こそ大きな変化はなかったものの。頬を伝う冷や汗。背筋を駆け上がる悪寒。不気味な気配。知ってしまった、知るべきではなかったかも知れないナニカの存在……。もう二度と、後戻りの出来ない道に踏み込んでしまった、確かな実感が……彼の喉から出かかる言葉の全てを砕き、再び飲み込ませてしまう。
『――この話、あんまりアイネにはするなよ。あいつも思い出したくはねぇだろうからな。死んだ部下二人は……アイネと同じ時期に流れ着いた、付き合いの長い――』
このシマでは、通信装置を使ってはならない。
オバケが出るから――。
結局。ウロノスが、随分と短くなった吸い殻を捨てて休憩所を去るまでイーベルは何も言えず……その場での会話は沈黙のまま、それっきりで終わってしまうのだった。
*
現状判明しているのは、魔力を用いない科学技術によって強い電波を飛ばすと、そこに『ナニカ』の意思がまるでサブリミナルのように差し込まれ、それを傍受していたニンゲンに、さながらウイルスのように感染する――ということだけである。
迅雷属性の魔力で再現された電波においては、その事件以前から同様の事象は観測されておらず、即ち『オバケ』の干渉は純粋な電磁波に限定された、或いは魔力抵抗(一般的に魔法防御力などと呼称される概念)によって防ぐことの出来る微弱な現象であろうと考えられている。
とはいえ万が一のことも考え、村では魔力を用いたものも含め、あらゆる通信技術の開発及び使用を禁ずる措置が取られていた。
オバケについては、呪神たちも知らないと口を揃える。
遥か遠い昔、この場所で起こったこと。シマの成り立ち。その全てを知るウグメも、メロウも、ヨハネも、そのような存在に心当たりはないという。
少なくともウグメとメロウが知らないというのなら、それは真実だろう。二人は意味もなく嘘を吐いたりはしない。言いたくなければ黙っている。嘘を吐く必要がないからだ。遊び半分に生きているヨハネはともかく――
だから、つまり。
即ち、要するに。
このシマには今、呪神も知らないナニカが紛れ込んでいる。
それはもう、揺るぎない事実である。
呪神さえも知り得ない未知のナニカであること。
警戒する理由など、それだけで十分だ。
触らぬ神に祟りなし、とはウロノスの故郷に伝わる言い回しだった。
余計なことはしないに限る。
好奇心は猫を殺す、とも言うのだから。
――そして現在。
「……とうとう出やがったな」
たった一目見ただけで、それが『オバケ』だとウロノスは理解した。
他の者なら、その真っ黒い表皮から異形型のシマモノだと判断しただろう。通常の獣型とは異なるこの星に実在しない生物のシマモノは、そう呼ばれている。実際、そういうのも少なくない。禁足区を徘徊するシマモノなど大半がそうである。
しかし眼の前の触手生物は、そもそもシマモノではないということを、ウロノスだけは瞬時に見抜く。彼の歴戦の観察眼は、それがシマモノのフリをした別のナニカであることを見落としはしない。
(シマモノは生物だ)
どんな異形だろうとも、必ずその構造に対し合理性のある、説明可能な動きをする。
翼があれば空を飛ぶだろう、ヒレがあれば素早く泳ぐかも知れない。
触手生物なら――こんな筋繊維のしなりをガン無視したような――下ッ手クソな操り人形めいた動きは断じてしないッ!)
呪神ヨハネが作り出すシマモノはなかなか地上の生命に対し冒涜的……もとい挑戦的な見た目の怪物も数多いが、しかしどんなに姿形がしっちゃかめっちゃかであろうとも、そこには一定の理に適った動きというものが存在する。端的に言えば生物らしさがある。
もし本当に目玉が体の真ん中についていたなら、きっとそういう風に行動するのだろう、こんな生態を持つのだろう――そんな可能性のある動きを見せてくれるものだ。……もっともヨハネが拘るそのクオリティの高さは基本的に人類に対する煽り行為なので、それを知るウロノスとしてはムカつくことはあっても褒める気はさらさらないが……。
今、眼の前にいる怪物には、それがない。
触手の表面に無数にある目玉を覗き込めば、白目部分には毛細血管すら確認できない。
『目』という器官の、形骸化。さながらデフォルメしたイラストを、そのまま3次元に出力したかのような非生物感。
無機質に、無感情に。
『目って、こんな感じでしょ?』
とでも言わんばかりの、雑なディティール。なのにそれが被写体を探すカメラレンズのようにぎょろぎょろと蠢いて周囲を見回す。まるで誰かがこのシマを、オバケを通して観測しようとしているかのような。薄気味悪い。気色が悪いッ。
「目玉目玉目玉……あ゛ー、気ッ持ち悪ぃな。とりあえず全部斬るか」
――そして彼の背後で尻もちをついていた魔女ミリエは、不死鳥フルコキリムは、等しく思い出す。
人類最強などと称される、この変質者の実力を――
「妖刀、『ハモンヒルマキ』」
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