「筋肉の妖精」
――あぁ、もう、辟易する。
いつもいつも、悪い方の予測ばかりよく当たるものだ。
内心で愚痴をこぼすフェルエルが相手取るのは、七体の獅子型のシマモノだった。
これらは翼を分離させたあとの巨大シマモノが、こともあろうに、さらに細かく別れたモノである。
即ち、ウロノスの言いつけ通り柔軟な発想であらゆる可能性を考慮していたフェルエルが、その脳内で最も外れて欲しいと願っていた未来予想図の一つであった。
……もしウロノスの言いつけが無かったら、初見では確実に取り逃していただろう。流石にあの覆面変態男の方が、このシマの中で生き抜くルールに関しては一日の長があったことを認めざるを得ない。いやまぁそれは普通に認めているし、今日まで一度として否定したことはないのだが――しかし。
(――七匹はッ、流石に多いって!!)
最悪の想定よりかはだいぶ少ない方ではあるものの、主にその力を単体の強敵に振るうことに特化しているフェルエルにとり、数の暴力は地味に効く。
魔法が使えない以上、そもそも一対多は畑違いだ。鍛えればマシになるかも知れないが、このシマではそんな苦手を克服している暇があるなら、長所をもっと伸ばした方が生存率は高まる。
だから、彼女は一対一の戦闘を極めた。
……だから、増えるタイプの敵とは相性が悪かった。
加えて最初の巨大シマモノもそうだったが、このシマモノたちはどういうわけか、近くの人間を積極的には襲わない傾向があった。
いや、ちゃんと正面に回り込み、敵と認識させれば足を止めてくれはする。しかしそれもせいぜい一度に三匹まで。残りはまるでその場を同胞に任せたかのように、村へと向かい始めてしまうのだ。
それはフェルエルの最も嫌がることだった。
(っていうか頑丈っ、打撃効いてないのこいつ!? 私が殴ったら普通、風穴くらい空くでしょ!! なんでちょっと凹むくらいですぐ起き上がって走り出すの!!)
フェルエルがその気になれば手刀で斬撃を模すこともできるが、とはいえあくまでそれは素手による強烈な殴打の延長である。
(〜〜〜〜っ、限界だ!! まずこいつを倒すッッ!)
やむなく、ついにフェルエルは眼前の一体以外のマークを切る。
プラチナ級の支配領域を脱した獅子型シマモノは一斉に村を目指し、あっという間に木々の合間へと消えていく。
……それは、初めての敗北。彼女がプラチナ級に到達して以来、一度もなかった緊急事態であった。
(あぁ、負けだよ、こんなの、私の負けでいいッ……だが!)
プラチナ級は、絶対の存在でなければならない。
まだ幼かったフェルエルの脳裏に鮮烈に焼き付く、かつてこのシマに四人いたプラチナ級の、圧倒的で絶対的な力。
その原風景が形作ったプラチナ級の価値観を、彼女は初めて、捨て去る。
プラチナ級でありながら、こともあろうに他人を頼る羽目になるなんて。
これ以上ない屈辱と敗北感に苛まれながら、彼女は憎悪にも似た感情を目の前の獅子型に向ける。
「――最低限の仕事だ。
確かに頑丈だし、かなり強い。だが、彼女は知っている。
こいつらが森を突破し、村を襲うことはきっとない。
なぜなら後方にはまだまだ、頼りになる連中が揃っているのだ。
――そして殴る、蹴る、投げ飛ばして地面に叩きつける。
他のシマモノを追わないと割り切った彼女の猛攻は、シマモノに反撃の暇など一切与えはない。
黒き巨体は見る間に変形し、ついに大きな亀裂からは鮮血が飛び散った。
しかし彼女の感覚からすれば、これだけ叩いてようやくか、であった。
「
……とは、言ってみただけで本心から痛みを感じているわけではない。
しかし彼女の攻撃力をもってこれだけの攻撃回数を要求されている事実が、このシマモノの異常性を十二分に物語る。
よほどの剣の達人でもない限り、他の者がこれ以上の苦戦を強いられることは必至だ。
それでも――
「……信じるぞ……! セイバーズは決して、私とウロノスだけの組織ではないはずだ……!」
それでも彼女は、後に続く者たちを信じて、目先の仕事に集中する。
巨大シマモノは分裂して消滅したが、この戦いはまだ、終わってはいないのだから。
*
猛スピードで村へと疾駆する六匹の獅子型。
しかし突如、その先頭を征く一匹の顔面に何発もの攻撃が叩き込まれた。
「――硬ってぇーーーーーッッ!!」
ケンゴと、その愉快な仲間たちの参戦である。
ゴールド級数名に、シルバー級上位の
通常の防衛任務の時とは比較にならない、まさしくエリートチームであった。
「そんでデケぇッ!! でもまぁ黒いし、シマモノだな! ここで全員ぶっ倒すぞ!! 一匹たりとも先に行かせんじゃ――」
……のだが。
威勢よく振り返ったケンゴが目にしたのは半壊した陣形と、もう既にだいぶ小さくなった五匹ほどのシマモノの後ろ姿……。
まさに死屍累々、である。いや、このくらいでは死んではいないだろうけれど。
「あーーーッ!? だらしねぇぞてめぇら!! ブロンズ級からやり直すかおぉん!?」
「いやいや無理っすよ何ですか今の化け物!! 今の見てないんですか!? こっちに来たやつなんか三人がかりでも止まらなかったんですけどッ!?」
「だァからだらしねぇつってんだよ! 訓練が足りねぇ!! ……あぁやべぇ今俺なんか村長っぽかった……反省するぜ切り替えていこう! そうねとりあえず抜けちまったもんは仕方ねぇ! 今やれることをやろうぜ!!」
「ケンゴ!! 一体はやどりが追うですにゃッ! でも残りはもう今からじゃ無理ですにゃ!! とにかくその一体だけは必ず仕留めるですにゃ!」
「よし分かった行け猫っ子ッ! 死ぬなよ!! でも死ぬ気で止めろ!!」
「了解ですにゃ!!」
素早い判断で、やどりが戦線を離れる。
影のようにするすると木々の合間をすり抜ける速度には、本職の猫っぽさがある。
ここまで来る時は、他の人間に足並みを揃えてくれていたらしい。本当は単独でならもっと疾かったのだ。足場の悪い森の中でも、彼女は風のように駆け抜けていける。確かにあのスピードなら最後尾の一体は掴まえられるだろう。
しかし――残る四匹は……?
「ああもうっ、赤くも白くもないのにこんな強いシマモノがいていいんですかサンダー先輩……ッ!?」
「いやホントそれねマジでそう思うわ! 踏ん張れみんなッ! せめてこいつだけはここで絶対に倒そうッ!」
――そう、こいつだけは。
他はもう、今からではどうしようもない。
端からこの人数、この戦力で六匹全てを止めるのは最初から不可能であったと割り切るしかない。
過ぎたことに囚われずそれぞれのやるべきことをやらなければ、待ち受けるのはウロノスからのお説教だ。そもそもその当人が朝から絶賛行方不明中で、アイネ本部長がブチギレていた気がするが……。
「後でお説教でも何でもいいからッ、なるだけ早く戻って来てくれよ村長ーーーーッ!」
森に、ケンゴのそんな叫びが木霊する。
果たしてその声は誰に届いただろうか。
激化する戦場の、上空を一羽の鳥――のような獣が舞う。
不死鳥、
「……下の混乱に手を貸してあげたいところだけど……あいつだけは私がやらなきゃね……」
前方に浮遊する、巨大シマモノから分離した六翼の怪物は――
しぶとくまとわりついていた二人のゴールド級セイバーを弾き飛ばし、ついに自由を手に入れる。向かう先は村か、或いは近くの人間か。いずれにしてもここで止めなければ大変なことになってしまう。
「ぐっ……お、お嬢様……!」
「あぁ……もう、これじゃ、村長に、どやされてしまい、ますわね……」
地上には、岩に減り込んでぐったりしているアマカとセバスの姿があった。
ただの人間の働きとしてはあまりにも上出来だ。これだけの時間、六翼の化け物をこの場に釘付けにするなど、そう簡単に出来ることではない。
後は私に任せてゆっくり休めと告げる代わりに、キリムは敢えて二人の頭上を通るように弧を描いて怪物に接近していく。
あの六翼は不死鳥である。
或いは、どうやって湧いてきたのかは知らないが、厳密に言えばこのシマの女王が有する不死鳥としての力の断片である。
並大抵の実力では歯牙にもかからず、相手にしてさえもらえない。キリムが到着するまでの短くない時間、そんな怪物を足止めしていたアマカとセバスは、それを誇って良い。
「――百年ぶりね
その六翼の化け物が持っているのは不死鳥としての莫大なエネルギーと、それを振りまいて周囲を破滅させようとする殺戮の意思。
それが、ラヴィアを構成する無数の感情の中の一つであることをキリムは知っている。彼女の感情図の中で最も大きな割合を占めるものであることを、身をもって理解している。
恐らく今ここでこれを食い止めなければ、百年に一度の災厄は今日に前倒しとなるだろう。
百年前とは、状況が違う。
このシマには、今のキリムにとって、守りたい者があまりにも多い。
「……だから、ラヴィア。私の身勝手な都合であなたを止めるわ。私の権能、禁忌の翼で……!」
キリムの有する七枚の翼は、その一つ一つがかつて彼女に取り込まれた不死鳥たちである。
他の翼を吸収し、より強大な存在へと変わっていく不死鳥の性質こそ、やがて神を生み出すためのシステムの象徴と言えるだろう。
しかしラヴィアと違い、キリムは吸収した他の不死鳥を完全には統合しなかった。他の不死鳥が自我を保ったまま、自身の中に独立して存在し続けることを許していた。それは彼女の生い立ちと性格によるものでもあったし、彼女に取り込まれることとなった不死鳥たちの願いでもあったからだった。
神としては、あまりにも不純な動機。
キリムはそれ故に、不死鳥の中では最も神から遠い。
けれど。
だからこそ彼女は、他のどんな不死鳥よりも怪物だった。
不死鳥同士が互いを食い合わずに重なり合うなど、完全にルール外の出来事。
本当ならこの世界に、不死鳥の固有能力を七つも使い分ける化け物など生まれるはずがなかった。
……そんな彼女の抱える七翼の中に、一つ。
普段は使用を禁じている翼がある。
平穏に暮らしていくために。
或いは、自分の住処を守るためにしては。
あまりにも、破壊と破滅を求め過ぎる、その翼の名は……。
「――
【
その力は、崩壊させる。
あらゆる物質を。
あらゆる粒子を。
そして崩壊によって取り出された莫大なエネルギーは、宇宙創造の力、その一端へと到達する。
普通に使えばシマごと消し飛ぶし、全力ならばこの星が固体惑星であることなどお構いなしに超新星爆発を引き起こす。
なので、使用の際にはそうならないよう全力の手加減を加えるのだが……ラヴィアを相手にそんな隙だらけな能力の使い方をすれば一秒とかからず術理を逆算され、能力を無効化されてしまう。
――しかし今、眼前の六枚羽にラヴィアの意識はない。即ち能力を逆算される心配はない。或いは仮に、本能的な抵抗があったとしよう、それでも能力が解析されるより、手加減した鶴熱砲の直撃の方が間違いなく早いのだ。意思の力を欠くということは、この次元における戦闘行動において途轍もないディスアドバンテージなのだから。
そして鶴熱砲は、当たれば勝つ。そういう能力だ。相手がウグメのような理不尽の権化でもない限り、当たれば全てを蒸発させて跡形も残さない。
それが叶えば本体であるラヴィアも弱体化させられるだろう。
百年に一度の惨劇における0%の勝算も、0.01%くらいには増やせるかも知れない。
ゼロでさえなければ……奇跡はきっと起こせるはずだ。そう信じて彼女は、禁忌の不死鳥を呼び覚ます。
「――おはよう、クレン」
「……おはよう、キリム」
彼女の隣に現れたのは首長の、美しい黒鳥。黒い鶴。キリムとは違い、ヒトの姿は取っていない。
それでも、その威光は確かに不死鳥。
キリムと並び立って尚、決して見劣りしない怪物の風格と威容。
彼は久しく味わう外の空気に僅かな感慨の色を見せ、その
「……そしておやすみ。君達の未来に、もう二度と、僕が目を覚ます時が訪れないといいね……」
……本当はもう二度と目を覚ましたくなんてなかった。
誰からも忘れられた忘却の深淵の彼方で一人、ずっと眠っていたかった。
誰にも穢されることのない、優しい夢だけを見ながら。
それが、クレンの願い。
キリムとしては他の翼――ナインやワルツ、インフィニティらと共にこちらの世界で暮らせればという気持ちは今も根強いのだけれど。彼がそれを望まないのなら、無理強いをするつもりはないのだけれど。
「悲しいことを言わないで。私の未来には、クレン、あなたも必要なのよ」
「ありがとう、キリム。君がそう望むから、僕も同じ夢を見れる。それは十分、幸せなことなんだよ――」
キリムの言葉はまだ、彼の心には届かない。
クレンは儚げに告げると、大人しく、己が呼び出された理由を、全うする。
六枚羽の怪物の中心部で発生する、素粒子レベルでの崩壊。
それは怪物の体積から見れば極めて僅かな規模ではあったが……その小ささから取り出されるエネルギーの総量は、それでも尚、ほんの少し匙加減を誤るだけでこの惑星を滅ぼして余りある。
だから、そこから数秒。決して長くはない僅かな『間』。
ラヴィアの本体が相手ならば致命的となってしまう一瞬の隙に、キリムはクレンと共に能力の制御を行う。
僅かに許された交流の時。
キリムにとって大切な家族との触れ合いの時間は、けれどあっさりと過ぎ去って。
鶴熱砲の直撃を受けた六枚羽の怪物は崩壊の波に飲み込まれ、僅かな破片をパラパラと降らせながら、跡形もなく消滅していった。
「……クレン。……ごめんね。ありがとう。……おやすみなさい」
黒い翼の舞い散る中、キリムは呟く。
つい先程までクレンがそこにいたという、確かな気配の残滓と共に……。
――……。
……。
「やっば。……あれが不死鳥の、翼の権能……」
「いやはや、長生きはするものですな……」
――それは人類の操る魔法とは根底から異なる、異能。
シマに住まう原初の生命体たちと、概ね同質の力。
まるで世界を構築する理の外側から来る術理。
魔素や魔力の流れを一切感じさせない、ただただ理解の及ばぬ現象。具現化された妄想や幻想の類。
アマカは当然のこと、その三倍は長生きしているセバスでさえ人生で初めて見る光景に唖然としたまま、暫くの間、呼吸はおろか口を閉じることさえ忘れてしまうのであった。
*
「うにゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ」
ケンゴと約束した通り、やどりは村に向かって爆走する獅子型シマモノの最後尾に辛うじて追いついていた。
しかし残念ながらそこで彼女にできたのは、その巨木の如き後ろ脚にしがみついたまま引きずられ、全身あちこちを地面やら木の枝やらに引っ掻かれることだけなのであった。
何とか動きを鈍らせ一匹だけはこうして隔離できたものの、他の獅子型はもう影も形も見えない。
こんな有様で何かの役に立ったと言えるかどうかは、甚だ疑問だ。敵勢力を半端に分断したことが裏目にならないことを祈るばかりだった。
「あいだいだだだっ痛い痛い痛い痛いっっ、死ぬ〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!」
――最大の敗因(まだ負けてないが、ほぼそう呼んで差し支えない)は、やどりがこの獅子型シマモノから敵として認めてもらえなかったことである。
普通、シマモノといえば近くの人間を襲うはず。
なのにどういうわけかこの個体は、そのルールを無視して村を目指して走るのだ。
獅子型のシマモノはルールに当て嵌まらない例外なのか?
その答えは恐らく、否。ケンゴ含む数名のセイバーが囲んだ獅子型の一匹が足を止めて戦闘態勢に入ったのを、その場にいたやどりは確かに目にしている。だからこの獅子型にもシマモノ共通のルールは間違いなく在る。
問題は、そう……考え得る原因は――つまり……総合力。
『一番近いニンゲンを襲う』というシマモノ固有の謎ルールは、ひょっとすると魔力やら何やらの総量でシマモノの興味を引けることが前提だったのかも知れない。
つまり、もしかすれば通常のシマモノも本当は同じ性質を持っていて、ただ彼らを足止めするための最低水準を人間一人で必ず満たせてしまうために、今まで誰も気にしなかった――もとい、そういうルールであることに誰も気付けなかったのかも……。
「うぶぶっ、ご、ご主人……やどり、役立たずで、ごめんですにゃ……」
などと考えている間にとうとうやどりの爪が、シマモノの足からずるりと剥がれていく。
抑え切れなかった。一匹は倒すと大見得を切ったのに。これだけ必死にしがみついて、これだけのダメージを負いながらも一生懸命その尻をぺちぺちと叩き続けたのに。それでも尚、獅子型はこちらを一瞥さえしてくれなかった。
眼中にないとは、まさにこのこと。
全身の痛みと悔しさで、涙さえ零れる。
「もう、だめ――」
……その時であった。
「――
――凄まじい、
それはやどりが生まれて初めて耳にした、重厚な肉の旋律だった。
鍛え抜かれた鋼の肉体言語は、ついにそのステージを音楽という領域へと昇華する。
これには森の木々さえもざわめき戸惑った。
無理もない。
まさか筋肉という概念が視覚を超越して鼓膜を通じ、魂をも揺さぶってくることがあるなんて誰も、世界樹さえも、夢にも思ってはいなかったのだから――!
「んんんんんんッッ! 良いっ、凄く良い筋肉だッ!! 俺のッ、筋肉もッッ、今、喜びに満ち溢れているッッ!!!」
「へ……変態だ……!!」
「変態ではない。俺は筋肉の妖精、ギグラさんだ!!!」
「妖精の類だったですにゃッ!?」
「ここまでよく頑張ったな猫っぽい筋肉の少女!」
「その言い方やめろですにゃ!」
「後はこの俺に……否、俺の筋肉に任せてくぬっふぁぁぁぁああッッ!?!?!?!?」
「あぁ吹き飛ばされたッ!? 何しに出てきたですにゃあの気持ち悪い妖精!!」
突如として茂みを破って現れ、疾駆するシマモノの顔面を全身で抑え込んだギグラであったが、あえなく轟沈――人間の努力など軽く嘲笑う強靭な首周りの筋力による反撃で、筋肉の妖精さんは森の彼方へと吹っ飛んでいくのであった……。
本当、何しに出てきたんだあの妖精は。
だがこれで今度こそ立ちふさがる者は誰も――
「……にゃ?」
諦めかけたやどりの眼の前で。
しかしてシマモノは、それ以上前に進もうとはしなかった。
ギグラはもういない。
やどりの方にも相変わらず見向きもしない。
それでも獅子は動かない。
――それは、認めているからだ。
まだその瞳にすら映らない男のことを、明確なる敵として認識しているからだ。
シマモノが唸り声を漏らすのを、ここに来てやどりは初めて耳にする。
嫌だ。
これ以上聴きたくない。
あんな近くで、もう二度とその唸り声など耳に入れたくない――!
刹那のうちに恐怖を刷り込まれ、やどりは息を飲む。
低く、重い。憎悪に塗れた怨嗟の発露。このシマモノを決して逃すまいと強く思っていたやどりさえ本能的に後ずさってしまう程に、その声は凄まじい凶兆を孕んでいた……のに。
「――ん? ギグラの馬鹿は何処行った? まぁいいか」
茂みをかき分けて現れたその男は、平然とその威嚇を受け流す。
途轍もない胆力。自称、歴戦の冒険家は伊達ではない。まるでこの程度の修羅場などいくつも乗り越えてきたとでも言いたいかのようなふてぶてしい態度からは、実際にその通りなのであろう自信が見て取れる。
しかし彼の実力を推し量るならば、もっと分かり易い事実が目の前にある。
セイバーの戦闘員が束になっても一匹しか相手をしてくれず、やどりさえも敵として認識してもらえなかったこのシマモノが――未だに戦意を顕にしていないアディスに対し足を止めて低く身構えているという明確なる事実が。
それは即ち、まだ戦闘態勢すら取らないアディスが、それでも尚ゴールド級セイバーを数人集めたより遥か格上の存在であることを意味する。
「ふ、船のイケメン船長……」
「おう、だいぶ頑張ったみたいだな。後は任せろ。フライア、そいつ頼む」
「やどりちゃん、大丈夫? すぐに手当てするねっ」
アディスの背後から彼の妹分であるフライアも顔を見せ、やどりに駆け寄って治癒魔法の光を押し当てた。
ちなみに本来ならばその治癒魔法とかいう超絶高等魔法技能にも何か一声上げるべきである。それはその辺の一介の少女魔法使いが使えていいシロモノではない。魔術師が扱う魔法はあくまでも魔素を利用して自然現象などを再現する技術であって、なんでもありではないのだから。
けれどそれ以上にやどりの目にはアディスの存在が強く映り込む。
村で会い、ちょっとふざけ合ったりしていた時とはまるで別人のような風格。
思えばあの時の彼はあくまでもフライアやミレーユの保護者だった。
今、やどりの前で初めて見せるこの顔つきこそが冒険家としての彼の本当の姿。
(あいつ……超強い……)
戦わずして思い知る彼我の差。
それもまたやどりには初めての経験だった。
「――ちょっと手強そうだな。流石に不慣れな
そう言って、アディスは背負っていた巨大な鞘から剣を抜き放つ。
鞘の大きさに見合う剛剣。
魔剣精製による魔素の具象化ではないため、そこにはずっしりとした重量がある。推定で人間一人分はあるかも知れない。そう思えるくらいの、通常であれば不利に働くであろう金属質量。しかし彼の場合は逆に、それでようやく本来の実力に至る。
膂力と魔力の両立が不可能な種族――ヒトであるが故に。彼の魔剣精製は素人にしては上出来だが、本職の魔法使いのそれには遠く及ばない。
持ち歩きや手入れの手間を考慮すれば魔剣は確かに便利だが、戦闘中にそれを維持するために消費する脳内リソース量は、近接戦闘における思考の瞬発力、判断力を大きく阻害するデメリットも無視し難い。
つまるところ全ての戦士が帰結する、最終結論は――
魔剣になど頼らない方が強い。
それはアディスとて例外ではなく。
重量ある大剣を抱えて初めて彼は立ち返る。
岩をも砕いて突き進む姿に、誰かが削岩鬼などという渾名をつけたりもした――鬼神の如き強さへと。
「いくぜバケモノ。いやシマモノだったか。まぁどっちでも――似たようなもんだろッ!」
――先手は同着。
示し合わせたかのように両者の繰り出した初手がぶつかり合い、火花が舞う。
黒い外骨格、呪殻は金属のようにしなやかで頑丈だが、関節でない部位には金剛石のような硬度も備わる。並大抵の衝撃では、傷一つつきはしない。
膂力で上回ったのはシマモノ。当たり前だ。たかが鍛え抜かれた成人男性如き、シマモノからすれば生まれたての赤子と大差ない。特に通常の個体より何倍も強力なこの獅子型のパワーがあれば、アディスさえも軽々と宙を舞うことになる。
……が、そんな光景が目の前に広がっても尚、フライアは動じなかった。
だって、どうせ勝つ。
だから、面倒なのでさっさと終わらせて下さいということと、後は今夜の晩ごはんを何にしようかな、くらいのことしか考えない。もし彼が勝てない程の敵が現れたならば、それはきっともう、誰にもどうすることも出来ないと――その覚悟はとっくに済ませてあるのだから。
「ぜぇあッ――!!」
ギグラのように軽々と跳ね飛ばされたかに見えたアディスの動きは、されどよく見れば洗練された戦士の躍動そのもの。敵の反撃を刀身で受けきり、力の流れに乗って鮮やかにその頭上を奪ったまでのこと。
それは人間一人分よりもやや重い、大層な重量を誇る剛剣を軸にしてこそ可能な所作。
二つの力学的エネルギーの衝突、その刹那の脱力。
反発力が自らの肉体に戻ってくるよりも先に慣性に乗って木の葉のようにふわりと舞い上がれば、その後に訪れる力の波はむしろ、その後の動きを助ける追い風に過ぎない。
剣の質量に対する相対的なアディスの軽さ、そして卓越した技術があってこその神業。
舞い上がった後、溜め込んだ反発力を利用し剣を引き抜きつつ、滞空中の回転運動によってその流れを制御し――プロペラのような旋回速度をもって振り抜かれた刃がシマモノの首を落とすまでの時間は、一秒を切る。
文字通り、瞬く間の。
あっという間の、決着であった。
「は……や、え……? うそ、もう……?」
「――よし、まぁこんなもんか。次だ次! サクサク行くぞ!」
真顔でそんなことを言い出すアディスに、やどりはしばらくの間、ドン引きしながら絶句するのであった……。
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