第28話 国王の執務室

 馬車が宮殿に近付くにつれ、雨は止み、空は晴れ渡っていく。

「神も祝福されているようですな」

 セバスチャンが、空にかかった虹を指差しながら言った。

 公爵は、サンドラの耳元でささやく。

「ところでサンドラ、ダンスの方は大丈夫か?」

 昔から勉強は嫌いだが、乗馬とダンスだけは得意な娘だった。子供の頃から、人前に出るような事は大好きだったのだ。

 ところが最近、誰にも習った事のない剣術が異常に強くなったかと思うと、あれほど上手だったダンスが素人同然になっており、それはダンス講師を絶望させる程だった。

 サンドラは不安げに答えた。

「はい、何とか……」

 とても何とかなりそうな顔ではない。

 婚約の儀のフィナーレは、セイラ王子と二人きりのダンスとなる。何百人という来賓の前で、ダンスを披露するのだ。

 正直、絶望的なサンドラだったが、マッチョなのに物腰が女性的なダンスの男性講師から秘策を授かっていた。

「よろしいですか、サンドラ様。とにかく最初の方のステップだけで結構ですので、しっかり覚えてください。そこまで踊ったら、後は涙で何も見えない振りを装って、踊りをやめるのです。なーに大丈夫、お披露目のダンスではよくある事ですし、見ている方も、むしろ感動が高まりますから」

 そして、念を押された。

「ただし、本当に泣くのですよ。嘘泣きは見破られます」

 宮殿の正面には、途方もない数の人と馬車で溢れていた。国中から貴族が集まっているのだ。当然だろう。

 しかし、サンドラが乗った馬車は正面を通り過ぎた。

 セバスチャンが説明する。

「裏口へ回ります。サンドラ様は本日の主役ですので、なるべく幕が上がるまで人目につかぬようお願いいたします」

 それから、感慨深い目をした。

「セイラ王子のオシメを、わたくしが変えたこともございました……月日がたつのは早いものでございます」

 公爵も同じ目をしていた。

「全くだ。昨日生まれたと思ったら、今日はもう嫁に行く準備が始まる。婚約でこれだ、成婚の時には号泣する自信があるぞ」

 裏口は静まり返っていた。お迎えの使用人は誰もおらず、何とセイラ王子自らが待ちわびるかのように立っていた。

 馬車が止まると、セイラ王子が子犬にように駆け寄る。

 アダムが急いで御者席から降りて馬車のドアを開けようとするが、王子が先に開けてしまった。

 サンドラが馬車から現れると、その美しさにセイラ王子の瞳は輝いた。

「ああ、サンドラ様! 何とお美しい!」

「どうかサンドラとお呼びください。セイラ様も、今日はとっても凛々しくて」

 さすがにセイラ王子も、今日は王室男性の正装をしている。だが、サンドラにはどうしても男装の麗人のように見えた。

 サンドラと眼が合うと、王子は恥ずかしそうにうつむいた。

「先日は……お見苦しい所をお見せして申し訳ございません。それなのに、ボクの愛を受け入れてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです」

 頬を赤く染めるセイラ王子を見て、サンドラは勃起した股間を隠そうとドレスの前を持ち上げ、全力で駆けて行く王子の姿を思い出して笑ってしまう。

「クスッ……こちらこそ、ありがとうございます。その……私のようなじゃじゃ馬を迎えていただきまして」

 サンドラの言葉に、セイラ王子はようやく笑顔を見せた。

 セイラ王子はエメラーダ公爵の方を向いた。

「よくお越しくださいました、お継父さま。今日は長い一日になると思いますが、よろしくお願いいたします」

「おお、セイラ王子殿下に継父と呼ばれる日が来るとは感無量です。跳ねっ返りの娘ですが、どうかよろしくお願いします」

 セバスチャンが三人に声を掛ける。

「では、まずセイラ王子警護筆頭の就任式がございます。皆様、こちらへ」

 セバスチャンを先頭に歩き出そうとした時、後からアダムが声を掛けた。

「あの、サンドラ様」

 サンドラが振り返る。

「お忙しい時に申し訳ごぜぇません。一言だけお礼が言いたくて」

「お礼?」

「へい。ケイン王子から伺いました。私らが暴れ牛に巻き込まれなかったのは、サンドラ様の予言おおかげだと。サンドラ様は神様のようなお方だ。ありがとうごぜぇやした」

『公女シルビア』には、ケイン王子が大怪我をすることのみが書かれており、御者や従者がどうなったかについては述べられていない。しかし、車外の先頭に座っていた事を考えると、死亡していた可能すらあった。

 つまり、サンドラが『公女シルビア』の物語を変えてしまうと、影響は波紋として広がるということだ。

 だが今は、人命を救えたことを良しとすべきだろう。

「皆様の元気が私の喜びです。こちらこそ、無事でいらしたことに感謝いたします」

 宮殿内に入った時、公爵がサンドラに耳打ちした。

「おい、おまえが神様って、どういう事だ?」

 サンドラは、おどけた口調で答える。

「世間が、ようやくわたくしの偉大さに気付いたということですわ」

 だが、公爵は真剣な顔で返した。

「いや、全くその通りだな」


「こちらでございます」

 そう言ってセバスチャンが扉を開けた部屋は、国王の執務室だった。それなりに広いのだが、国王というイメージからすれば随分狭い。

 王といえども、事務仕事に広過ぎる部屋は非効率なのだろう。

 セイラ王子は遠慮なく入って行き、正面の大きな机の奥にいた、やたらと貫禄のある男性に声を掛けた。

「父上、エメラーダ公爵とサンドラ嬢をお連れいたしました」

 国王は書類から顔を上げると、立ち上がって大きく腕を広げた。

「おお、よく来てくれた! 我が家族よ!」

 よく響く、太い声だった。

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