第29話 勇者の短刀
エメラーダ公爵は右手を左胸に当て、国王に向かって深々とお辞儀をすると、執務室の中へと入って行った。
サンドラも、カーテシーをして父の後に続く。
部屋の両脇には役人やら軍人やらがズラリと並んでいたが、サンドラが部屋に入るとざわめきが起こった。サンドラの美貌やドレスを讃えると言うより、怖いもの見たさのざわめきに近いものがあった。
「就任式がこんな場所で済まぬ。婚約の儀までに片付けないといけない書類が山ほどあってな。まあ、我々は家族になるのだし、勘弁してくれ」
国王の言葉に、公爵は再び頭を下げた。
「とんでもございません。我が王にお招き頂き、親子共々感激の極みにございます」
「エメラーダ公爵よ、我々は家族だと言うておるだろ。あまり堅苦しくなるな。なあサンドラ、そう思わんか? いや、しかし美しい……王妃の若い頃を越えるな。あ、今の一言は内緒だぞ」
気さくな国王だったが、さすがのサンドラも緊張して、国王のジョークにも顔が引きつるばかりだ。
前世で言えば、将軍慶喜に謁見しているようなものである。ひたすら額を床に押し付け、顔すら上げられない所である。
サンドラは、気の利いた言葉を返すこともできず、再びカーテシーをした。
国王は、脇にいた立派な軍服を着て、鼻髭も立派な人物に向かって言った。
「なあ、近衛隊長。報告では、スルト(北欧神話最強の怪物)とテュポーン(ギリシャ神話最強の怪物)が合体したかの様だったということだが、その意見に変わりはないか?」
近衛隊長が、汗を拭き拭き一歩前へ出る。
「申し訳ございません、我が王よ。あの時は確かにその様に見えたのでございます」
「この美しさを見よ。失礼にも程があるぞ」
青ざめる近衛隊長を庇うかのように、数人の軍関係者が恐る恐ると手を上げた。
「申し上げます、陛下。恐れながら、私もあの時はそのように見えました」
国王は首を捻った。
「そなたらは、そろそろ老眼鏡が必要かもしれんな。まあ良い、結果的には良かった。何といっても変人のセイラが望んだ相手だからな。どんなに恐ろしい魔物が来るかと、実は内心ビクビクしておったのだ。ワッハッハッ!」
大笑いする国王に、セイラ王子の頬が不満げに膨らむのをサンドラは見逃さない。
セバスチャンが、豪華に装飾された金の盆を持って国王の横に立ち、静かな声でサンドラに言った。
「サンドラ様、どうぞ国王様の前へ」
サンドラは怖じ気付いてしまい、すがるような視線を父親に送る。
それに対し、公爵はいつもの優しい笑顔を返した。
――ああ、やはりこの方は、転生者の私にとっても父なのだ。父上が見守ってくださっている……
そう思うと、サンドラの心は軽くなった。
サンドラが国王の前に立つと、王はまず、盆の上の短刀を手にした。豪華に装飾された盆には不釣り合いな、質素で粗末な古い短剣だった。
それで宙に十字を切る。
それから、短剣の側面を、
「
小声で付け加える。
「……まあ、与えなくても十分強いらしいが」
次に左肩に短剣の側面を置いた。
「その勇者の力にて、アルフレッサ王国第一王子セイラを守る盾となれ」
最後に右肩に置く。
「そして、アルフレッサ王国から全ての災いを打ち払う
国王は、もう一度宙に十字を切ると短剣を盆に戻し、次に勲章を手に取った。
「これは、王家の者を専属として守護する者に与えられる証だ。これを女性が胸にするのは初めてだし、公爵という高位の家柄の者がするのも、王子の婚約者がするのも当然初めての事となる。とにかく、今回は全てが初めてづくしだ……」
国王は、ゆっくりと室内を見回す。
「……しかし、我々は初めてを恐れてはいけない。新しい時代の幕開けは、必ず初めての出来事と共に訪れる。女性より美しい王子と男性より強い令嬢。余の常識では計り知れんが、この国の新しい扉を開くのは、間違いなくこの者達の若い力だ」
王は、サンドラに勲章を差し出した。
「本来なら、そなたの胸に余が直接勲章を付けるのだが、その美しいドレスに傷を付けるのは忍びない。今回は手渡しとしよう。どうか息子を、そして、そなた自身を守ってくれ」
サンドラは、勲章をうやうやしく受け取る。
「はい、お任せください。この命に代えまして、セイラ様と王家の皆様をお守りすると誓います」
力強い拍手が起こり、部屋中に響いた。
国王は嬉しそうに頷く。
「本当に命に代えたりしないようにな。今日から、そなたも王家の一員なのだ。そしてセイラよ」
「はい、父上」
「おまえも、自分の婚約者を守れる位には強くなるのだぞ」
「お約束致します」
セイラ王子も、精一杯男らしく答えた。
勲章の授与が終わると、国王は再び書類との格闘に戻った。
「婚約の儀でまた会おう」
執務室を出る時、国王は笑顔でサンドラに声をかけた。
サンドラが振り返り、カーテシーをしている前を、執務室の扉がゆっくりと閉じていった。
侍、悪役令嬢にかく転生せり ちょこみんと @neko-no-ana
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