第25話 不思議な願い
授業のある日、サンドラは前日に残しておいたパンの欠けらを持って学校へ行くのが最近の習慣だ。
裏庭の二〇メートルはあろうかという高い木の下で、手のひらにパンを乗せてじっとしていると、すぐに小鳥が飛んで来てパンをついばみ始める。
サンドラは、手のひらの上を小鳥が動き回るくすぐったさが好きだった。
その日もそうしていると、突然小鳥達が飛び立った。
視線を上げると、シルビアが歩いて来る。
サンドラがパンを細かく千切って地面にまくと、小鳥達は地面の上を楽し気に飛び跳ねた。
「おはようございます、サンドラ様」
「おはよう、シルビアさん」
「そして、ご婚約おめでとうございます」
「あら、ありがとう。だけど、なぜご存じなのかしら? 私も昨日知らされたばかりなのに……って、情報源はケイン王子しかいませんけど」
シルビアは照れ臭そうに笑う。
「はい、お察しの通りです」
「ずいぶん親密になったのね。嬉しいわ。だけど、シルビアさん婚約発表は卒業パーティーの時にしてくださらない」
「えっ? やだ、サンドラ様ったら。そんな、私がケイン様とだなんて、恐れ多くて」
だが、『公女シルビア』では、リンドウを切っ掛けにシルビアとケイン王子は愛を深める。サンドラはそんな二人を見て、シルビアへの憎しみを増幅させるのだ。
そして数日後、二人は下校途中に暴れ牛に遭遇し、シルビアをかばって馬車内から放り出されたケイン王子は大ケガをする。それから、庇ってくれる者のいなくなったシルビアに対し、サンドラの度を超えた壮絶なイジメが始まる……はずなのであったが……
「今日はケイン王子と一緒に帰るご予定?」
「ええ、お誘いは受けています。でも、もしサンドラ様が私に御用がございましたら、もちろんサンドラ様を優先いたします」
「それはダメ。ただ、大事なお願いがあるの」
サンドラの真剣な顔に、シルビアは少し不安を覚える。
「私にできる事でしょうか?」
「もちろん。森を抜けてしばらくした所に石橋があるかしら?」
「はい、短い石橋が」
「今日からしばらくは、あの石橋を馬車から降りて歩いて渡ってほしいの」
「……それだけですか?」
「それだけよ」
「それに何か意味が?」
「そうねぇ、恋のおまじない。あなたとケイン王子がうまくいきますように」
恋のおまじないという割にはサンドラの目は真剣で、シルビアは怖くなるほどだ。
「わかりました。石橋は歩いて渡るよう、ケイン様にもお伝えいたします」
「絶対よ、約束してね」
サンドラの迫力に、シルビアは頷くしかなかった。
☆
サンドラの願いをシルビアがケイン王子に伝えた時、王子は素直に了解した。
「サンドラ嬢の言う事だ。何か深い意味があるに違いない」
そう言って、石橋の前で馬車を降り、二人で歩いて渡って再び馬車に乗るという事を始める。
その日もケイン王子が先に降り、下から手を差し伸べる。シルビアは、その手を取って馬車を降りた。
「なるほど。サンドラ嬢は、これを恋のおまじないと言ったのか」
「はい、そうおっしゃいました」
「このように自然にあなたの手を取り、手を繋いだまま橋を渡って再びあなたを支えて馬車に乗り込む。この触れ合いが、どれほど私たちの心を近付けたか……確かに効果抜群のおまじないだ」
シルビアは、頬を染めてうつむく。
今や馬車内の定位置をシルビアに奪われ、御者台に座る事が多くなったブレードが、御者のアダムに耳打ちした。
「あーあ、聞いてらんないよ」
アダムは声を押し殺して笑う。
「クックックッ。ブレード様も、早くお相手を見つけるこった」
アダムが馬車を進ませようとしたその時だった。
突然地響きが起きた。
ギョッとして前を見ると、石橋の向こう側で一〇頭ほどの牛が現れ、飛び跳ねている。
一頭の牛の耳の中にハエが入ってしまい、パニックを起こして暴れ始めたのだ。パニックは他の牛にも伝染し、危険な状態になっていた。
あまりの迫力に、四人は暴れ回る牛を呆然と眺めるしかなかった。
やがて騒ぎの原因となったハエが牛の耳から出て行き、落ち着きを取り戻すと、他の牛の騒ぎも収まった。そして、再びブラブラと草原へ戻って行った。
「いやぁ、びっくらこいたなぁ」
アダムの眼は、まだ丸くなったままだ。
「ここで止まらなかったら、確実に巻き込まれていたぞ」
ブレードの額を冷や汗が流れた。
ケイン王子は、シルビアの身体を守るように抱き締めたままだった。シルビアも、すがるようにケイン王子に抱きついている。
それに気付いた二人は、慌てて身体を離した。
「い、いや、失礼……しかし、それにしても……サンドラ嬢はこれが起こることを知っていたのではないだろうか? だから石橋の前で馬車から降りろと……」
ケイン王子と同じ事をシルビアも考えていた。
「はい。あの時のサンドラ様は、とても恋のおまじないを教える時の顔ではありませんでした。怖いほど真剣な目で。恐らくサンドラ様は……」
ケイン王子は頷いた。
「うん。未来を予知しているに違いない」
それは、確信したかのような口調だった。
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