第16話 王家の秘密
エメラーダ公爵領では、早摘み葡萄の収穫が始まっていた。
道の左右に広がる畑では多くの農民が働き、王家の馬車に気付いた者は足を止め、帽子を取って頭を下げた。
ケイン王子は、慣れた様子でそれに笑顔で手を振って応える。
大名行列の際に、土下座を強いた徳川家とは随分な違いである。
サンドラはいたく感心した。
「ケイン王子、さすがでございます。そうやって民に親しく接する事で、愛国心や忠誠心が生まれ、国の発展に繋がるのですね」
王子は苦笑いする。
「いや、あまりその様な事は考えていません。私は若輩者だし、生意気と思われるより、好かれていた方がいいかなと。それより、サンドラさんは手を振らないのですか?」
「私が? ですか?」
「そうですよ。だって、ここは公爵領です。民だって、挨拶しているのは、私よりサンドラさんに対してでしょう」
「あ……そうか、そうだったのか……」
通学の時も、やたら頭を下げる人が多いので、この御者はどれだけ知人が多いのだろうと思っていたが、まさかサンドラ自身に向けられたものだったとは。
剣術指南役とはいえ、前世は下級武士の家柄。まさか、自分が領民から頭を下げられる立場にあったとは、想定の範囲外であった。
子供が三人、畑の中でお辞儀をしていたので、サンドラも試しに手を振ってみる。
すると、笑顔になった三人は、馬車を追い駆けながら両手を振った。
鉄造の人格が覚醒する前のサンドラは、自分にしか関心がなかったので、人々が示してくれた敬意に全く気付いていなかったのだ。
「かわいいですわね」
シルビアも、サンドラと一緒に子供達へ手を振った。
葡萄畑を抜けると、しばらく草原が続く。牛が数頭、草を喰みながら走り行く馬車を見ていた。
「ところでサンドラ様、ご相談についてなのですが……」
ブレードは、向かいに座るサンドラに、身を乗り出すようにして話始めた。
――いよいよだな。
サンドラも身体が前傾する。
「……他言無用でお願いします。シルビア様も、よろしいですね」
ブレードの真剣な口調に、シルビアの表情が強張った。
それを見たケイン王子がフォローする。
「緊張するような話ではありません。ただ、お二人の胸にしまって頂きたい話なのです」
王子の優しい笑顔に、シルビアは落ち着きを取り戻す。
「相談とは、ケイン様の兄上、セイラ第一王子の事です。セイラ王子は、その……実は同性愛の傾向があって……」
それを聞いたシルビアは目を大きく開き、叫びそうになった口を慌てて両手で押さえた。
ブレードも深刻な表情だ。
シルビアは恐る恐る尋ねた。
「あの、それは……少し行き過ぎた友情などでは?」
ケイン王子はゆっくりと首を横に振る。
「そうであれは、どれほど良いか」
ところが、サンドラは事情が飲み込めない。
「あの、それが何か?」
ブレードが呆れた顔をする。
「何かとは何ですか? 王室がひた隠しにしている大問題ですよ」
落馬事故以降、サンドラの思考の変化を知るシルビアは、噛んで含めるように説明した。
「同性愛は、教会が神に背くものとして禁じています。しかも、お世継ぎに問題が出かねません」
サンドラは納得する。
「ああ、そうか。お世継ぎか……」
覚醒前のサンドラは、形式的にお祈りするだけで信心深くもなく、宗教の知識にも乏しかった。ようやく、男色が日常的だった武家社会や衆道(男同士の恋愛)を粋なものとした江戸文化を持つ日本と、この世界のモラルが相容れないものだと理解する。
ケイン王子は、サンドラの鈍い反応に不安を感じたが、気を取り直して事情を語った。
「私にブレードが付いているように、兄にもエッジという専任の警護が付いていました。ところが、兄はエッジに恋心を抱くようになり、それがエスカレートしていきます。やがてエッジを独占したくて、常に一緒にいるように命じるまでになりました……」
サンドラは、将軍家光を思い出さずにはいられなかった。
徳川家光も根っからの男色家で、大奥は家光に世継ぎを作らせるに始まったものだ。
「……兄は全く裏表がないので、人前でもエッジへの恋心を隠しません。当然、人の知るところとなり、エッジを軍に入れて引き離すしかなかったのです」
サンドラが尋ねた。
「エッジさんは今も軍隊に?」
「ええ。実は、兄のせいで軍に行った警護は二人目です。兄は強い人が好きで、自分を命懸けで守ってくれる相手に惚れてしまいます。先日、エッジに会ってきましたが、軍に入れてホッとしていましたよ。彼には、普通に女性の婚約者がいましたから……」
女性に興味を示さない将軍家光に対し、心配した周囲は策を講じ、お振という男勝りの娘に男装させて家光に近付ける。
この作戦は成功し、お振は家光の最初の子である千代姫を生む。
「……つまり、もう兄に男の護衛を付ける訳にはいかないのです」
サンドラは思った。
――もしかして、俺がお振の方の役回りか?
しばらくの沈黙の後、ブレードがサンドラに向かって言った。
「サンドラ様。公爵家のご令嬢にこんなお願いをするなど、前代未聞のご無礼だとは思いますが、何とかセイラ王子の警護筆頭を引き受けて頂けないでしょうか?」
サンドラは即答した。
「もちろん、喜んでお受け致します。少しでも王室のためになれるのでしたら」
ケイン王子とブレードは、顔を見合わせて喜ぶ。
「おお、良かった。これで父に良い報告ができる」
「いや、本当に。まるで霧が晴れたようですね、王子」
しかし、サンドラは厳しい表情を崩さない。
「いえ、まだ喜ぶのは早いかと。問題は、セイラ王子が私を警護として認めて頂けるかどうかです」
ケイン王子は笑顔で答えた。
「ええ、そうですね。ですが、あくまで警護、サンドラさんの実力を見れば、断る理由など見つからないはずです」
それを聞いてブレードも頷く。
「全くです。その結果、もしお二人にロマンスでも生まれれば、アルフレッサ王国は安泰です」
「ハハハ、確かにそうだ。サンドラさんの強さを見れば、兄上も性別など無関係に好きになるかもしれない。エメラーダ公爵家のご令嬢とあれば、家柄的にも問題なしだ」
シルビアまでが浮かれ始めた。
「サンドラ様が未来の王妃様ですか? ステキ! ティアラをつけたサンドラ様、ぜひ見てみたいです!」
サンドラは思った。
――ああ、やはり俺がお振の方の役回りかよ……
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