第14話 サンドラの木刀
サンドラの中で鉄造の人格が覚醒して、一番驚いたのは自分の乳房の大きさである。これほど巨大な乳房は、小倉はもちろん、博多でも江戸でも見たことがなかった。
ところが学園に行くと、サンドラだけが特別という訳ではないらしい。シルビアこそ小振りだったが、他の者はサンドラと同等か、それ以上の者すらいた。
これはやはり、食文化の違いだとサンドラは思った。幼少の頃より牛の乳を飲み、肉を食べる。十分な動物性蛋白質が巨大な乳を作るのだろう。
片や日本は、牛を主に労働力としてしか見ていなかった。貴重だったし、環境的に植物性蛋白質に頼らざるを得ない現実があった。
まあ、乳房が大きいのは良いのだが、戦いにおいては弱点につながる。
ブレードとの試合では、喉への突きを捌いた時、乳房にかかった遠心力で回転の軸が乱れたのだ。
これでは、命のやり取りをする極限の状況下では致命的な欠点になりうる。
そこでサンドラは、宮殿への出発を前に、フランに頼んでさらしをきつく胸に巻いてもらうことにした。
「サンドラ様の美しいお胸に、こんなひどい事をするとは、フランは罰当たりでございます」
そんな事を言いながら、恍惚とした表情をしている。
「いいから、もっときつく巻いてくれ。王室の方々の御前で試合を行う事になるだろうが、少しの体勢の崩れが負けにつながるからな」
「ああ……サンドラ様、また男言葉になっていらっしゃいます。ステキですけど」
「今日は勘弁してくれ。身体がすでに戦闘体勢に入っているのだ」
さらしを巻き終わると、乗馬服を着てブーツを履く。
着替えを終えてホールへ降りていくと、シルビアと義母の男爵夫人がいた。
シルビアはいつもの通りだが、男爵夫人の緊張が伝わってくる。ソファーから立ち上がると、サンドラに向かって深々と頭を下げた。
「サンドラ様、今日はシルビアを宮殿にお誘い頂き、ありがとうございます。娘はご存じの通り、田舎暮らしが抜けておりません。サンドラ様のご迷惑にならなければ良いのですが……」
サンドラは、精神力で戦闘モードから令嬢モードへと切り替える。
「まあ、シルビアさんのお母さま。とんでもございませんわ。私から、シルビアさんにお頼みしましたの。一人では不安で寂しいから付き添ってほしいと。お礼を申し上げるのは私の方です」
サンドラが宮殿に出向く条件としたのが、シルビアを同行させる事だった。
ケイン王子も反対する理由はないので、この希望はあっさりと通る。
目的はもちろん、シルビアとケイン王子の仲を進展させることにあった。
障害があるからこそ燃え上がるのが恋愛であり、シルビアとケイン王子にとっては、サンドラこそが障害そのものであった。
ところが、サンドラが障害の役目を降りて以降、二人の仲は進展どころか後退している。
ここらで燃料を投下せねばならない理由があった。
シルビアは、心配する義母に言った。
「お義母さま、シルビアは大丈夫です。宮殿と申しましても、私はサンドラ様のお供をするだけ。サンドラ様には大切なお役目がございますので、少しでもお手伝いできたらと思います」
男爵夫人の顔から、少し緊張が解けた。
「そうね……あなたなら、きっと大丈夫ね」
「ええ、お義母さまの娘ですから」
感動でサンドラの目がうるっとくる。
この二人に血のつながりはないが、親子としての強い絆が確かにあった。
一方、サンドラとマリー夫人はどうだろう?
間違いなく、血のつながりがある親子なのだが……
「そういえば、母上は?」
フランに尋ねた。
「頭が痛いと、お部屋で横になっていらっしゃいます」
「そう……」
――母上にとって、女だてらに剣を振るような娘は、決して良い子ではないのだ……
前世では幼くして母親を病で亡くしており、甘えたという記憶がない。
本心では、現世の実母であるマリー夫人に甘えたくてしかたなかった。十七歳の娘という今の立場であれば、多少ベタベタしても許されるという思いもあった。
――王室の件が片付いたら、しばらく剣を持つのは控えて、母上の望む通り花嫁修業に専念するか。
ひそかに思うサンドラであった。
その時、玄関の扉が開き、執事が入って来る。
「サンドラ様、シルビア様、宮殿からお迎えの馬車が到着いたしました」
執事の先導で邸宅を出ると、宮殿からの馬車に向けて使用人達がズラリと並んでいた。
――何もここまで……
サンドラは、苦笑いをしながら、その間を通る。王室に対する、マリー夫人の精一杯の見栄であった。
その一番馬車寄りに、白髪の小柄な老人が立っていた。
今日は、庭師のバートンに、サンドラの見送りが許されていたのだ。
サンドラがバートンの前で立ち止まると、老人は一メートル程の棒を差し出した。
美しく磨き上げられ、黒光りしている。
それを見たサンドラは、思わず男言葉に戻った。
「おお、ついに完成したか!」
「へい、一番の出来でごぜぇやす」
それを手に取ったサンドラは、前後左右に振ってみる。
ヒュンヒュンと風を切る音がするだけで、あまりの速さにシルビアの眼には棒が消えて見えた。
「うむ、さすがだ! 感謝するぞ、バートン」
老人は、所々抜けた歯を見せて、嬉しそうに笑った。
「お嬢さまの無事をお祈りしておりやす」
「おう! そなたの木刀があれば百人力だ。ハッハッハッ」
男言葉使うサンドラを初めて見た使用人は眼を丸くするが、最近のサンドラを知っているシルビアは冷静に尋ねた。
「サンドラ様、それって?」
「私の木刀だ。今日はこれで闘う」
「木刀……ずいぶんと長くて細いのですね」
前世でも武士が使用していた刀は通常七〇センチ、この世界の剣もほぼ同程度だ。
対して、サンドラの木刀は九〇センチを超えている。また、この世界の剣は両刃なので、刀と比較すると太い。
この長さと形状こそ、巌流剣術の『物干し竿』と形容される刀の形だった。
「庭師のバートン殿が、薪の保存庫の奥で長年放置されてカチカチに硬くなった木材から選りすぐり、私の希望にピッタリの形に加工して磨き上げてくれたのだ。長さといい、重さといい、反り具合まで理想通りよ」
長太刀を扱うことを特徴とする巌流だが、創始者である佐々木小次郎が学んだのは、実は小太刀で戦う中条流である。
幼少から遺憾なく才能を発揮し、神童と呼ばれた小次郎だったが、既に盛りを過ぎていた師には何度挑んでも勝てない。
小太刀の師匠に小太刀で挑んでも勝てないと見切りを付けた小次郎は、長い刀でも小太刀と同じ素早さで動けるように鍛錬を重ねる。
それでもしばらくは負けが続き、負けるたびに刀は長くなった。
そして、ようやく師に勝利した時の刀の長さが、今サンドラが携える木刀の長さであった。
サンドラは、バートンに向かって頷いた。
「では行ってくる」
それだけ告げると、第二王子が待つ馬車へと乗り込むのだった。
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