第12話 秘技燕返し

 当然、日本の剣術など見たことのない者ばかりである。観覧席からは失笑が漏れた。

 ケイン王子も思わず笑ってしまう。

「プハッ。何だ、あの構えは?」


 だが、サンドラには勝算があった。

 この一週間、厳しいマナーレッスンの後、一番重い火かき棒で型稽古を行っていたからだ。そして、庭師からもらった木の枝で、舞い落ちる落葉を瞬時に切る訓練も合わせて続けていた。

 乗馬好きなだけあって、サンドラの体幹は強く、筋力も十分にあった。

 わずか一週間の特訓ではあったが、どこまで前世の勘を取り戻せたか、試したくて仕方なかったのだ。


 ワッツ教諭の右手が切って落とされる。

「始め!」

 その時、ブレードも笑っていた。

――おいおい、心臓がガラ空きだよ。マジでド素人か?

 ところが次の瞬間、右足を勢いよく振り上げたサンドラは、そのままの体勢で氷の上を滑るかのごとく左足を何メートルも移動させ、右足が着地すると同時にモップの柄を上段から斬り落とした。

「キェッー!」

 猿の断末魔のような気合いとともに繰り出された技は鋭く、ブレードは鼻先スレスレで辛うじてよける。

――鋭い! だが、一撃に全力をかけ過ぎだよ、お嬢さん。今度は頭がガラ空きだ。

 ブレードがサンドラの頭部を狙おうとした、その瞬間……

「止め!」

 ワッツ教諭の声がかかった。

「えっ?」

 ブレードは訳がわからない。

 ワッツ教諭も、目の前の現象を確かめるように言葉を続ける。

「……技あり、サンドラ」

 気が付くと、モップの柄はブレードの股間に差し込まれ、男性の急所スレスレでピタリと止まっていた。

「奥義、燕返し」

 サンドラが、その技の名を告げる。

 観覧席が再びどよめいた。

 シルビアと取り巻き令嬢たちだけが、飛び上がって喜んでいる。

 巖流秘伝の燕返しは、縮地歩から一直線に切り落とした剣を敵がよけた瞬間、敵の反応よりも速く剣の軌道を逆方向へと変えて斬り上げる技である。腕力や力まかせでは実現不可能な、高度な全身協調を必要とする技であった。

 巌流を創始した佐々木小次郎が、水面近くを飛ぶ燕を斬り落としたことから、その名が付けられた。それほど、速く鋭い技である。

 サンドラは、さも当然のように開始位置に戻り、前世の癖で血振りの所作を行う。

 ブレードは、愕然と呟いた。

「油断した……信じられんが、手加減できる相手じゃない。次は……こちらから仕掛ける」

 本気で行く意思をワッツ教諭に視線で送ると、ワッツは止めてくれとばかりに首を横に振った。

 ブレードはそれを無視する。

 不安なまま、ワッツ教諭は再び右手を上げた。

 今度は、ブレードが構えた木剣の剣先が、正確にサンドラの喉笛を捉えている。

――ようやく本気になってくれたな。

 一本目とは違うブレードの気迫に、サンドラは右足を一歩踏み出すと腰を落として前傾し、左手に持ったモップの柄を腰に当てて右肩を前に出した。そして、右手を左腰に回して、モップの柄に軽く添える。

 ブレードから見ると、モップの柄はサンドラの身体に隠れる体勢となった。

 巌流居合いの構えである。

 西洋剣術しか知らない者には奇異な構えであるが、もう笑う者はいない。

 ただ、ケイン王子だけが首を傾げた。

「あれではまるで、首を切ってくれと言わんばかりだ……」

 ワッツ教諭の手が降りる。

「始め!」

 ブレードは軽快なステップで前進する。フェイントを軽く入れた後、思い切り踏み込んで喉を突いてきた。

 このような時、無理せずバックステップで距離を保つのが西洋剣術のセオリーだ。

 しかし、サンドラは退かずに、むしろ右足を右前方に踏み出し、その足を中心に90度右に高速回転した。

 同時にブレードの木剣は空を切り、サンドラが抜刀の要領で斬り上げたモップの柄はブレードの足の付け根の大動脈部分をなぞるように切り上げ、そのまま頭上で木剣を両手で持ち直すと、袈裟で斬り落としてブレードの首筋でピタリと止めた。

「止め! 技あり! 勝者、サンドラ!」

 ワッツ教諭が告げると、興奮したシルビアと取り巻き令嬢たちが観覧席から降りてきて、サンドラに飛びついた。

「凄いです! サンドラ様! シルビアは感動しました!」

「あ、ありがとう。わかったから、少し離れてくれ」

「どうかなさいましたか? 私たちがはしゃぐのがうっとうしいですか?」

「いや、決してそうではないのだが、皆の胸が私の腕にだな……」

 赤面するサンドラに、ワッツが声をかけた。

「サンドラさん、ブレード君と握手を」

――そうだった。日本では試合後に礼をするように、この国では握手をするのだったな。

 完敗ではさぞ機嫌が悪かろうと思いつつブレードに近付くと、ブレードは照れ臭そうに笑いながらサンドラに右手を差し出した。

「サンドラ様、オレ……いや、私の完敗です。いい勉強になりました。ありがとうございます」

 サンドラは、ほっとしてブレードの手を握り返す。

「こちらこそ。また手合わせ願いたいわ」

「いや、当分ごめんです。もっと上達しないと、私では相手になりません」

 若いのに器の大きな青年だ、とサンドラは思う。

 ケイン王子も、拍手しながら観覧席から降りて来た。

「驚きましたよ、サンドラさん。女性が剣を振るだけでも驚きなのに、まさかブレードに勝ってしまうとは。あなたが敵国に寝返って、暗殺者にでもなったら、私は助からないことになりますね。ハハハ……」

 学院内だから言える冗談である。

「……それにしても、いったい誰から剣術を?」

「あの、その……もちろん、父上からです」

「ほう、エメラーダ公が。文に優れた方だとは知っていたが、武の方もこれ程とは……人は見かけだけで判断してはいけませんね」

 ブレードとワッツも、ケイン王子の言葉に真顔で頷く。

「それにしても、よくもここまで長い間、爪を隠し続けていたものだ。不躾で申し訳ないのですが、その強さを見込んで一度相談に乗ってほしい事があるのですが」

 サンドラは、王家の家督問題に介入する切っ掛けになればと思い、快諾した。

「喜んでお受けします、王子。私にできる事でしたら何なりと」

 そして、しがみついて離れないシルビアと取り巻き令嬢たちに、苦笑いのサンドラだった。

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