第3話 転生

 死かと思ったのは、ただの眠りだったようだ。むしろスッキリした気分で目が覚める。

 シルビアが優しく語りかけてきた。

「お目覚めですか、サンドラ様」

「とても……良い匂いがする」

「先生のご指示で、かぼちゃのスープをご準備いたしました。三日間、何も召し上がってないので、最初は胃に優しいものがよろしいそうです。サンドラ様、体を起こせますか?」

 シルビアに支えられ、サンドラは恐る恐ると上体を起こした。

 うつむいて腹を見ようとしたが、巨大な乳房が邪魔して見えない。見えないので触ってみると、穴は開いていなかった。

 それにしても、この寝間着はなんだ。絹ではないか。布団も、埋もれてしまいそうなくらいフカフカだ。

 夢で龍馬が言っていた言葉を思い出す。

「今日から、おまんがサンドラぜよ」

 ここは、本当に『公女シルビア』の世界らしい。そして鉄造は、よりによって悪役令嬢サンドラへと転生したようだ。

 前世は浄土真宗の信者で、六道輪廻(六つの世界に何度も生まれ変わるという仏教の世界観)の教えに親しんでいたサンドラは、抵抗なくこの現実を受け入れた。

 脳裏に、これから言うべき言葉が浮かぶ。

——なぜ、おまえなんかがここにいるの? 今すぐ出て行って!

 それから、スープが入った皿をなぎ払い、シルビアに火傷をさせるのだ。

 確か、物語はそのような展開だった。

 だが、今のサンドラは思う。

——これ程の恩人に、よくもそんな酷いことが言えたものだ。サンドラは、全くけしからん悪役令嬢だな。

 なので、首を垂れて感謝の言葉を口にする。

「ありがとう、シルビア嬢。心より感謝申し上げる」

 シルビアの目から、再びポロポロと涙が溢れた。

「そんな、サンドラ様。もったいないお言葉です。余計な事をするなと、お叱りを受けるものと覚悟しておりました」

 シルビアの涙に、サンドラは狼狽える。悪役令嬢に転生しても、侍の魂は女の涙に弱かった。

「泣くのは勘弁してくれ。今までイジメてきたことなら謝るから、な。これからは仲良くしようではないか」

「ありがとうございます、サンドラ様。お友だちになって頂けるのですか?」

「もちろんだ。だから早く、そのかぼちゃのスープとやらを食べさせてくれ。いい匂いがして、もう辛抱ならん」

 サンドラが台の上にあったスープ皿に手を伸ばすと、シルビアがサッとそれを取り上げる。

「お腹が驚かないように、ゆっくり召し上がるようにとの事です。どうぞシルビアにお任せくださいませ」

 涙を拭くと、シルビアはスプーンでスープを掬って息をフーフーと吹きかけ少し冷まし、サンドラの口元へと運んだ。

「はい、サンドラ様」

「これはかたじけない。どれどれ」

 サンドラは、デレながら口を大きく開ける。

 そして驚いた。

「美味い!」

 芳醇で濃厚、これがかぼちゃかと我が舌を疑うほど。前世で飲んでいた、果てしなく水に近い味噌汁とは雲泥の差だ。

「これほど美味いものは初めてだ。さも名高き料理人の技とみた」

 シルビアは恥ずかしそうに笑う。

「サンドラ様のお口に合えば光栄です。私が心を込めてお作りしました」

「そなたが……」

 もう一口、口に入れられる。サンドラは、すっかり感心してしまう。

「それにしても美味い……そなたに、サンドラが敵うはずもないな」

 シルビアが真顔になった。

「私がですか? そんなことはございません。サンドラ様は、公爵家の御令嬢として、とても立派な方です」

「ところがそうでもないのだ。これから、貴族の娘とは思えぬ、極悪非道な所業の数々を行うのだから」

「これから? 極悪非道?」

「いや、それらは決して起こらぬが……いずれにせよ、今後は私がそなたを守る。よって、安心するように。心置きなく、第二王子と結ばれてくれ」

 ところが、シルビアは不思議そうな顔をした。

「私がケイン様と、ですか? それはございません。身分が違い過ぎます。やはり、ケイン様には、サンドラ様こそ相応しいかと…」

 サンドラに不安がよぎる。

——そういえば、二人が急接近するのは、サンドラのイジメが激化してからのことだ。

 第二王子はシルビアへの庇護欲が駆り立てられ、シルビアは王子への依存度が高まり、やがて恋となる。

——つまり、サンドラがシルビアをイジメないと、二人は恋に落ちないのではないか?

「……サンドラ様? 私、またサンドラ様のご気分を損ねることを……」

 スプーンを差し出しても、深刻な表情のまま反応しないサンドラを、シルビアは心配そうに見ていた。

「あ……いや、すまぬ。悩んでも仕方ないことを、あれこれ悩むのが、昔からの悪い癖でな」

「まあ。サンドラ様でも、お悩みになるのですね。いつも太陽のように輝いていらして、悩みとは無縁のご様子でしたので」

「あはは。それはまあ、人間だからな。それより、スープをもっといただけまいか。あーん」

 武士は主君のために死ぬのが定めと、前世では物心ついた頃から、誰かに優しく看病されたことなどなかった。

 サンドラは鼻の下を伸ばし、シルビアが口に運ぶかぼちゃのスープを、ツバメの雛のごとく飲み込んだ。

 やがて、スープ皿は空になった。

 シルビアは、立ち上がってサンドラに告げる。

「食器を片付けてきます。後ほど先生の診察がありますので、それまでゆっくりお休みください」

「私はもう大丈夫だから、そなたも休んでくれ。何日もろくに寝ていないのであろう」

「お気遣い、ありがとうございます。でも、サンドラ様のためでしたら、シルビアは二日や三日の徹夜は平気ですので」

 そして、部屋を出て行こうとして振り返った。

「今日のサンドラ様、男言葉で何だかとってもカッコ良いです。ドキドキしちゃいました」

 そう言うシルビアの頬は、ほんのりと赤く染まっていた。


 一人になると、サンドラは目を閉じた。

 サンドラとしての記憶が浮かび上がってくる、不思議な感覚があった。

 不明瞭な部分もあったが、前世で読んだ『公女シルビア』の内容と概ね矛盾や差異はないようだ。

 となると、これからの展開も本の通りなのだろうか?

 サンドラは、シルビアを露骨にイジメ出す。だが、イジメればイジメるほど、悪だくみとは逆に第二王子とシルビアは惹かれ合っていく。すると、嫉妬に狂ったサンドラのイジメはさらに激化し、それは両親である公爵夫妻が我がまま放題に育てたことを悔いるまでになる。

 ついにはシルビアの殺害まで考えるようになり、卒業パーティーでの毒殺を策略するが、第二王子の機転により陰謀は阻止される。そして、それまでの悪行は全て断罪され、親にも見放されたサンドラは、弁護士すら付けられずに遠く監獄まで連行される……。

 この展開だけは、何としても避けなければならない。前世で凄惨な死を遂げ、せっかく転生できたのに、獄中で一生を終えるなど冗談ではなかった。

 しかし、ここが『公女シルビア』の世界であるならば、どこまで物語の展開を捻じ曲げて良いものか?

 そもそも、サンドラ一人が逆らったところで未来は変わるのか?

 いくら逆らっても物語の矯正力が働き、監獄行きの運命は変えられないのではないか?

「運命か……」

 その言葉が口に出る。

——龍馬の奴め、気安く「幸せになれ」などと言っておったが、サンドラなどに転生して幸せになれるのか?

 そして、思い出すのは、やはりいつかの龍馬の言葉だった。

「我が成す事は我のみぞ知る」

 悪役令嬢に転生しても、侍としての生き様だけは捨てまいと誓うサンドラだった。

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