第2話 悪役令嬢

 サンドラは張り切り過ぎたのだ。

 何しろ乗馬は、まともに張り合ってシルビアに勝る、ほとんど唯一のものだ。

 公爵令嬢としては、その実力をクラスメイトや取り巻きたちにアピールする必要があった。

 だからこそ、あえて男子でも難しい障害物に挑戦したのだ。

 当然、憧れの第二王子がその授業に参加していたことも大きかった。


 その憎きシルビアだが、男爵家の令嬢ではあったが、実は養子であることを知らぬ者はいない。

 子宝に恵まれず、教会のボランティア活動に熱心だった男爵夫人が気に入って引き取った孤児がシルビアだった。

 それでもシルビアは、見た目の愛らしさと誰にでも分け隔てのない優しさ、頭脳の明晰さ、そして料理から裁縫まで何でもこなす家庭的な人柄と相まって、学園中の誰からも好意を持たれていた。

 並外れた美貌と公爵家の一人娘であることを鼻に掛け、暴虐無人に振る舞い、一部の取り巻きを除いては疎まれる存在のサンドラとは真逆である。

 最近では、第二王子までシルビアを憎からず思っているのは明らかだった。

 つまり、サンドラとしては、ここで良い所を見せねばならない理由があったのだ。


 しかし、跳躍は失敗した。

 愛馬は大きくバランスを崩し、サンドラは頭から落馬する。

 女子生徒は悲鳴を上げ、男子生徒は駆け寄った。

 教師が手首を握ると脈がなかった。呼吸もしていない。

 教師は必死で心臓マッサージと人工呼吸を繰り返した。

 校医が駆けつけた時、サンドラは何とか息を吹き返していたが、それから三日間サンドラの意識は戻らなかった。


 その三日間だが、不眠不休でサンドラを看病したのはシルビアだった。

 サンドラが、自分を毛嫌いしているのは知っていた。看病されることにより、弱みを見られたと思ったサンドラのイジメが激化する可能性も考えた。

 だが、困っている人を見捨てることなんてできない。シルビアは、サンドラの看病を買って出る。

 孤児院でも、病気や怪我をした子供たちの看病をするのはシルビアの役目だったし、手慣れたものだった。


 そして、シルビアの献身的な看病の甲斐あって、サンドラは意識を取り戻す。

「ここは……どこだ?」

 サンドラは、不思議そうに辺りを見た。

 シルビアは感涙にむせぶ。

「ああ、神様……ありがとうございます。サンドラ様のお屋敷ですよ」

「サンドラ? そなたの名は? なぜここにいる?」

「シルビアにございます。僭越ながら、サンドラ様の看病をさせて頂きました」

「シルビア? 『公女シルビア』のシルビアか?」

「まあ、公女なんて恐れ多い。今、お医者様をお呼びしますので、しばしお待ちを」

 シルビアは、涙を拭きながら部屋を出て行った。



 鉄造としての最後の記憶は、砲身の先端から落下するところで終わっていた。

 銃は銃口が詰まっていると暴発すると聞いたことがあったので、それは大砲も同じではないかと思い、鉄造は己の身体で砲門を塞いで大砲を暴発させることを思い付く。

 銃弾をかいくぐって大砲まで辿り着いた鉄造は、守りの長州兵を倒し、砲身に正面から飛びついた。

 高温になっていた砲身に、鉄造の身体は焼けただれたが、それでも構わずに必死でしがみついた。

 しかし、作戦は失敗に終わる。

 砲弾は、鉄造の腹をやすやすと撃ち抜き、遥かかなたへと飛んで行った。

 鉄造は砲身から落下しながら、あの物語の悪役令嬢が落馬した時も、このような浮遊感を感じたのだろうかと、なぜかボンヤリと考えた。


 次の瞬間、気付くと目の前に美しい少女がいた。

 碧い瞳と栗色の髪。日本人ではない。

 ここはどこだと尋ねると、サンドラ様の屋敷だと答えた。

 その名に覚えがある上に、少女は自分をシルビアと名乗った。

 龍馬が変な話をしたせいで、死に際に妙な幻覚でも見ているのだろうと鉄造は思う。

 少女が立ち去ると、やたらと眠くなり、これが死かと思いながら目を閉じた。



 シルビアが、初老の医師とサンドラの母親であるマリー公爵夫人を連れて戻って来た時、サンドラは眠っていた。

 医師はサンドラの容体を診たあと、明るい表情で言った。

「大丈夫、眠っているだけです。脈も呼吸も安定している。熱もありません。もう心配ないでしょう」

 マリー公爵夫人はシルビアの手を取り、涙を流しながら言った。

「ありがとう、シルビアさん。あなたのおかげです。感謝の言葉もありません」

「とんでもございません、奥さま。私などに、もったいないお言葉です」

 医師も笑いながら言った。

「いや、本当によくできたお嬢様だ。寝たきりだったサンドラ様の下の世話まで、見事な手際の良さでした。貴族のお嬢様が、簡単にできることではありません」

「そんな、先生まで……」

 シルビアは恥ずかしそうにうつむいたが、思い出したように医師に訴える。

「……そう言えば、先生。サンドラ様は、私のことを覚えていらっしゃいませんでした。それどころか、ご自分のことまで」

「そうですか。頭から転落したと聞いていますので、記憶の混乱や欠損が起きているのでしょう……」

 シルビアとマリー公爵夫人の顔が不安げに曇ったので、医師は元気づけるように言葉を続けた。

「……ですが、多くの場合、時間の経過により回復します。それでも記憶が戻らない時は、別の治療法もありますので」

 ほっと胸を撫で下ろす二人だった。



 夢の中で鉄造は、龍馬と『公女シルビア』の感想を語り合っていた。

「結局、人の恩には礼で返さんと、いずれバチが当たるちゅうことよ。馬から落ちたサンドラも、素直にシルビアに感謝しておけば、あんな最悪の結末にはならんかったはずじゃ」

 龍馬は、鼻クソをほじりながら鉄造に言った。

「そうだな。自分が無茶をして起こした事故の逆恨みを、よりによって看病してくれたシルビアに向けるなど、真っ当な人間のやることではない」

「わがまま放題に育ったサンドラは、そんだけケツの穴が小さくなっとったちゅう訳よ」

 龍馬の言葉に、鉄造は苦笑いする。

「相変わらず口が悪いな。しかし、確かにその通りだと思うぞ。サンドラが身内なら、厳しく躾けるところだ」

 龍馬は、指先についた鼻クソをピンと弾いた。

「何を言うとるがや。今日から、おまんがサンドラぜよ。わがまま娘を、正しく導いてやれ」

「は? なんのことだ?」

 龍馬は、ゆっくり立ち上がると腕を組み、遠くを見つめた。

 鉄造は、その時初めて、自分たちが上下も左右もわからない、ただ真っ白いだけの空間にいることに気付いた。

「さてと、そろそろ行くがや。幸せになれよ、鉄造。いや、サンドラ」

 見つめる方向に歩きだす龍馬。鉄造に背を向けたまま手を振った。

「待ってくれ、龍馬! 意味がわからん。俺を置いて行くな!」

「心配するな。いずれまた会える」

 ほんの数歩だったが、それだけ歩いただけで、龍馬は遙かかなたへと消えて行った。

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