侍、悪役令嬢にかく転生せり

ちょこみんと

第1話 最後の侍

 慶応二年(1866年)八月一日、小倉城と城下の町は燃え上がり、夜空を赤く染めていた。

 長州藩海軍総督である高杉晋作が率いる千人の兵は最新の兵器と装備に身を固め、剣や槍で応戦する五万人の小倉藩を中心とした幕府軍を打ち崩した。

 今は遠くで大砲の音が鳴り響き、止むことがない。

——あそこで多くの同朋が命を失っている。早く合流せねば!

 乾鉄造は、死んで横たわる幼なじみの真之介に手を合わせると、刀で真之介の袴の腰紐を切り取った。そして、右太股のパックリと開いた裂傷の部分をグルグルと強く縛る。

 痛みは麻痺しており、幸い出血も大したことなかった。

 試しに二、三歩歩いてみる。

——いける! まだ戦えるぞ!

 鉄造が歩き始めると、後方から全力で追いかけてくる者がいた。

「おい鉄造、見つけたぞ! ちょい待て! 待てと言うとるがや!」

「龍馬……」

 坂本龍馬は鉄造を追い抜くと、行く手に立ち塞がった。

「……そこをどけ。長州に手を貸す貴様とは、今は敵同士。邪魔をすれば斬る」

 だが、龍馬は両手を広げ、一歩も下がらない。

「おまん、あそこが今どうなっちょるか、知ってて行くんかい!」

「ああ」

「あそこはな、まことの地獄ぞ。ただただ死に行くだけじゃ!」

「地獄はここもだろ。そこに転がっているのはな、真之介だよ」

「なにぃ!」

「さっきまで、砲弾はこっちに降っていたからな」

「まさか……このボロボロの死体が真之介」

「爆風に吹き飛ばされ、剣を抜く間もなかった。俺たちは……俺たちは何のために剣の腕を磨いてきたんだ!」

「仕方ない。仕方ないんじゃ、鉄造。それがこれからの時代、これからの戦争なんぜよ」

「砲撃は北を向いている。南側から攻めるなら今だ。あの大砲を撃ってる奴らを、一人でも多く叩き斬ってやる!」

 龍馬は懐から拳銃を取り出し、銃口を鉄造に向けた。

「行くな、鉄造! もう剣の時代は終わるんじゃ。おまんはこれからの日本に必要な人間。死んだらいかん!」

「いや、必要ないだろ。剣でしか戦ができぬ者など」

「……おまん、前にわしの貸した本、面白い言うとったじゃろ。西洋の貴族が通う学校の話じゃ。心優しい娘を意地悪な娘が散々イジメてな、終いにゃ殺そうする。最後は意地悪な娘の悪事が全部バレて監獄へ送られ、心優しい娘は王子様と結ばれるちゅう」

「何を言っているんだ? こんな時に」

「そんな物語の舞台になった国に、おまんは行きたい、行ってみたいと、そう言うたじゃろが」

「ああ、言った。言ったが、それがどうした?」

「そんだけじゃない。空を飛ぶ船に鉄の道を恐ろしい速さで走る鉄の車。そんなんを、自分の目で確かめたいと、そう言うたじゃろ」

「だから言ったと言っているだろう。何が言いたい?」

「よう聞け、鉄造。この国はな、間も無く開かれる。それはもう、幕府じゃろうが仏じゃろうが止めはできん。生きて金さえ積めば、世界中のどこへでも行ける時代がそこまで来とるちゅうのに、おまんはここで死んでいいんか?」

「俺は、主君に尽くすために生まれ、死ぬために生きた。ここで命を永らえることは、俺の人生を否定することだ」

 鉄造は再び歩き始めた。

 龍馬が鉄造の足元を狙って射撃する。

 轟音が響き、踏み出した足すれすれに火花が散ったが、鉄造は構わず歩き続けた。

 龍馬は、もう一度拳銃の撃鉄を起こしたが、二発目を撃つことは無かった。

 鉄造は、龍馬の真横で足を止める。

「龍馬……おまえには感謝している。おまえは、井戸の中の蛙だった俺に、世界の広さを教えてくれた。ありがとう」

「人は……人は幸せになるために生まれてきたんじゃないんかい」

 龍馬の眼から、悔し涙が流れていた。

「そうだな。もし生まれ変わる事ができれば、次は王子と結ばれたあの物語の主人公のように、幸せになりたいものだ。龍馬、この国を頼む……」

 鉄造は、大砲が上げる火柱に向かって歩いて行った。

 龍馬はただ立ち尽くし、流れ落ちる涙を拭うこともしなかった。


 後の世に幕長戦争と呼ばれる、実質的に武家社会の終焉を決定付けた戦いは、こうして幕を下ろす。

 次の日、龍馬は鉄造の遺骸を捜しに、まだ火薬の煙が立ちこめる小倉の町をさまよった。

 そして、長州軍が主砲として使用した大砲の前で、腹に大きな風穴を空け、大の字で倒れている鉄造を発見する。

 その死に様から、己の身体を栓に大砲を暴発させようとして失敗したことが推測できた。

「鉄造……ほんに無茶ばっかりしよる……」

 銃弾を潜り抜け、立ちはだかる敵を斬り倒し、ここまで辿り着いたのだろう。だが、生身の人間が大砲に敵うはずもなかった。

 顔には不思議なほど傷がなく、右手にはしっかりと剣を握り締めている。

 龍馬には、満足げな表情に見えた。

「……おまんは、まっこと最後の侍。ラストサムライぜよ……」

 龍馬は、鉄造の胸に一冊の本を置く。生前、好きだと言っていた、あの西洋の本だ。

 表紙に『公女シルビア』と書いてあった。

 お伽話は正義と悪が分かりやすい形で存在し、最後に悪は見事な形で破れて読む者の溜飲を下げる。

 しかし、現実の戦争に正義も悪もない。

 ただ、時代の波に飲まれ、死にゆく者がいるのみだ。

「生まれ変わったら、次こそ幸せになれよ、鉄造」

 龍馬は空を見上げた。

 天も泣いているかのように雨が降り始めた。


 翌年十月、ついに大政奉還が実現する。

 龍馬は、その後も新政府の設立に奔走するが、恨みを持つ旧幕府の残党により暗殺される。

 鉄造の死から一年四カ月後の事だった。

 その死は、脳天を叩き斬られて脳髄が飛び散る凄惨なものだったが、新しい時代の幕開けの象徴となる。

 江戸城が無血開城され、一つの歴史が終止符を打つのは、坂本龍馬暗殺より四カ月後の事であった。

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