04-grope(1)


「付き合わせて悪いね。まあ、話し相手にでもなってくれればいいから」


 伶唯れいによれば、今二人が乗っているバスで近頃、痴漢被害がよく出ているらしい。

 犯人と思われる男は、この街では珍しいスーツ姿の男だという話だ。それを聞いて、戸端とばはさり気なく辺りを見渡す。皆、暗い色で辛うじて外に出られるくらいの服を選んでいる。

 戸端はいつも通りの作業服で、伶唯はベージュのダッフルコートとダークグレーのスキニーパンツという、周りに比べればちゃんとした服に思えた。


「いなさそうですね……」


 ついでに、被害者になりそうな若い男女の位置も確認して、前を向き直る。


「え、ちょっと眠そうだけど大丈夫?」


「まあ、いつものことなんで」


 そんな風に笑って見せた戸端だったが、数分後には伶唯の雑談を子守唄に、ぐっすり眠ってしまっていた。


「え、次起きたら生蛇なだじゃん……厄介だな」


 計算ミスだ、と思わず呟く。ただ面白そうだからという理由で連れてきたのは間違いだった。まあ、一応自分の方が通路側にいたのは賢明だった、と当たり前のことを自分で褒める。

 実は栖田すたからも、くれぐれも戸端を眠らせないようにと、しつこく言われていたのだった。

 やはり、もう少し混雑しないと現れないのかと、勘が外れたことを後悔したフリをして現実から逃避する。きっと帰ったら栖田からは説教を食らうだろう。

 少しでも説教の時間が短くなるように、と願っていたその時。


 そのバスは乗っ取られたジャックされた


 元々いた乗客だ。周りと大した差はないと、見逃していたが確かに、異様に顔を隠しているようにも見える。

 絶対にバスを止めるんじゃねぇぞ。そう言った男は、次に端末を全て出すよう乗客に指示する。

 男は拳銃を持っていた。下手な動きはできないと判断した伶唯は、未だに眠っている戸端の方を見る。役に立たないな、なんて柄でもないことを考えながら指示に従う。

 そこの男からも奪え。男が、そんなことを言う。奪え、と言われても……と伶唯が考え込む。戸端くんとは昨日知り合ったばかりだし、気が引けるな。それに、混乱に乗じてお金を抜き取ったと騒がれたら面倒だ。……伶唯は簡単に人を見捨てるタイプだった。


「彼、ただの顔見知りで……」


(戸端くん、ごめん。俺はこういうの向いてない)


 じゃあ、どけ。そう言われたので仕方なく、近くの空いた席に座った。

 きっと、例の作業服のおかげでいきなり殺されることはないだろう。半ば祈るようにして、そう思い込んだ。

 そして、男が戸端に手を伸ばす。その瞬間、戸端とば――いや一度眠ったので生蛇なだか――の左手が男の拳銃を握った。そのまま拳銃を奪うと、男に突きつけた。


(生蛇くん、起きてたのか……)


 しかし、状況は最悪だった。男は単独犯ではなく、バス後方の席にもう一人いたのだ。気づいた時には銃声がしていた。


(戸端くん、生蛇くん、二人ともごめん)


 思わず目を瞑る。その時、耳に届いたのは物が落ちる音。それも、後ろから。


「遅ぇな」


 生蛇の声に振り向くと、共犯者が手を抱え蹲っている。それを見て素早く拳銃を拾い上げた。使えやしないが、奪っておくことに意味がある。

 伶唯れいのその動きを見届けた生蛇が、呆然としていた一人目の男を首元に腕をかけて床に叩きつける。


「おい、伶唯。イレギュラーで悪いが、折れ」


「あー、うん。そうだね」


 拘束具がある訳でもない。それがいい判断だろう、と揺れる車内をバランス取りながら歩き、男の右脚を容赦なく折った。

 その間、生蛇が男を取り押さえながらもう一人の男を見張っていたので、比較的伶唯は落ち着いて行動ができた。

 周りの乗客たちは皆、震えながら様子を窺っている。危険な街ではあるが、全員が全員危険な経験が豊富なわけがなかった。

 それにしても、と考える。無法地帯であっても、こんなに目立つような犯罪は珍しい。


「おい、次こっち」


 右脚を折った男を適当に席に座らせて、素早く共犯者を引きずり連れてくる。細くて不健康そうな見た目からは想像もつかない、力と技だ。


「はい、サクッとよろしく」


「サクッよりボキッって感じだけど。てか、生蛇くんだってできるでしょ、絶対……」


「でも、お前の担当だろ」


「折る方じゃなくて、痴漢の方なんだけど」


 ブツブツ文句を言いながらも、仕方ないという気持ちを隠すことなく、また右脚を折った。生蛇はうめき声を断続的に上げている二人の男を眺めながら、携帯端末で連絡を始めた。


「どこかけてんの」


依砂いさ


「……番号暗記してんの?」


「端末は戸端とばの物だから仕方なくだ」


 戸端自身が、出身なためか地頭が良いのだろう。この街で鍛えられるのはせいぜい、少しでも長く生きるための悪知恵くらいのものだ。戸端は特に、立派に公務員をやり続けている。生蛇なだの記憶力が予想以上に良くたって、そこまで驚くべきところではないが、伶唯れいにとっては、初めて見るだったのだ。

 通話を終え、運転手に次のバス停で停車するよう求める。そこまで終えて、息をついたその時だった。

 こいつがどうなってもいいのか。要約するとそんな内容だった。ナイフを所持し興奮しきった様子の三人目は、どうやら共犯者ではないらしい。生蛇にとっては、どうでもいいという感情しか生まれない案件ではあったが、このままでは次のバス停では降りられなさそうだ。そうすると、また依砂いさに連絡しないといけないし、もうしばらく右脚の折れたバスジャック達とも一緒にいなくてはいけない。なるべくは明るい時間は大人しくしていたかったというのに。そんなことを考えながら頭を動かす。ちらりと伶唯の方を窺うが、あまりそういう意味では役に立ちそうにない。彼には骨を折ることに専念してもらうか、と考えをまとめ周りを見渡す。


(あれ、あのマスク……)


 あのバーに集まる仲間の一人、黒髪長髪で大きなマスクを着けているのが特徴的だった女性。


「おい、あそこにいるの」


河東かとうだ。なんで今まで……」


 それはおそらくさっきまで帽子を深く被っていたし、気配をなるべく消していたからだ。余程、二人に存在を気づかれたくなかったのだろう。

 その河東と目を合わせる。上手く乗っかってもらえるかは賭けだとは思いつつも、あまり手はないので動くことを決心する。


「なあ、人質変えたらどうだ? 相当顔色が悪い。さすがに可哀そうじゃないか」


 一度声を荒げ威嚇してきたが、事実人質は酷い顔色だ。無論、原因は人質にされていることなのだが、その辺の判断は今の男には出来ないことだった。男は素直に一人目の人質を解放し、ほぼ同時に二人目の人質をとる。正直、そこで隙を狙いたかったのだが少し距離があって間に合わない。まあ、でも人質に狙い通り河東が入った、とあまりの運びの上手さに、思わず笑みが込み上げてきそうになった。それをなんとか堪え、河東に合図を送る。

 正直生蛇的には、人質が自衛出来ればそれでよかった。上手く逃れでもしてくれたらそのうちに倒せる。

 しかし、河東かとうの働きは想像以上だった。スッとしゃがみ、腕から不意打ちで逃れるとナイフを持つ手を捻ってナイフを落とした。そのナイフを二人側に蹴とばしたので、生蛇なだはそれを敢えてスルーして見送る。伶唯れいが回収するだろうという判断なのだろう。

 男が河東を殴ろうと振り上げた拳を、生蛇が素早く掴み握りこむ。そして、腕を引きしっかりと極めた。鈍い音と共に男の唸り声。どうやら肩を外したようだ。


無武むぶ以外でそれやる人初めて見た……」


 すぐそばでそれを見ていた河東が驚きを隠せないでいると、生蛇が容赦なく肩の外れた腕を引いてバスジャック組の上に放った。呻き声がずっと消えないことにイライラを隠さず、早くバス停に着くことを願う。周りの乗客たちも、これ以上事件が起こることを恐れて不安に震える。

 少し乱暴にバスが止まる。今度は運転手かと前方に注目が集まるが、どうやら到着しただけのようだった。運転手も相当怖かったのだろう。いつも通りが出来なくても仕方ない状況ではあった。


 扉が開くと同時に、依砂いさが乗り込んでくる。


「犯人は?」


 少し慌てた様子で入ってくる。今回の事件での犠牲者は犯人のみだ。二件目、一人目の人質に関しては、精神面のフォローが必要かもしれないが。

 依砂の問いに視線だけで答えた生蛇は、犯人たちをじっと見つめていた。おそらく、だが彼は今までにこういう対応をとったことがないのだろう。事件が起こっても見て見ぬフリをよくしていたらしい。自分の、戸端とばの身に危険が迫らない限りは。


「二人って聞いてたんだけど」


「あの後増えたんだ」


「仲間?」


「いや、違うと思う」


 短い言葉を交わして、速いテンポで話が進む。その点、生蛇も依砂も話が早くて楽だと感じていた。あの面子の中から賢さで一番、二番を選ぶなら間違いなくこの二人だろう。その次に来るのが機械に強い玖須くすか皆を仕切る役割の栖田すただろうが、この二人は得意不得意の偏りが酷かった。


「これ、生蛇が?」


「いや、三人で」


「あー、脚折ったのは伶唯か」


 座席に沈んだ犯人達を見下ろしながら、二人の会話が進む。市警にはろくな捜査や組織が存在しないので、居合わせた一般の乗客は早々にバスから降り、解散となる。それをやる気のない市警数人が先導し、伶唯と河東が手伝った。

 呻き声を上げる犯人達が頻りに病院へ連れていくよう要求しているが、依砂いさが相手にする様子はない。生蛇もそれに倣って無視を決め込んだ。

 しばらくすると、運転手を含む全員がバスから降り終えた。生蛇なだは依砂から鋭い目を向けられて仕方なく、男をパトカーに詰める手伝いをした。最後の一人を降ろしたところで、管理局とは別の作業服の男が二人乗り込んでいく。おそらく、市警と関係の深い業者だろう。バスの中の清掃を任されているらしい、清掃用具を持ち込んでいた。銃も撃ったし、血も流れた。確かに必要な措置なのだ。


伶唯れい、生蛇はどうだった?」


「冷静で対処が速かった」


 何故本人の居る所で話をするのだ、と思わず顔を顰めながら依砂の言葉の意味を探る。何か技量を測られると困ることはあっただろうかと考えを巡らせるが、何も思い当たらなかった。


「これから二人、じゃなかったか。三人はどうするの?」


「バスに乗って帰る。本来の目的が達成できてない」


「痴漢パトロール、ね」


 めんどくさい。そう呟いた生蛇を、伶唯は見逃さなかった。笑顔で、頑張ろうねと告げると、生蛇が少し震えたように見えた。


 その日、生蛇はスーツ姿の男を含め合計五人の痴漢を捕まえた。

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