03-murder(1)
「さてと」
バーに一人残された
「きっと今日決着はつくんだろうけど」
一人でいると、独り言が多くなるらしい。普段、積極的には会話に参加しないので、いつもより饒舌に感じさせる。
彼の手元の端末はすでに、とある情報を表示していた。
――
そんな情報が書かれている。しかし、玖須が欲しいのは、彼の写真だった。自信がないその性質のせいか、写真を避ける傾向にあったようだ。それでも、危険を冒してようやく探し出したのは、公務員試験の際に提出した書類に貼ってあった証明写真。その写真を見れば、それが誰か分かる。勿論――
社宅から出てくる
いつもの作業服を着ていない戸端の姿は、初めて見るものだった。肩にはそれこそ見たことのない荷物を担いでいて、纏う空気はあの違和感を覚えた日の彼のそれによく似ていた。
軽やかな足取りで歩いていく。迷いもなく、不安もないようなそんな雰囲気。人気のない道を、入り組んだ道を右へ左へ……そう、まるで誰かを撒くように。
(まさかバレてる……?)
不安が滲み、歩みに迷いが出た瞬間に戸端を見失う。そのことに一瞬動揺するが、撒かれる可能性については予測されていたことだったので、現在地とその事実を知らせる内容をまた栖田に知らせた。そしてそのまま戸端探しに意識を移す。撒かれたなら、探すしかない、と。
耳を澄ませて、悲鳴を聞き分ける。今のは男性の声、今のは女性の声、子供の悲鳴を必死に探した。
そして、見つけた。途中で塞がれたようだったが短い子供の悲鳴。間に合うかどうかは分からないが、確かに今のはこっちの方から……笛地は焦りながらも冷静な思考回路で、声のした方へ走る。
そして、栖田と合流しつつ走り寄った先に、いた。
真っ黒な服を着た、いつもと目つきの違う戸端らしき人が。
間に合わなかった。
左手でナイフを振って血を払い、足で遺体を端に寄せていた。それに、笛地が低い悲鳴を上げた。
「うるせえな。コイツにバレたらどうする」
いつもより低い声に、荒れた口調。振り向いたその目は二人を鋭く睨みつける。普段の彼では考えられないその様子に、驚きを隠せないでいる。
「こいつって……その子はもう……」
「あ? コレのことじゃねぇよ」
ぐちゃりと足をそこに沈める。その足にはビニール袋がかかっている。そうやって証拠を残さないようにしていたのか、と冷静な栖田の分析が始まる。そんなことは気にせず、その男はどこからか出した布切れでナイフを拭うとケースに仕舞った。
「じゃあ、こいつって……」
「お前らが、戸端って呼んでるヤツのことだ」
そんなことを言いながら、二人の横をすり抜けて行こうとする。その腕をすかさず掴んだのは、放心していた筈の笛地だ。
「多重人格ってこと?」
多重人格とは、一人の人間であるはずなのに、その中に複数の人格が個々に存在しているように感じられる状態のことである。 事故などによる衝撃、心理的負担などによって、無意識に人格が解離しもう一つまたは複数の人格を生み出すらしいが……この場合は、今の人格が生み出された
「そうそう。ってか、放せよ。いつまでも血の付いた服着てんのヤなんだけど」
「キミは誰なの」
「あー、じゃあ
「なに? 俺のこと落とす? ターゲット外ではあるが、襲い掛かってきたなら話は別だな。護身の為なら関係ない」
口角を上げ、卑しく笑う生蛇に身体が震えた。それでも、自分の役割だと言い聞かせて
「お前が落としてきたの、みんな素人だったんじゃねぇの。何年もかけて準備して、この街以外で人を殺した俺には、きっと敵わないな?」
「どういう……」
地面に這いつくばったままの栖田が、なんとか顔を持ち上げる。狂ったように笑う生蛇を睨みつけるが、それを気にされることもなかった。
「どうせそろそろ調べ付いてたんじゃねぇの? 一家惨殺事件。完璧なアリバイ作って五人殺してからここに来たんだ。戸端を誘導しつつ、な」
「よく、喋るじゃん」
「まあ、殺せばいいかと思ってるし」
栖田の頭の中に、
「殺されると不都合なんだよねぇ。こう見えても私には色々役目があってね」
「知らねーけど。言っとくけど、市警に引き渡したところであんま意味ねぇぞ。あそこのことは調べてある」
それを聞いて笛地は、厄介だなと思った。戸端が公務員であることがこんな風に不都合に繋がるとは、誰も予想していなかったことだろう。
「もう、五人のことを殺したっていうのに、満足しないの?」
「満足する、と思ったんだけど、な」
少し、
「満足するときは来るわけ?」
「そうだな……ゴールまで、たぶん今は五分の二くらいまで来たところって感じだ」
まだ半分にも満たないのか、と苦しそうに顔を歪めたところで生蛇がナイフを取り出そうとした。しかし、ナイフは出てこない。
「あー、そうか忘れてた」
生蛇が振り向いて
「なあ、俺のこと捕まえようとしてるみたいだが、拘束して気を失わせるのは勘弁してくれよ。寝て起きたら、人格が入れ替わっちまうんだから」
陰から息を飲む気配がする。そこにはパトロールに参加しなかったはずの
「戸端くんに気づかれるのはそんなにまずいの」
「ぶっこわれるんだよ。その後どんな人格が生まれるかも分からんし……俺がなんとかするしかねえ」
「人を殺さずにいれるの、どれくらい」
「は?」
「まったく理解は出来ないけど、一応精神を保つ為に人を殺してるんでしょ。それでもそれが毎日ではないってことは、少しは殺さないでいられる時間もあるってことでしょ」
「人を殺さない以外の、方法がないかな。戸端くんにバレたらこわれるって、戸端くんはそういうことを赦せないタイプだってことでしょ」
「あ、ああ」
「だから、それ以外で解消できることがあるなら、その方がいいんじゃないかってこと」
きっとこれは提案であり賭けだった。拘束せず、殺させない方法を模索するための、一つの提案。殺されないための駆け引きでもある。でも、それを受け入れてもらえる保障はない。まさに賭けだった。
「……明確な時間は分からない。普段の充実具合とか、そういうのでも変わってくる。……アンタの言おうとしていることは分かった。簡単に捕らえられるとは思ってないが……俺に殺しがそんなに向いてないことも分かってるし……」
「向いてない?」
その場にいるほとんどが引っ掛かっただろう。無駄がなく、証拠を一切残さないその腕で、向いてないも何もない。その反応に気づいていながらも、気にした様子のない
「技術の話じゃなくて、性格的な話な。……実は、元々その為に生まれた人格は、
「前例があったのか」
そう呟いたのは無武だった。ぶっこわれ、新たに人格が生まれるという生蛇の言葉に何か引っかかっていたのかもしれない。
「じゃあ、さっき五人殺したって言ったのも、厳密には」
「そう、あれは俺じゃない。見てはいたが。だからこの街に来たんだ。俺でも殺せるだろうから」
五人を殺した人格は、戸端を壊し、戸端に否定され、消えていったのだろう。戸端に対する印象は、少し怪しいという以外は気弱だが優しそうといったものだった筈だ。
「じゃあ、私の提案に、乗ってくれる?」
「……そうだな。でも、戸端に異変があればそっちを優先する」
「わかった。それじゃあ、場所を変えよう」
「また、あのバーか」
殺されるかもしれないと思っていた笛地がこっそり安心して息を吐く。それを見た生蛇が笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます