罪深く、許しがたきは(3)

 はっ、とレナルドは我に返った。

 どうやら居眠りでもしていたらしい。見慣れた高位神官の自室で、積まれた書類を前に彼は首を横に振る。


 ――疲れているのか……。


 もともと仕事に追われてはいたが、最近は余計に忙しい。

 ロザリー・シャルトーの事件から間もなく、神殿を訪問していた客人エリック・セルヴァンが失踪したことで、神殿中が大わらわだった。

 今日も、レナルドは事件の余波に追われていた。貴族であるエリック・セルヴァンの事件に平民のレナルドは直接関りがないが、そのぶん事件であふれた仕事が回ってくる。どさくさ紛れに面倒な仕事ばかりがよこされていて、しばらくはベッドで眠れそうになかった。


 窓の外を見れば、すでに夜だ。

 開け放たれた窓からは、冷えた夜風が吹き込んでくる。

 初夏とはいえ、夜はまだ肌寒い。レナルドは窓を閉めようと立ち上がった。


 そこで、ふと気づく。そもそも窓を開けた覚えがない。

 まさかと思って部屋の端にあるソファに目をやって、レナルドはため息をついた。


 ソファに厄介な姿がある。


「…………また来たのか、お前」


 どうりで変な夢を見たわけだ。

 嫌な納得感とともに声をかけても、ソファで目を閉じて丸くなっている闇の女神は返事もしない。


 だが、眠っているわけではないことはわかっている。

 レナルドが何度も何度も制止して、何度も何度も言い聞かせても止まらない女神は、もう完全に眠っているときは姿を保てない。

『人間が好きだから』という理由だけで穢れを受け止め続けた結果、もう限界を迎えようとしているのだ。


 ――ここ最近は、特にひどい。


 ソワレの現状もだが、それ以上に悪化の速度が上がっているのが気がかりだった。

 思い出す限りは、神殿に穢れが出始める前後から。関連があるだろうとは思うが、何が起きているのかがレナルドにはわからない。

 穢れが出ると、ソワレはその対処に行ってしまう。神殿の認める聖女マティアスはソワレの状態を見ても止めるつもりはなく、ソワレ自身も望まない。

 ただの神官に過ぎないレナルドにできることはなく、刻一刻と時間が迫っているのだけを感じていた。

 焦燥感ばかりが、日を追うごとに大きくなっていく。だというのに。


「えへへぇ……」


 薄着で目をつぶるソワレに、神には不要と思いつつも上着をかけてやれば、やっぱり起きていた彼女が笑う。

 しかもレナルドの上着を抱き込んでさらに丸まり、こんなことまでつぶやいた。


「幸せだなあ」

「なにが幸せだ。こっちがどれだけ苦労していると思ってんだ」


 思わず文句を言えば、ソワレは拗ねたようにそっぽを向く。

 まるっきり子供のそれだ。憧れの年上の女神も、今となっては形無しである。

 昔とは真逆の構図で、レナルドはソワレに年上めいた説教をしてしまう。


「いい加減自分の体を考えろ。お前、なんでそこまでして人間を助けようとするんだよ」

「なんで?」


 しかし、そう言ったところでソワレが堪えた記憶はない。

 彼女は薄く目を開けると、猫のようににやりと目を細めた。

 いつも子供っぽいくせに、こんなときばかりは妙に大人びた表情をする。


「好きだからだよ」

「好きだからって、お前――――」


 まだ人間が好きだと言うつもりか。そんなに好きになれるような存在なのか。

 そのために消えてもいいのか。それだけの価値が、人間にはあるのか。


 言いたいことが山のようにあった。いっそ叫び出したいくらいだった。

 腹が立って、腹が立って仕方がなかった。


 どうしてこんなになっても幸せと言える。どうしてそんなに迷いない目で、どうして好きだとまだ言える。どうして、どうして、どうして。

 どうしてそんなに人間が好きなのに、同じ人間である自分の言葉は聞いてくれない。


 あふれ出しそうな思考は、だけど言葉にはならなかった。

 その前に、切羽詰まった声が割り込んできたからだ。


「――――レナルド様、大変です!!」


 なにかと思って振り返れば、部下である神官がノックと同時に飛び込んでくるところだった。

 返事も待たずに扉を開けるということは、ずいぶんと厄介なことが起きているらしい。


 ちらりとソファを見るも、すでにソワレの姿はない。逃げ足の速さに呆れつつも安堵しながら、レナルドは部下に続きを促した。


「どうした?」

「それが、先ほど聖女ソフィが報告にきまして、現在食堂で聖女アマルダと聖女リディアーヌが騒ぎを起こしているそうです! なんでも、聖女アマルダが聖女リディアーヌを不当に糾弾しているとのことで……!」


 あー……、と思わず声が漏れた。

 問題児の名前ばかりが上がっている。しかも聖女ソフィが報告に来たということは、彼女とよくつるんでいるマリ・フォーレとエレノア・クラディールもいる可能性がある。


 ――しかも糾弾か。面倒な予感しかしねえ。


 アマルダ・リージュには現在、彼女を信奉する神官が山ほどいる。以前まではソワレに救われていたような、本来は神殿にはあまり向かないような人間たちだ。

 しかもソワレと違って、アマルダ・リージュは引き寄せた人間を囲い込むような真似をする。おそらくはそんな神官たちが、今回の糾弾にも参加していることだろう。


 となれば、聖女同士の諍いと切って捨てることはできない。

 神官たちがいるなら神殿の総意にもされかねず、相手がリディアーヌ・ブランシェットと思うと余計に厄介だ。ただでさえ穢れに貴族令息の失踪と慌ただしいのに、ここで王家ともこじれるわけにはいかなかった。


「仕方ねえ、案内しろ!」


 レナルドはそう言うと、報告の神官を先に立たせて急ぎ部屋を出た。


 その直前、最後にちらりとソワレのいたソファを見る。

 空のソファにはもう彼女の痕跡もなく、ただレナルドの上着だけが無造作に丸まっているだけだ。

 まるで初めから、そこに誰もいなかったかのように。


 そこまで考えて、レナルドは自分の思考に舌打ちをする。

 だが、ずっと頭から離れない考えでもあった。


 騒ぎを終えて戻ってきたとき、彼女はそこにいるだろうか。

 明日は、明後日は、いつものようにいてくれるだろうか。

 いつまで体はもつだろうか。ふと、消えるようにいなくなる瞬間が明日にでも来るのではないか。


 彼女を引き留める力はレナルドにはない。助けると約束したはずなのに、ずっと足踏みをしているばかりだ。

 それがもどかしい。腹立たしい。苛立たしい。

 闇の女神ソワレのなんと罪深いことか。

 神にも祈りたいのに、救いたい相手こそがその神なのだ。




 ――いや。


 いいや、だけどわかっている。

 真に罪深いのは自分を含めた人間であり、許しがたきは約束で彼女を縛りつけた自分自身だ。

 いっそ自分まで諦めれば、ソワレも今度こそ人間を見捨てられたかもしれない。

 人間に失望し、どこかレナルドも知らない遠くで過ごしてくれた方が幸せだったかもしれない。


 それでも願わずにはいられなかった。

 人間らしい、傲慢で欲深い理想を、それこそ神に祈るように。


 どうか、あがいた先に希望があるように。

 いつか、報われる未来が来るように。


 彼女が明日も、無事でいてくれますように。




(終わり)


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聖女様に醜い神様との結婚を押し付けられました 赤村咲 @hatarakiari

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