第7話

 日に日に弱る少女に、獣は困惑していました。


 小枝のような手足は、もはや枯れ木のよう。以前みたいにちょっと小突いただけでも、ポキリと折れてしまいそうなほどでした。頬も大分こけて、青い瞳は落ち窪んでいます。


 どうすれば良いのか。少女の傍らで狼狽えました。こんな事、今までなかったからです。


 考え倦ねた獣は、果物をありったけ集めました。といっても、人間や猿と違って、運ぶ方法は口にくわえる他、手立てはありません。


 慣れない作業。一日に何往復もしました。屈強な獣も、いつしか疲労が蓄積されていきました。


 運搬以外の時間は、少女を冷やさぬよう寄り添い暖めていました。その都度、少女は獣の体毛にしがみついてきます。言葉はなくとも、この世に何としてでも留まろうとしているのだと、握りしめてくる小さな拳から汲み取れました。


 獣はいつも一頭でおりました。親兄妹など知りません。興味もありません。家族がいなくとも、不便なく暮らせてきたからです。


 しかし、彼女と出会ってからは違います。何よりも大切で、気がかりで仕方ありませんでした。


 予断を許さない日々を送ること数晩。獣の願いが伝わったのか、足取りは覚束ないものの、少女は歩けるまでに持ち直しました。


 そんな少女を、瞳を細めて見守ります。少女は獣の眼差しに気づくと、首元に飛びついてきました。前足を使い小さな身体を引き寄せると、自らの頬を少女へすりつけて、クルクルと鳴きなだめすかします。


 いつしか、少女を愛おしくてたまらなくなっていたのです。獣にとって、胸の中の子供は、初めての家族でした。


 太陽が傾き、穏やかな夕闇が訪れます。虫の音に静かに耳を傾けていた獣は、自身の腹部へ顔を向けました。クリーム色の腹を枕にする少女は、うとうととまどろんでいます。眠りにつこうとしているのでしょう。


 獣はこめかみを舐めてあやしました。舐めた箇所が幾らか薄くなっていましたが……少女は特に気にしていないようです。


 獣の瞼も、夜の帳に伴い下りてきました。少女の生活にあわせて、すっかり昼夜逆転していたのです。


 一度眠ろう。獣は少女を抱え込んで、目を瞑ります。しかし、寸刻も経たずして、獣の耳は重たい足音を捉えました。しっかりとしたその足取りは、熊にしては重いもののように感じました。


 獣は目を開いて、首を持ち上げます。気配のする方面を注視していると、巨木の幹の陰から、音の主が現れました。


 鮮やかな瑠璃色の毛並みに黒い縞柄。獣より一回りも大きい巨躯の側面には、禍々しい渦巻き模様。天をつくように伸びる捩れた二本の角に、緑の獣と同じ、琥珀色の瞳。荘厳たる風貌に、獣は自然と見惚れていました。


 かの生物は、暫し緑の獣を見下していましたが、程なくして喉を鳴らしはじめました。鈴の転がるような、鳥のさえずりのような、心地よい唄声です。


 応えを待っているのだ。獣は本能で察して、躊躇します。それは心だけでなく、体にも伝わってしまったようで。身じろぎをした際、少女は目を覚してしまいました。


 あくびをしつつ腹枕から起き上がった少女を、青い巨獣はすかさずギョロリと捉えました。


 眼球の中心。丸い瞳孔が、ギュッと糸のごとくすぼまります。あの目を獣は知っていました。獲物を発見した時の、昂ぶった色です。


 獣は立ち上がり、相手と対峙します。少女を隠すように一歩前へ出て、長い尾で追い払おうとしました。けれども、少女にそのサインは伝わりません。恐れからか、余計にしがみついて来ました。


 今回ばかりは鬱陶しい少女を振り返ります。獣は迂闊にも、眼前の敵から目を離してしまいました。


 それを皮切りに、敵は対象目掛け飛び降りてきました。ガッシリとした体型にもかかわらず、機敏な動きで欲求のままに襲いかかろうとしてきます。


 獣は咄嗟に、強襲する敵から少女を庇いました。猛撃を直に受け止めて、二頭は傾斜を転がり落ちました。


 獣も自慢の犬歯をひけらかせて迎え撃ちます。ですが、相手は体格も爪も、歯牙さえ比較にならないほど立派なもので、太刀打ち出来ません。


 たちまち、相手の鋭い牙が首筋に深く刺さりました。激痛で情けない声が森林を震わせます。


 痛みからうずくまっていると、敵は少女の元へ向かおうとしていました。そうはさせまいと、瑠璃色の尻尾へ噛みつきます。青い獣はギャッと短い悲鳴を上げると、憤慨した様子で素早く振り向き、鋭利な爪で薙いできました。


 頬が裂けて、血飛沫が散る。この一打で倒れそうになるも、後ろ足の爪で大地をしっかと捕らえました。負傷しましたが、相手方の気をそらせたようです。


 敵は鼻っ面にシワをこれでもかと寄せて、グルグル唸っています。急所である尾を引っ張られた挙句、強く噛まれたのです。我を忘れるほどの怒りに、全身の毛を逆立て己を誇示しております。


 体勢を低くし身構えた獣へ、敵は捩れた角を突き出し突進してきました。獣は相手の猛攻をもろに受け止めます。形の異なる角が交差し、激しくぶつかり合いました。


 硬い石同士が当たったかのような鈍い音と共に、獣はみるみるうちに押し込まれていました。しかし、こうなってしまうと意地の張り合い。荒々しく交わる角。骨が削れているかのごとく不快な響き。頭蓋骨から皮膚を通して、辺りに轟いておりました。


 歯茎を剥き出しにし応戦していると、ふと敵越しに、怯える少女を目にしました。


 すると、滾っていた血はたちどころに沈静化。獣は争いの最中だというのに、少女を食い入るように見つめてしまいます。限界まで上げていた口角が、力を失い下がっていきました。


 依然として、押し込まれている。どんなに剥きになろうとも、力負けしているのがありありと理解できます。それだけでなく。首からの出血が酷く、興奮から忘れ去っていた痛みがドクドクと苛んできました。


 獣は、長年培ってきた自尊心をかなぐり捨てて、決断します。体を捻り、捩れた角を持つ者から距離を取りました。


 そして、敵に背を向けて、全力で逃げました。頭に血を上らせる敵は、更に攻撃を加えるため追尾してきます。


 あと少しで牙が届く。そんな瀬戸際を狙い、獣は跳躍しました。飛び上がった獣を、敵は追撃しようとします。ですが、突如現れた根に、顎から強かにぶつかりました。


 獣に意識が集中していたため、岩壁のごとくどっしりとした根に気付かなかったのです。


 相手が怯んでいる間に、獣は少女へ駆け寄ると、小さな身体をさらうように咥えて、この場から逃れました。

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