第6話

 木の実は好きなのですが、母の作ってくれたキッシュが恋しくなっていました。


 日が経つにつれて、身体の自由が利かなくなっていたことに、少女自身も察しておりました。頭上でざわざわと会話を交わす若葉。ぼんやり眺望しながら、地表へ沈まっていく感覚を覚えつつ、在りし日を思い返していました。


 少女は生まれた時から、声を出せなかったわけではありませんでした。この世に生を受けたとき、産声を高らかに上げて、人生のはじまりを自身も祝いました。言葉を覚えたときや好きな食べ物、両親を呼んだことだってあります。


 いつから声を出せなくなったのか、正確な日にちは把握していません。ですが突然、発声できなくなったのだけは覚えています。母が怖い顔をして、身体を揺さぶってきたから確かです。


 それからは、暗い日常へと変わります。父と母は毎日怒鳴り合い、むせび泣いておりました。少女は二人を、暗い色の落ちた瞳で、ただ見つめる事しかできませんでした。


 その頃でしょうか、村に聖教師とやらが現れたのは。聖教師は少女を知るなり指さして、「神によって声を剥奪された悪魔の子だ!」と喚きました。そして、衆人環視の場で冷水をかけたり、濡れた枝でバシバシ叩いたりと、嫌なことばかりするのです。


 少女は泣きながら『やめて』と、声なき声で訴えました。けれど誰にも、目を背ける両親にさえ、届きませんでした。


 産まれた当初、天使と謳われた少女は、カビ臭い物置へ軟禁されるようになり、うさんくさい“儀式”も続きました。


 そして、少女にとって運命の日が訪れます。ある日の正午時。母は妙に優しく、好きな物をたらふく食べさせてくれました。「ごめんね」を添えて。


 久々にお腹が膨れたからか、睡魔に襲われました。微睡みの中で、浮遊感を覚えます。少女は、自由に空を羽ばたく鳥になった夢を見ておりました。なんて素敵な夢でしょう。短い人生の中で、いつぶりかの幸福を味わっていました。


 しかし、実際は神の住まうと云われる、神聖な森へ厳かに運ばれていたのです。大方、このままでは村に災いが降りかかる、などと宣ったのでしょう。けれども、少女が真相を知る時など一生ありません。


 そうしてカタクリの花が咲く群生地へ、少女は置き去りにされました。


 それからは獣と出会い、暮らし始めてからめまぐるしい日々。獣との生活は新鮮で、楽しいものでした。


 しかし、楽しい気持ちだけでは空腹を満たせません。黄色い木の実や紫の果実、もちろん赤い実も大好きなのです。ですが、少女が食べられる果物はとても少なかったのです。


 渋いものや舌が痺れるもの。口にした次の日には腹を下すもの。自生しているものの多くは、毒を含んでおりました。


 広大な森です。薬草を探せばあったかもしれませんが、少女には選別するための知識を持ち合わせていません。ですので、少女が弱るのも必然であり、時間の問題だったのです。


 体調不良の他に、何か、身体の根幹のようなところが芳しくないことに、少女は幼いながらも勘づいていました。


 少女は生きるために、まず、果物以外に食べられる物を探し求めました。獣にジェスチャーを交えて尋ねてみましたが、長いおっぽを振るだけで教えてくれません。自分の力で探すしか方法はありませんでした。


 手始めに葉っぱをついばんでみるも、苦みとえぐみが酷く、すぐに諦めました。水流を優雅に泳ぐ魚を捕まえようとしてみましたが、動きが素早く、触れることすらできません。


 ついには勇気を振り絞って、獣の狩った獲物を口にしたこともあります。唇に触れた生臭い液に、ぷるりとぬるい食感。堪らず吐き出し、泉で口をすすぎました。いつもならば火を使いよく焼いてから食べていましたし、人間という種族であれば、なおさら受け付けないのは当然です。


 だからといって、少女は火の扱い方など知りません。教えるにはあまりに幼かった事に加え、あの出来事が起こってしまったからです。仕方なく、獣が美味しそうに肉にありついている様を、ただ指をくわえて眺めました。


 口の周りを赤い蕾のように毒々しく染める獣。眼前の美しい猛獣が自分に親切にしてくれるなんて。それは少女にとって変ちくりんでたまりませんでした。あのギザギザ並ぶ白い牙で、頭から食らったとしても、何ら不思議もないのに。


 けれど、不可解なのは獣に限ったことではありません。自分自身の心情にも疑問を持っていました。狼に抱いた恐怖心を、この幻獣には一片たりとも感じたことがなかったのです。獣が食事を終えるまでの間、どうしてここまで心を許せるのか、少女は思考を巡らせるも、すぐに答えは出ました。


 遭遇した当初から、昔の母によく似た不器用な心強さを感じていたのです。だからこそ、安心して無償の愛を享受し、獣の側にいられたのでしょう。ですから獣との生活に、不安も恐怖もありません。そんなものよりも、怖ろしい目にあったせいもあるからです。


 だから、身体の節々に力が入らなくなっても。疲労困憊で動けなくなったとしても。ザラザラとした舌で頬を舐めてくれるだけで、少女の心はじんわりと満たされていました。

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