第4話

 少女が森へ分け入ってからというもの。木の葉がいつもより多く、はらはらと落ちていました。


 まるで、巨木が獣を起こそうと降り注ぐ葉。獣は煩わしげに耳で追い払いました。


 実を言うと、少女が離れていったことに、獣は気づいていました。意識をしないように寝たふりを決め込んでいたのです。ですが、時間が経過すればするほど、余計に気になってしまうもの。ついに獣は背中に溜まった落ち葉を払って、いなくなった少女を捜しにいきました。


 少女を気遣って歩調を合わせていた時よりも大股で、どことなく怒り肩になりながらズンズン進みます。腹が減っているばかりでなく、睡眠まで阻害されたのです。イライラして当然でした。


 そうこうしているうちに、少女が狼と対峙していた近くまでやってきてしまいました。そこから少しばかり離れた地点で、好き勝手に成長した草葉がガサガサ揺れています。目を細めて観察していると、茂みから白い尻が見え隠れしていました。少女は獣の気も知らずに、赤い実を一心不乱に食べていたのです。


 背面にいる獣に気づかないほど、それはそれは夢中で摘んでいました。少女へ詰め寄ると、フンッと鼻息を荒くします。温風が金の髪をさらうと、ようやく獣を認識したようです。


 バチッと琥珀色の瞳と青色の瞳が交わります。少女はこくんと喉を鳴らすと、しかめっ面の獣へにぱりと笑いました。


 油断していた獣は、真意を汲み取れず、にわかに動揺しました。目を合わせることはおろか、犬歯を見せるなど、敵意を含んでいるのと同義だからです。なのに、ささくれだっていた気持ちが、再び静まってしまいました。


 混乱する獣にはお構いなしに、少女は地べたへ座ると、せっせと実を集めていきます。太ももの間にある程度ためていくと、ワンピースの裾を摘み上げました。


 そうして、服に貯まった実を、獣へ差し出します。食べて、と言わんばかりに。獣はつい、ふんふん匂いをかぎます。甘い香りが鼻孔に充満するも、すぐにふいと顔を背けました。


 どうやらお気に召さなかったようです。少女は小首を傾げます。おそらく、甘くて美味しいのに、なぜなのだろうと思ったのでしょう。少女の疑問には答えず、獣は勿体つけるように回れ右をします。少女は果実を蓄えたまま、獣の後に続いてきました。


 少女と獣は何事もなく、大木へ帰ってきました。獣は巨木の真下へひとっ飛びして、しなやかな胴体を落ち着けました。


 服の裾を摘んだままの少女は、所在なさげに佇んでいます。そして迷うような素振りをみせたあと、獣の元へは来ず、近くの根っこへ腰を下ろし実をちょいちょい食べはじめました。


 少女の動向をしばらく注視していた獣は、不機嫌そうに鼻を鳴らしてから、再度眠りにつきました。


 橙色の天空が、赤紫から紺色へ急速に変わり、満点の星空が瞬きました。夜気が迫り、肌寒さを感じた頃。獣は浅い眠りから覚醒しました。獣はうんと伸びをして、違和感のする場へ下りていきます。


 根と地面の間にできた僅かな空間に、少女は窮屈そうに身体を押し込めて、すやすやと眠りこけています。寝顔をしげしげと眺めた獣は、彼女から離れ木々の合間へ溶け込んでいきました。


 澄んだ空気。冷えきった一葉に樹幹。しんとした夜陰のなか、獣の耳が捉えた土を踏む湿った足音。獣は音の方角へ、身を低くしながら目指します。


 慎重に進んでいくと、草を食む数頭の鹿を見つけました。獣は、群れから少し離れている牝鹿に狙いを定めます。


 タイミングを計るため、尾と尻を振ります。標的の鹿が木の皮を食べ始めたとき、一気に駆け出しました。襲撃を察知した群れは、ハッとした眼に獣を捕捉すると即座に四散。


 散開した他の鹿には目もくれず、ターゲットである牝鹿にのみ全神経を注ぎます。ジグザグに奔走する獲物を、獣は逃しません。あっという間に白い尾に追いつき、尻へ飛びつきました。


 バランスを崩して転倒した牝鹿。形勢は圧倒的に不利でも、鋭利な爪から逃れようと藻掻いております。獣は問答無用で、鹿の首に牙を突き立てました。なおもか細い足を必死に使い、懸命に生きようとする牝鹿が動かなくなるまで押さえつけました。


 間もなく、黒い眼をカッと開かせたまま絶命しました。獣は一度口を放して、本日の獲物をじっくり吟味します。それから、裂けた首へ鼻面を近づけ、かぶりつきました。温かいやわ肉、舌にとろりと溶けて、全身がざわりと歓喜する。次に豊満な腹部へ食いつき、ガツガツと堪能していきます。


 腹が満たされて深いため息を漏らすと、舌なめずりをしました。ふと冷静になると、あの幼子を思い出します。熟考した獣は、いつもであれば放置する獲物を持ち帰ることにしました。


 青く変色した舌をだらしなく垂らす牝鹿を、ずるずる引きずっていく間、少女を想起していました。この獲物を持っていけば、喜んで食らいつくと信じて疑わなかったからです。


 肉を食らったことで幾分軽くなった骸を、足取り軽く運んでいきました。寝床へと戻ると、少女は最後に見たときと同じ場所で眠っていました。


 胎児のように縮こまる少女へ、咥えていた鹿を放します。ドサリと地へ落とすも、少女は寝返りをうつのみ。


 獣は木の裏側に湧く泉で水浴びをして、血を洗い流しました。それからまた少女の元まで戻ると、離れた場所で伏して夜明けを待ちます。眼前の少女は、朝に活動する生物だと理解していましたから。

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