第3話

 花畑の中心で、肌に暖かな日差しを感じ瞼を開いた少女は、緑色の立派な尾を寝ぼけまなこに写しました。


 ゆらゆら揺れる尻尾が去っていくのを、しばらく凝視していた少女は、おもむろに立ち上がります。そして、カタクリの花をかき分けながら、草むらの向こうへ消えた尾を追いました。見たことのない生き物だったので、夢の続きなのではと思ったのです。


 けれども、前進する長い尾は一向になくならず、枝葉が行く手を阻んできます。肌に当たるチクチクとした感触から、これは現実なのだと悟りました。だからといって追跡をやめません。


 好奇心の赴くまま、暫し追いかけていたとき、突如目の前から尾が消失しました。ビックリした少女は大急ぎで駆け寄るも、すぐさま足を止めます。いつの間にか、切り立った崖の先に立っていたからです。


 くらりと目を回すほど、高さのある眼下。地の果てまでひしめく樹林。地面へ膝と手をつき四つん這いになりながら、恐る恐る下界を覗きます。崖の下に緑の尾はどこにもありません。がっくり肩を落とすと、寄る辺のない少女は花の群生地へ戻ることにしました。


 とぼとぼ歩いていると、少女は道すがら、茂みに生る赤い実を見つけました。その実を目にして立ち止まります。お腹がキュウッと食べ物を求めたのです。ひとりぼっちの少女は、ふらふらと小さな果実へ近寄りました。


 一つもいで、舌の上へ転がします。奥歯で噛みしめると、口内全体に甘酸っぱい果汁がぶわっと広がりました。


 昨晩は夕食抜きだった上、朝食も取れていなかったので、小さな口へ無我夢中に放り込んでいきます。そんな少女の背後で、草むらがガサリと揺れました。


 ビクッと肩を跳ねさせると、口に運んでいた手を止めて、ゆっくりと音の方向へ振り返ります。その際、実が数粒、少女の周りにころころ転がり落ちました。


 それからは怒涛の展開。万事休すというまさにその時、獣が颯爽と現れたのです。


 狼が逃げたあと。腰を抜かした少女は、神話の世界から顕現したような獣をまじまじと見つめます。新緑の森に浮かぶ、満月に似た双眸に吸い込まれそうになっていると、獣は緩慢な動作で体を反転させました。たんぽぽの綿毛みたいな毛並み。ススキのごとく揺れるおっぽ。確かに存在する生物なのだと、心を躍らせた少女は尾行を再開しました。


 それにしても……。先ほども思いましたが、獣はただ歩いているだけなのに、距離をぐんぐん引き離されてしまいます。ですが、短い手足を懸命に使っていたおかげか、今度は獣を見失うことはありませんでした。


 そうして、少女は獣の住処である巨木へと着きました。そこら辺に立ち並ぶ木のように太い根は、大地を引っ張り上げてやろうと企んでいるかのごとく、地表面を歪に盛り上がらせています。


 目線を上へ向けていくと、世界の支柱のようにどっしり佇む幹。圧倒的な存在を視野に収めようと後ずさりした少女は、頭の重さに耐えられず、ひっくり返ってしまいました。


 転んだというのに全く意に介さず、大木の迫力に心を奪われていた少女は、若葉の間から見え隠れする晴天を目に焼き付けていました。密集する木の葉に遮られた陽光は、少女と獣のいる地表には少量しか届きません。鬱蒼とした印象を持つものの、貫禄がより一層きわ立っておりました。


 しばらくして。少女は勢いをつけて上半身を起こしました。飽きが来たのと、あの幻獣は何をしているのか気になったからです。


 オバケと相違ない巨木の下で休む獣は、まるで木肌に張り付く苔みたいです。少女は微動だにしない獣へ近付くことにしたらしく、一歩、歩を進めます。獣の耳がピクリと動きました。ですが、規則正しく呼吸を繰り返すのみで、瞼を開くことすらしません。


 神聖ささえ感じる獣に、好奇心旺盛な眼差しを注ぎ続けます。少女の首元まで背丈のある木の根によじ登ろうと手をかけたとき、どこからか川のせせらぎを耳にしました。


 本日、水分を摂取したのは、赤い実の僅かな汁だけ。喉はカラカラだったので、少女は目的を変更して、音を頼りに歩きだしました。


 大地から顔を覗かせる根を避けて、大人が何十人いても囲えない木を周ります。しかし、歩けども歩けども水源は見当たりません。体力的にもそろそろ辛くなっていたとき、ついに巨木の裏側までやってきました。


 少女が目にしたもの。そこには、ぽこぽこ水の湧き出る泉がありました。澄み渡る湧き水の誘惑に乗せられるがまま、少女は走りました。泉の縁へ座り込み、両手ですくって心ゆくまで飲み下します。


 寸刻も経たずして、ふぅっと息をつき口元を拭うと、地べたに座り込みました。天井に拡がる葉がさざめいて、一人と一頭へ落ち葉の雨を降らします。小休止していた少女は、ぺったんこの腹を抑えました。またしても腹の虫が、食べ物を催促してきたのです。暫し周辺を探してみるも、食べられそうなものはどこにもありません。


 先ほど食べた実を、少女は思い出していました。あの狼たちに、また会ってしまったらどうしようかと悩みましたが、空腹には逆らえません。少女は実のある場所を目指すことにしました。


 枝から独立した青葉が、引き止めるかのように小さな背中を追うも、少女に届くことはありませんでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る