200光年のスリーピング・ドール
初瀬灯
200光年のスリーピング・ドール
1
無音の世界、無限に広がっていく暗闇、乾いた冷たさ。
重力の存在しない空間は怖くなるくらいに空虚で、無尽蔵に広がっていく虚無の中で私の存在は砂粒どころか原子一粒分の割合もありはしない。だけど、慣性に身を任せて漂っていると、何故だか自分は確かに生きているんだという不思議な実感を得られるような、そんな気がする。
地球の大地は母と例えられることが多いらしい。
母なる地球、人類の故郷。
一方で私の生まれたガニメデはよく父となぞらえられる。火星に続く人類の入植先であり、困難と共に開拓された星は、母の優しさよりは父の厳しさを想起させたのだろう。
だけど、今私がいるこの空間は、そのどちらでもない。
どの星の重力圏に囚われない場所、宇宙服なしでは何秒も生きられない真空は、確実に人がいるべきところではない。
比喩すらも受け付けず、想像を絶するような無が無限に近く広がり続けているだけだ。
――だから、宇宙空間は嫌いじゃない。
起きながら夢を見ているようで、故に自分が覚醒しているのを確かめられる。
そうだ。
「私はサラ。サラ・ルーリィ」
確かめるように自分の名前を呟く。
『お目覚めですか』
電子音声が落ち着いた声が私の耳腔内に直接響く。
「別に、寝てないよ」
私の反論に電子音声の主、サポートAIリリィは短く『そうですか』と答えた。
「信じてないね。いいけどさ」
『サラはねぼすけですから』
いくらねぼすけでも宇宙空間内で居眠りなんて……と言いかけたが、リリィと押し問答をしたって仕方が無い。
私は自分と宇宙船の間に結ばれた細いワイヤーをしっかりと握り直す。これが切れた瞬間に、私は宇宙の藻屑として永遠に軌道上を漂うことになる。もっともこのワイヤーは絶対に切れない素材で出来ていて、これが切れるほどの衝撃を受けたなら私の身体の方が千切れてしまっているだろう。
私はくるりと回転して上下左右を見渡していく。
周囲には数え切れないほどの小型隕石群が浮遊している。そしてそれに混じって、機械類らしき人工物も辺りを舞っていた。
「ここは随分散らかってるね」
これらはスペースデブリ、いわゆる宇宙ゴミである。例えば、用済みになった人工衛星は邪魔にならない廃棄用の軌道に遺棄されるのだが、偶然隕石が衝突するなどして廃棄用の軌道から外れ、あまつさえバラバラになって一般の宇宙船の運航に支障を来すことがある。他には切り離したロケットのパーツなど、デブリの種類は様々だ。
宇宙空間を清潔に保つためにスペースデブリを掃除するのが私の仕事――というよりは、今回のアルバイトの内容である。
『しかしここのデブリは変換効率の良い、とても質が高いものばかりです』
「それは良いね」
かつては文字通りのゴミであったスペースデブリだが、これをエネルギーに変える技術が開発されたことで状況は変わった。宇宙のゴミ山は鉱山に変化した――というのは言い過ぎで、採算性はデブリの質に依存するので簡単な儲け話にはならない。
ちなみにデブリの拾得は業者の好きなように行っていいわけではないのだが、依頼主――今回はガニメデ政府の宇宙環境省に申請すれば、余程の危険物でない限りは拾得が認められる。
デブリ掃除のアルバイトというのは、微々たるバイト代よりもむしろそっち――高価なデブリを見つけるのを主目的として行われる場合が多い。
もちろん私もそのつもりである。いずれは自分の宇宙船を買うために、デブリの山の中から宝探し――もといゴミ漁りを行っているわけだ。
私は電磁棒で周辺のデブリをキャッチしていく。
「うん。ここは確かに質が良いな」
リリィの言っていた通りだ。これならデブリどころかそのまま資源として使えるだろう。
私は思わずほくそ笑む。これなら燃料代はここのデブリを集めるだけで回収出来るだろうし、掘り出し物にも期待が高まる。
普通はこういったような宇宙鉱山とも言えるデブリ地帯には、私と同じような事情を抱えたデブリ回収業者が群がるものなのだけど、なんと今回は私しかいない。
誰にも知られることなく、心ゆくまで宝探しが可能だというわけだ。
私は浮遊していたアステロイドを蹴って、デブリの奥へと潜っていた。
2
「ただいま」
と言って宇宙船に戻るとリリィは必ず『お帰りなさい』と返してくる。そういう風にプログラムされているという話なのだけど、一人きりで宇宙船に乗っていると話相手はリリィくらいしかいない。機械相手に真面目に会話をするというのは、はたから見たらおかしな風に見えてしまうかもしれないが、この行為が孤独な宇宙空間内で人間の精神を守るために役に立つということは科学的に証明されているらしい。
なんちゃら論文って言ってたかな……。
『ヒューリアー論文です。サラ』
聞いてもないのにリリィが答を教えてくれた。
「私、時々あなたに心があるんじゃないかって思うことがあるんだけど、おかしいかな?」
『そう思って頂けるのであれば、対話型AIとしてとても光栄です』
「今の返事はテンプレっぽかったから減点」
『サラは意地悪です』
自分が狂ってるのかいまだ狂っていないのか、私は今もまだ正気を保てているのかどうか。
それを確かめるために私はリリィに頼るしかない。
「ん――」
ちり……と、頭に何かノイズのようなものが走った気がした。
「えっと、何をしようとしてたんだっけ……」
ああ、そうだ。集めたデブリがどれくらいエネルギーに変換されたのか確かめようとしていたのだ。
集めたデブリは宇宙船後部に備え付けられている変換装置に放り込む。私が現在使っている宇宙船は格安のレンタル品だが、これを選んだ決め手は変換装置の性能の良さだ。これが悪ければいくらデブリをかき集めても微々たるエネルギーしか得られないことになってしまうため、回収業者にとってはとても重要な機能なのだ。
「うん、良い感じ」
宇宙船のエネルギーも満タンに近くなっている上に、余剰分もキープ出来ている。余剰エネルギーはガニメデに持って帰ればそれなりの値で売れる。正直な話、デブリの中から宝物なんてそうそう見つかるものではなく、デブリから作る余剰エネルギーで採算を取っているのが回収業者の実情だ。
「これだけ変換効率が良ければいくらでもここにいられるね」
何せ一日分集めただけで宇宙船の燃料分を回収出来てしまっている上に、周囲を見ても同質のデブリはまだまだ無尽蔵に残っている。
まあ、水と食料の問題があるのでいつまでもここにいるのは不可能なわけだけど。
「明日はドールは使える?」
ドールとは人型の精密機械で、業者が生身で宇宙空間に行く代わりにドールを遠隔操作してデブリの回収を行わせることが出来る。
これはガニメデ出身者が使える能力で、自分の意識をドールに乗り移らせたような状態になる。同じ人類でも地球人には使えないというのが不思議だ。両親が地球人でも子供がガニメデで生まれれば高い確率でドール操作能力を持つようになるので、ガニメデの何らかの特徴が胎児に影響を与えるのだろうと推測されている。
基本的に宇宙空間に出るのは危険な行為なので、ドール操作能力を持った者は、ドールを操ってデブリを回収するのが本来のやり方である。
私がそうせずに地球式でデブリを集めていたのは、初めはまず自分の身体で宇宙に出たいみたいなこだわりがあるから――というわけではなく、単にそう出来なかっただけだ。
『サラ、ドールは既に使用中となっています』
「いや、使ってないよね?」
『しかしそうなっていますので』
「いやいや」
『使用中です』
取り付く島もない。リリィはAIなのでこういう時に融通が利かない。
使用中も何も宇宙船内には私しかいない。その私が使用していないのだから、誰もやっているはずがない。それなのに使用中の一点張りというのは、宇宙船のプログラムの方に何らかの異常があるのだろう。
ちなみにドールが自分の意志を持って勝手に動き出すといったストーリーは宇宙船における定番のホラー話だ。
まあいくら何でもそんなことは現実には起こらないので、有り得るとすれば……。
「この宇宙船に私以外の誰かが潜んでいて勝手にドールを使用している……とか?」
いや、普通に怖いからやめて欲しい。
そんなに広い宇宙船ではないから私以外が勝手に乗り込んでいたら流石に気づく。
プログラムの故障ということにしておこう。この宇宙船をレンタルした時にデブリ変換装置以外の機能をきちんと精査しなかった私が悪い。この話は終わり!
大体、この宇宙船は随分年季が入っているから、そういうことが考えてしまうのだ。ボロいだけならまだいいけど、ドールが使えないのは帰った時に業者に文句を言って値切りを要求すべき案件だ。
「はあ、やっぱり自分の宇宙船が欲しいな」
そう思う。
デブリ回収で地道に稼いではいるものの、この調子ではいつになるやらといった感じだ。
宇宙船は事前に登録されたワームホールを利用して太陽系を離れた超長距離を移動するのだが、レンタルの宇宙船は登録されたワームホールも限られている。結局宇宙の果てまで自分の好きなように旅をするには、まずはマイスペースシップが必要なのだ。
宇宙船を買ったら最初に行く場所はもう決めてある。
地球だ。
地球には幼馴染みのキーラがいる。彼女も私と同様にガニメデ出身だが、十歳の頃に地球に引っ越した。
私はいつか彼女を迎えに行くと約束している。
「そういえば、キーラはどうしてるかな」
直接会わなくてもキーラとはひっきりなしに文通している。今は地球の名門ハイスクールに通っているはずだ。だって彼女はとても頭が良い。
私と力を合わせればきっとどこにだって……。
「あれ?」
キーラとはいつも文通しているのに、どうして今になって彼女はどうしてるかなんて考えたのだろう。
その時、ピロリンと軽い電子音が船内に響いた。
『新しいメールが届きました』
メールか、と言っても私が文通する相手はほとんど決まっている。
「差出人は?」
『キーラ・シュートです』
やっぱりだ。
私はメールを開いた。
『サラ、今どこにいるの? あなたに会いたい。あなたが無事でいることを信じてる。このメールがあなたに届くことを信じてる』
3
今日も予定通りのデブリを回収した。掘り出し物こそ見当たらなかったが、変換されたエネルギーをこれだけ持って帰れば黒字は確実なので十分といえば十分である。
気になるのは仕事内容よりもキーラからのメールだ。
具体的なことは書いていないが、何か切羽詰まったような雰囲気を感じる。
キーラに何かあったのだろうか?
にわかに心配になってきた。
「だけど……」
文面を思い返すと、確かにキーラの文章からは危機感のようなものが感じられるが、心配されているのはキーラ自身ではない。
というか、これは……。
「私の心配をしてる?」
どういうことだろう? 無事も何も私はここでピンピンしている。
地球で何かの情報を得て、私よりも早く私の危機を察している……なんてことがあるのだろうか?
「いや、そんな宇宙海賊団じゃあるまいし……」
賞金稼ぎがギャングに報復を受けるみたいな話は映画で見たことがあるが、私はただデブリを回収しているだけで善悪を問わず誰かに恨みを買った覚えはない。
「うーん、本人に聞いてみるしかないか」
キーラにはまだ返信していなかった。ワームホールを経由した電子メールでも地球まで届くのに数日掛かるのはざらなので、慌てて返信するよりは必要なことをしっかり考えて書いた方がいいという判断だった。
地球で手紙のやりとりをしていた時代は、一通一通しっかりと内容を吟味して送っていたことだろう。それがネットの普及によりショートメッセージでのやり取りが多くなり、宇宙世紀に入った今はまた順序立ててよく考えたメールを送るように戻ったのが何となく面白い。
『キーラ、私は無事よ。というより、普通にデブリを回収しているだけ。どうしてあなたがあの文章を送ってきたのかの方が気になるくらい。キーラは何を心配しているの?』
とはいえ、しっかり考えようにも元のキーラの文章の意味がよく分からないのだから鸚鵡返しのような文章しか送れない。
『送信しました』
と、リリィの声。送信しましたはいいけれど、これが地球に届くまでに何日か掛かって、キーラが詳しいことを書いて返すまでにまた何日も掛かってとなるわけで、しばらくは悶々としないといけない。というか、返事が届く頃にはもう私はガニメデまで帰り着いているんじゃないか。
「まあ、キーラの身に何かあってるわけじゃなさそうだし別にいいか」
――――。
『サラ、起きて下さい。サラ』
「え?」
不意に起こされて身体が思わずびくりと跳ねる。
どうやらうたた寝をしてしまっていたらしい。
「ちょっと、驚かさないでよ」
『すみません、サラ。しかしそろそろ宇宙船のエネルギーが尽きますので、デブリを回収しなくては』
「は?」
何を言ってるんだこのポンコツAIは。宇宙船のエネルギーならさっき回収したばかりで……。
「マジだ」
メーターを見ると、宇宙船の残存エネルギーはほとんど尽きてしまっていて、今は余剰エネルギーで何とか回している状態だ。
エネルギーが完全に切れた宇宙船はただの鉄の棺桶だ。
私は慌てて外に飛び出して手当たり次第にデブリを集めた。宇宙服にもエネルギー充填が必要なので、本当にギリギリだった。
「なんで、どうしてこんなことに?」
私はデブリを集めながらも、こうなった原因について考えていた。
宇宙船にあったエネルギーを馬鹿食いする何らかの機構が意図せず有効になっていて、知らず知らずのうちにエネルギーを使い込んでいた可能性はどうだろう。
例えば、私がうたた寝している間にリリィが波動砲を勝手に撃ちまくっていたりしたら、今みたいな状況になり得るけれど。
――んなわけないか。
私のレンタル宇宙船は最低限の機能しか入っていない。当然軍用の波動砲なんて着いていないのだから、勝手に撃つもへったくれもない。
それに疑っておいてなんだけど、私はリリィを信用している。デブリ回収を始めてから、私のパートナーと呼べるのはリリィだけで、彼女? に助けられたのも一度や二度ではない。今だってエネルギーが完全に切れる前に私を起こしてくれたからギリギリで事なきを得たのだ。
――あるいは。
寄生生物がエネルギー貯蔵庫に侵入している可能性。これは現実的に有り得るし、もしかしたらキーラの心配事と合致するかもしれない。
「それだと、ちょっと洒落にならないんですけど……」
宇宙空間内で生体レーダーを回してみる。周辺に何らかの生物がいれば反応するようになっていて、まさにこういった宇宙船に寄生生物などが侵入した恐れがある場合に使用されるものだ。
しかし。
「うーん……」
レーダーには何の反応もない。周辺のデブリ群に怪しい生物が潜んでいたりはしないし、レーダーの範囲には宇宙船も入っているので、船に取り憑いているものもいないということだ。
「原因が分からないのは気持ち悪いけど、寄生生物に入られたわけじゃなかったのは良かったかな」
寄生生物の種類によっては私では対処出来ずにこの場で詰んでしまっていたかもしれないので、最悪の事態では一応ないようだ。
外側から改めて宇宙船を眺める。やはり随分年季が入っていて、もしかしたら今回の航海が最後になるのかもしれない。それくらい古い。
「やっぱり老朽化が原因かな……」
ちりり。
レンタルの宇宙船は確かに安物だったけど、こんなにも古かったっけ?
だって端から見たら、大きなデブリとまるで見分けがつかな◆◆◆……。
船内に戻ると同時に電子音が鳴った。またメールが届いたらしい。
「キーラから?」
『はい』
早いな。返信してから一日も経っていない。新しいワームホールが開通した可能性もあるけど、多分キーラが立て続けにメールを送ったのだろうというのが常識的な判断か。
『気をしっかり持って。私達は絶対にあなたを見つけるから。だから決して諦めないで。希望を捨てないで、サラ』
「何が……」
ピロリン。
『新しいメッセージが届きました』
「開いて」
『大勢の人であなたを探してる。私のこのメッセージも、本当はあなたに届くか分からない。ううん、大丈夫。私達はきっとまた会える。私は信じてる』
ピロリン。ピロリン。ピロリン。
『新しいメッセージが』
「もういい」
何だこれは。キーラはどうかしてしまったのか?
違う。
既にどうかしてしまってるのは、もしかして私の方?
「キーラのメールはどこから届いたの?」
『地球です』
「……どこを経由してるの?」
『答えたくありません』
「は?」
AIが何を言ってるんだ。
「もう一度聞く。このメールはどのワームホールを経由して、この宇宙船に届いたの?」
沈黙が流れる。即答しないのなんて初めてだ。リリィまで壊れかけているらしい。
もしかして命令を取り消すのを待っているのだろうか?
そんなことはしない。
やがてリリィは答えた。
『このメールはワームホールを経由していません。直接この宇宙船に届きました』
「ここと、地球との距離は?」
『答えます。サラ。約二百光年です』
つまりこのキーラからのメールは、二百年前に送信されたものだってことになって、ということはキーラはとっくの昔に◆◆◆◆◆◆だって人間の寿命は◆◆◆◆◆◆◆◆◆……。
「く、う……」
脳裏に映像が過ぎる。
私はある宇宙空間でデブリを集めている。
その時、凄まじい嵐に巻き込まれた。どこかの恒星が突然爆発したのだ。
私は慌てて宇宙船に戻ったが、宇宙船もろとも激しい衝撃で吹き飛ばされた。
気がついた時、宇宙船はどこともしれぬ空間を漂っていた。
「私、私は……」
寒い、身体が震える。
記憶が混濁している。どれが本当の私だ?
宇宙空間に一人きりでいると気が狂う。
私はすでにおかしくなってしまっている。
だって有り得ないことばかりさっきから考えているから。
「日誌を見せて」
『誰のですか?』
「サラ・ルーリィのものに決まってるだろ!」
『◆◆◆◆年◆◆月◆◆日。恒星の爆発に巻き込まれたらしい。突発的に発生したワームホールに飲まれたらしく、地球から二百光年も離れた場所に飛ばされてしまったみたい。二百光年という距離は歩いて行くには果てしないけれど、ワームホール技術の発達した今の時代では物凄く遠いわけではない。だって私自身が、ものの数秒で二百光年離れたここに来たのだから。……なんていうのは慰めにもならない。この宇宙船では自力でワームホールを発生させられない。ここから地球に向けて光を飛ばすと、届くのは二百年後。ここはそういう場所なのだ』
『◆◆◆◆年◆◆月◆◆日。質の良いデブリも一緒に飛ばされたらしく、少なくとも宇宙船のエネルギーに不自由する心配はなさそうだ。デブリ回収業者としてはここは宝の山だけど、デブリだけではどうにもならないことはある。水と食料。大事に使えば数ヶ月は保つ。……数ヶ月しか保たない。その間に救助が来てくれるのを祈るしかない』
『◆◆◆◆年◆◆月◆◆日。何もない。何も起こらない。誰も来ない。私は暗闇の中で助けが来るのを待つしかない。キーラ、あなたの声が聞きたい』
『嫌だ死にたくない嫌だ誰か助けてお父さんお母さんキーラ死にたくない嫌だ喉が渇いた死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない私はここにいます私はここにいるんですお願いしますどうか私を帰して怖いよ死にたくない死にたくない私は死にたくない』
私はコックピットの端にある小部屋に目を向ける。そういえば記憶にある限り、私はそこに入ったことがない。入る必要がなかった、と自分に言い訳をしていた。
部屋の名前はドールルーム。ガニメデ人がドールを遠隔操作するための部屋である。
『警告します。サラ、その部屋に入る必要はありません。システムエラーでドールは既に使用中になっており、使えません。その部屋に入る必要はありません』
リリィの言葉に思わず笑ってしまいそうになる。
こんな優しいAIがあるのだろうか。
「やっぱりあなたって心があるんじゃないかと思うの」
私はドールルームの扉を開いた。
そこにいたのは、ドールを操りながら力尽きただろうサラ・ルーリィの白骨死体だった。
4
私はフラフラとした足取りで船内を彷徨う。
寒い、身体が震える。
違う。寒くないし、身体も震えてなんていない。
ドールは高性能だが、そんな機能まで備わっていない。
ただ私がそうだと思い込んでいただけだ。
「どうして、こんなことに?」
『サラ・ルーリィはドールを使ってデブリを集めている最中に衰弱死しました。しかしサラの意識が乗ったままのドールは、サラの死後も動き続けました。操縦者の死後もドールが動き続けた例はこれまで報告されておらず、原因は私には答えられませんが……。サラ、あなたは二百年もの間――』
「二百年間、私はずっとここでデブリを集め続けてたのか」
宇宙船が異常に老朽化していたのも、これで説明がつく。
外だけではない、今改めて見るとどこもかしこも既に廃墟のようになっている。
今までこれが、まともな宇宙船内に見えていたことの方が不思議で仕方ない。
最近やたらと眠りが深いのも、私がねぼすけだからじゃなくて、多分もうすぐ――
『あなたのおかげで私は二百年間この船を守ることが出来ました。感謝しています。そして、あなたのおかげで、二百年間常に救難信号を送り続けることが出来ました。キーラ・シュートのメッセージが直接通信でこの船に届いたということは、同時に救難信号も地球に届いたことでしょう』
地球からならワームホールを経由出来るので、ここの座標を特定すればさして時間を掛けずにこの船を見つけられるだろう。それとて簡単ではないが、少なくとも二百年も掛かることはない。
「助けは、来るだろうね」
ワームホール経由していない、直接通信の救難信号は通常無視される。二百年前の信号を元に助けに行ったところで生存者がいるはずがなく、時間と資源の無駄だからだ。
しかしこの船の救難信号は二百年間、絶えることなくずっと送られ続けてきた。
生きているのだ。この船は。
だったら助けはきっと来る。
「ふふ、驚くだろうね。まるで幽霊船だ」
そして私はサラの幽霊。ドールが自律的に動くなんて幽霊としか思えない。まあ本当のところは生前のサラの強力な能力と精神力のたまものなのだろうけど、私とリリィが止まってしまえば無人の船が生きていた理由は誰にも分からなくなる。
ともかくこれで◆◆◆◆◆◆
「ヤバい。また意識が飛びそうになってきた。次はもう起きれないかも」
『私ももうすぐ眠ります。あなたのおかげでサラを故郷に帰してあげることが出来ます。ありがとう』
「ああ……」
両親も親友ももういないだろうけど、こんなところで永遠に彷徨ったままなんてのは確かにあんまりだ。誰かに発見されてガニメデに帰れるなら、それが一番良いだろう。
私もまあ、最期に二百年来の相棒であるリリィに感謝して貰えるなら、幽霊冥利に尽きるといったものだ。
身体が動かない。エネルギー切れだ。そもそもずっと前から私にはガタが来ていて、最近は満足にデブリも集められていなかった。
『予備エネルギーも間もなく尽き、この宇宙船は完全にシャットダウンされます』
「うん。私ももう眠たくて」
『おやすみなさい。良い夢を』
夢か。もしも私が夢なんてものを見られるのだとしたら、私はまたデブリを集めてお金を貯め、いつか自分の宇宙船を買って、そしてサラと一緒に◆◆◆◆◆◆
最後にブツンと頭の中で何かが切れた音がして、船内は暗闇に包まれた。
200光年のスリーピング・ドール 初瀬灯 @tenome
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます