ep.11

 


「似てないよね、僕とローズちゃん」


「え?」


 棚の奥を探りながら、レイモンドはまるで天気の話でも振るかのような軽い口調で語り掛けた。

 天井から吊るされたランタンの心許ない灯りが、彼の横顔をちらちらと照らしている。


 ローズの要望により、チョコレートミルクを作るため調理場のある宿舎まで来ていた二人だったが、肝心の砂糖が無いことに気付き、地下の貯蔵庫まで備蓄を探すはめになっていた。

 調理場には通常の砂糖も置いてあったのだが、ローズのいうチョコレートミルクには特別なルートでしか手に入らない上質な砂糖を使わないと満足しないらしい。なんつーワガママな、とノアは思ったが、それと同時に、口では口煩く言われながらも何だかんだ沢山の愛情を注がれて育って来たのだと感じていた。

 わがままが通るという事がどれほどの愛情の上で成り立つものなのか。彼女の性格からして、それが愛ゆえだとは微塵も思っていないだろうが。


 そんな彼らを見ていたので、レイモンドの発した言葉に意表を突かれてすぐさま反応できずにいた。どういう意味だろう。言葉の意図が読めずにたじろいでいると、レイモンドはなんて事ないような口ぶりで話し始めた。


「血は繋がってないからね。

 僕の親友だった人の娘なんだ、ローズちゃん。

 驚いた?」


「……………えーっ、ええ?!いや、え、そうだったんですね。まあ確かに、言われてみれば顔は全っ然似てないですけど…」


「あっはは、"ぜんっっぜん似てない"よね。

 まあそりゃ、この顔からあんな繊細な顔が産まれたらおかしいか。」


「んーー、まあ顔だけで言うとそうですけど、でもなんか、見た目とかじゃなく、なんて言ったらいいんだろな。なんか……一瞬の表情が似てる気がする。」


「というと……?」


 手をすっかり止めたレイモンドが、驚いたようにノアの目を見やった。彼の目がじんわりと大きく広がっていく。


「こう、嬉しかったり、驚いたりしたときの、感情がダイレクトに伝わってくるような表情は二人そっくりですよ。今も。」


 自らの頬に手を当てたレイモンドが、ノアを見開くように見つめたままぴたりと固まる。見えない自分の表情を確かめるように、手でペタペタと顔を触っている。


「…そんな事初めて言われたな。どこが似てるんだと笑われるのが常だったからさ。

 いやあ、そうか、表情が似てるかー。嬉しいな。」


 目線を少し下に落として、レイモンドがはにかんだような横顔を見せる。


「父親似なんですか?ローズは」


 数々の瓶が一面に並ぶ棚から、ノアも目当ての砂糖のラベルを探そうと手を動かす。


「いや、顔立ちは母親似かな。町でも評判の綺麗な人だった。婚約を申し入れる者が後を絶たなかったくらい。

 目と髪の色は父親譲り。彼女の蜂蜜を混ぜたような目、すごく綺麗だろ?」


 レイモンドは、昔を懐かしむような表情のまま、淡々と話し始めた。


「彼女の父親──ジョゼフっていうんだけど、彼とは生まれた時からの腐れ縁でね。温厚で、優しくて、いつも明るくて、そこにいるだけで人が集まるような、太陽みたいな奴だった。

 ローズちゃんが、まだ5歳のときに、


 殺されたんだ。殆ど逆恨みで。」


 砂糖の瓶を探していた手が固まった。ノアは不意を突かれたような表情で、レイモンドの横顔を見ていた。


「幸い彼女は外に出ていたようで被害は免れたけど、犯人は夫婦二人を刺したあと家ごと燃やして焼身自殺。家に帰ってきたローズちゃんは、そのまま家の前で立ち尽くしていたらしい。


 少し前にジョゼフが犯人の恋人に親切にしていた所を、どういう訳か勘違いして行動にまで至ったようだった。


 その後親戚中たらいまわしにされたんだけど、なかなか引き取り手が見つからなくて、僕のところまで話が回って来たんだ。


 その頃の僕はといえば、ちょっと・・・まあ、色んなことが重なって自暴自棄になっていてね。自分で言うのもなんだけど、まあ人に言えたもんじゃない酷い生活を送っていた。犯罪まがいのことなんかしょっちゅうだったし、自分が長く生きるなんて思ってもいなかった。

 だから訃報を聞いたときは驚いた。真っ当に生きてるジョゼフの方が先に死ぬなんてあり得なかった。俺の方が先に死ぬもんだと思ってた。


 当時の俺たちは正反対の人生を送っていたし、もう自分の人生に関わることなんて無いはずだった。


 でも話が来て、憔悴しきったローズちゃんの姿をみていたら、なんか。

 あいつの為に、俺が生きなきゃって思ったんだよね。


 結局のところ、眩しかったんだと思う。眩しくて、羨ましかった。周りの奴らに愛されて、いつも楽しそうにしてるあいつが。あんな風に器用に生きられたらどんなに幸せだろうって、妬ましかった。


 ローズちゃんは、そんなあいつが最後に残した唯一の生きた証拠だった。彼女を目の前にしたら、自分のこれまでの下らない意地が、なんだかとても陳腐なものに思えてね。自分を誤魔化すのをやめて、その時率直に思ったことを選択する人生でありたいと思った。


 あいつは情が深い奴だったから、幼い娘を残して逝くなんて死んでも死にきれなかったと思う。あいつの代わりに彼女の成長を見届けることが僕にとっての彼への弔いだって、なんか、その時思ったんだよね。


 そこから改心して、まあ何だかんだ色々と紆余曲折を経て、当時仲の良かった奴らとここを立ち上げるに至ったわけさ。さすがに最初はここまでの大所帯ではなかったんだけどね。


 そういう訳で、 血は繋がってないこそすれ、紛れもなくローズちゃんは僕の大事な一人娘なのさ。流石にちょいと甘やかし過ぎた部分もあるかもしれないが………そこも可愛いだろう?」


 レイモンドが同意を求めるように首を傾げるのを、ノアはまじまじと見ていた。自分が発した純粋な質問から、思いもよらない話にまで発展してしまった。つい先程会ったばかりの人間にそう易々とここまで打ち明けてしまって良いものなのだろうか。


「そんな話、なんで俺に……?」


 狼狽えるノアをよそ目に、レイモンドは続ける。


「なんでだろう。ノア君と楽しそうにしているのを見ていたら、あの頃の俺たちを思い出したからかもしれないな。」


「楽しそう……?俺はただクッキー食われただけですけど…?」


「あはは、君にとっては大惨事だったね、申し訳ない。でもローズちゃん、いつも以上になんだか楽しそうだった。

 最近よく考えちゃうんだよね。彼女にとっての幸せって何だろうって。

 ローズちゃんには秘めた才能と可能性が無限にあって、それなのに、ここに居続けることでそれが無下にされちゃいないかって。」


 彼の慈しむような口調と表情からは、ローズを大事に想い、ここまで愛情深く育ててきたことが如実に伝わってくる。まるでそれは、これまでの軌跡が垣間見えるようだった。

 エリゼとなぜか重ねて見えたのは、何かを心から愛し育てる者が纏う、特有の空気を感じ取ったからかもしれない。


「……考えすぎですよ。俺もよく、村のみんなにいつ出ていくのかってしょっちゅう聞かれますけど、そんなの人に言われなくても、出ていきたいと思った時に自分の意思で決めたいに決まってます。

 ローズも、考えが変わったら自分から言うんじゃないんですか。よく知らないけど、ずっといたい可能性だってあるし。」


「そうかなぁ……」


 なんだか彼の身体が、最初に会った時よりもうんと小さく思えてくる。

 ローズの事で今までどれほど考えを巡らせてきたのか、想像に難くない。近しい者にはなかなか言えない悩みも、初対面の人間になら言いやすいということなのか。


「そんなに心配しなくたって、本人楽しそうにしてるし別にいいんじゃないですか?

 何かしたい事でも出てきたらその内打ち明けてくれますよ。」


「……だといいけど。彼女、ずっとこの男所帯で過ごしてきただろ?もっと同世代の若い子達と過ごしていた方が、彼女自身のためになるんじゃないかって……あれこれ思ったりしてね。」


「そんな、どこが居心地良いかなんて、本人にしか分からないですよ」

 

「でもなあ。

 それに、いつか急に思い至って、何の音沙汰もなく出ていかれたりしたらさあ、それはそれで立ち直れないよ。ほら、あの子そういう所あるし。」


「……まあ、そういう突拍子もないこと事しそうな雰囲気はあります。」


「だろ?!あの子ね、すぐそういうことしちゃうのよ。

 ローズちゃんはねぇ、躊躇う暇があったらすぐに足が動いちゃうような、身を以て道を切り開いていくような、そんな思いもよらないことを仕出かす子なんだよ。


 昔っから怪我も多くて、その度にどれだけ肝が冷える思いをしてきたか。」


 レイモンドが親指で空瓶の輪郭を確かめるようになぞっている。


「ねえ、ノア君さ、ローズちゃんに聞いてみてよ。」


「は?なにを……?」


 レイモンドが発した言葉の意味が、うまく飲み込めない。

 なんだか面倒事に巻き込まれそうな己の状況に、少し身構える。


「だから、本当に今のままで大丈夫?って。

 他に何かやりたいことや、興味のある事はないか?って。」


「やですよ。自分で聞いてくださいよそんなの。」


 ノアは露骨に不快感を顔に浮かばせながら即座に答える。大人はどうしてこうも勝手にあれこれと推し量ろうとするのか。


「頼むよー。僕が聞いたら邪推しちゃうだろうし。

 君みたいな特に何も考えて無さそうな、人畜無害そうな子が聞いたら案外本音を言ってくれるかもしれないだろ。」


「なんつー言い草だよ!俺ってそんな風に見えてるんですか?!」


「ね、頼むって。ここに居る間はなんでもしてあげるからさ!」


「嫌ですよ!面倒事に俺を巻き込まないで下さい!」


 熱の入ったレイモンドがノアの肩を揺らして懇願する。肩に食い込む指が骨に響いて痛い。


「ね?!頼むって!!一生のお願い!!」


「だから嫌ですって!!」


 肩を掴む力が段々と強くなってくる。ここの人間は何故だかみな一様に力が強い。

 一方通行のやり取りに半ばげんなりし始めた頃だった。



「………なにやってんの…………?」



 空からおそろしく冷淡な声が降ってきた。

 二人同時に声のしたほうを見上げる。


 地下倉庫に続く階段の上で、冷ややかな目をしたローズがこちらを見下ろしていた。


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