ep.10

 


「いやあ、悪かったな、まさか荷台が外れて落っこちるとは」

「今日はとんだ災難の日だな!」


 ガハハハハと笑い合う大柄の男に挟まれて、肩を遠慮なくビシバシと叩かれる。本気で悪いとは思ってないだろうその言い草に、ノアはジト目を送った。


 寿命が縮む思いをした出来事から一転、ノアは彼らの経営する牧場に迎え入れられていた。

 ここは「ケリア牧場」と呼ばれる牧場の、敷地内に建てられた屋舎。先程ノアが遭遇したのは、生乳を出荷する道中だったらしい。


 荷台が襲ってきた原因は何でも、繋ぎ止める金具のネジが緩んでいたとかで、お詫びとして隣町まで送り届けるという約束が交わされた。ただし出発は今すぐではなく、翌々日の朝と指定されたのだった。


 屈強な男達が、興味津々といった具合でノアに様々な質問を投げかけてくる。若干の威圧感を感じつつ、14地区の町まで徒歩で行くはめになったいきさつ等を説明していた。話を聞くに、彼らはノアの生まれた村の存在を誰一人として知らない様子であった。そもそもノア自身も、こんな所に牧場があるとは知らなかったのだが。


 あの大きな亀裂により、本来なら通らない深い森を抜けて来たノアだったが、どうやら彼らも同様に亀裂の影響で通常とは異なるルートを使い迂回していたらしい。

 16地区のみ影響を受けている謎の現象。彼らと持てる全ての情報を共有しても、謎は深まるばかりであった。


 そんな、段々と身体も温まって来た頃。

 突然、扉が開く大きな音がして、ガヤガヤと騒音に満ちていた室内に空気が流れ込んできた。皆が一斉に音のする方へと顔を向ける。


「やあやあ、さっきは大変な目に遭ったようだね。事情は聞いているよ。君がノア君かい?」


 そう眉を下げながら姿を見せたのは、むさくるしさを感じさせない、むしろ紳士ささえ漂う、顎髭を生やした男だった。いわゆる普通体型だが、周りの男達と比べると細身のようにも見える。


「レイモンド!お前遅ぇぞ!どこ行ってたんだ」


「いやあ、すまない。新しい取引先との交渉が長引いて遅くなってしまった。」


 男は困ったように少し笑いながら頭を搔くと、ノアの方を見やった。


「改めまして、こんにちは。僕はレイモンド。一応ここの経営をやっている、いわゆるオーナーってところかな。少しむさ苦しいかもしれないけど、ゆっくりしていってね。」


「あ、はい!よろしくお願いします」


 レイモンドは後ろ手に扉を閉め、一同が集まる方へおもむろに近づくと、ぱっと手を差し出した。ノアも立ち上がってそれに応える。

 にこやかな顔とは対照に、指先の力がズンと伝わる力強い握手だった。先ほどの少女然り、周りの男達然り、ここにいる者達はみな必要以上に力を持て余しているように感じられた。


「迷惑かけちゃってごめんね。見たところ大きなケガは無いようだけど、どこか痛む所はない?」


「いやもう、全然。かすり傷ひとつないんで!」


「そりゃよかった。一報を聞いた時はもう、気が気じゃなかったよ。とりあえず元気そうでよかった。ローズちゃんにも感謝しないとね。」


「…その、さっき助けてくれたローズ?ってのは大丈夫なんですか?さっきは大丈夫そうだったけど、後になってどっか痛んできたとか?」


 ここに着いて早々、ノアを助けた少女──ローズは、何も言わずノア達と別れ、何処かへ行ってしまった。それがノアには少々気掛かりであったのだ。不安げに、周囲の男達の目を見渡す。


 するとそんな様子を見ていた男の一人が、まるで考えもしなかったと言わんばかりに盛大に吹き出した。


「んなもん、ローズがあれしきの事でくたばるわけねーだろ。あいつはちょっとやそっとの事で傷つくような奴じゃねえぞ。内面も含めてな。」


 と、男がそう言い終わったと同時に、もの凄い音を立てて、扉が開け放たれた。

 雷でも落ちたのかと思うほどの迫力ある音に、ノアも驚いて反射的に顔を向ける。


 一同の注目を一身に受けるその視線の先に、袋から溢れんばかりの大量のパンを抱え、堂々たる佇まいで立っている少女の姿があった。

 彼女は口をパンパンに膨らませ、忙しなく動かしている。


「こら!ローズちゃん!ドアを足で蹴るのは止めなさいと何度言えば」

 

「えー、だって両手使えないんだもん」


 すかさず注意するレイモンドに、突如現れたローズはくぐもった声で答えた。


「はあ…ごめんね。行儀の悪い所を見せてしまって。見ての通りローズちゃんは元気いっぱいだから心配いらないよ。

 それにしても客人の前なんだから、もう少し節度を持ってだね…」


 頭を抱え小言を言うレイモンドをよそに、ローズはノアの元へズカズカと駆け寄っていく。


「ノアも食べる?お腹すいてるでしょ」


 ローズは無作為にパンを袋から一つ取り出すと、ノアの前に差し出した。手から大きくはみ出るサイズの、まあるいライ麦パン。

 そんな彼女の行動に、周囲が徐々にざわつき始める。


 あのローズが人に食いもんを分け与えただって?

 どうかしちまったのか?

 やっぱ頭でも打ったんじゃねえか。

 周囲から、動揺を隠しきれないといった言葉がノアの耳元に次々と届く。


「一個だけだよ…!!!ボクだって優しいときは優しいもん!!」


 ほら、と不遠慮にノアの頬へぐいぐいとパンを押し付けるので、ノアは圧に押されておずおずと目の前のパンを受け取った。


「あ、ありがとう・・・・?」


「どういたしまして」


 初めて出会った時のように、ローズがにこやかに微笑む。


「ところで、ボクになにか、ある?」


「は?」


 周囲のざわめきに意識がもっていかれていたノアは、一瞬遅れて間の抜けたような返事が口からこぼれ出た。


「だから、ほら・・・その、ほら、あれだよ。あれ、お礼とか!」


「・・・え?ああ、助けてくれてありがとう?」


「そうじゃなくて!もっとあるじゃん!お礼の品とかさあ!」


「ええ・・・・俺いまは何にも・・」


 意図の読めない会話に困惑しながらもポッケなど一通り探ってみるが、特に見つかりそうにない。


「こら、ローズちゃん!元はと言えば僕らに落ち度があったせいで招いた事故なんだから!そんな物乞いみたいな真似しない」


 横槍を入れるレイモンドの言葉なぞ、まるで耳に届いていないかのように、ローズはノアの鞄に向かって鋭く指を指した。


「ええい、もう、そこに、あるでしょうが!その鞄の中に!美味しそうな匂いのものがさぁ!!」


 ローズの言動にノアは一瞬理解が追い付かなかったが、その視線を辿ってふと思い出したように鞄の中身をゴソゴソと探る。それから、おそらく彼女の目当てであろうものを取り出した。

 薄ピンクの布の端をきゅっと赤いリボンで結んだ、手のひらサイズの包み。村を出る際に渡されたクッキーの存在を、ノアは今の今まですっかり忘れていた。あとで食べようと思いつつ、鞄の奥底で眠っていたのだった。


「もしかしてこれのことか・・?」


 ノアはローズの前に、おずおずと差し出してみる。


「へへっ、ちゃんとあるじゃん。これはお礼としてボクが食べていいよね」


 有無も言わさぬ勢いでローズはノアの手から包みを奪い取る。ほぼ強奪と言っていい素振りだ。呆気にとられるノアを尻目に、ローズはクッキーを鷲掴みすると、ものの一口で殆ど全てを平らげてしまった。

 一つ一つ多様な形で型どられていたクッキーが、その輪郭を晒すことなく噛み砕かれ、ローズの喉を下っていく。


「お前、、もうちょっと味わって食えよ!」


「美味しかった!」


 第一印象と大きくかけ離れた彼女の姿に、ノアは恩人と言えどもなんだか辟易した心持ちになる。

 あの時女神のような、救世主のような、そんな姿に見えたローズは、今やその影も形もない。目先の欲に忠実で、欲を満たすためならどんな手段も選ばない。ノアは頭の片隅で、村の子供たちの姿を思い出していた。


「はあ・・勝手に食べてごめんねノア君。僕たちが甘やかし過ぎたせいか他でも類を見ない我儘な子に育ってしまって。」


 レイモンドがこれでもかと眉を下げてノアに申し訳なさそうな顔をしている。そんな顔をされると、なんだかこちらまで申し訳なくなってくる。


「パパー、なんか喉乾いた。チョコレートミルクが飲みたい。砂糖たっぷりの。」


 平たくて長い椅子に、足を大きく広げどっしりと座ったローズが、肩肘をついた横柄な態度でレイモンドに要望する。まるでこの世界の王でもあるかのような口ぶりだ。


「はいはいお嬢様。すぐに持ってきますよ。

 …そんな訳で、悪いね、ノア君。君は好きに過ごしてていいからね。」


 レイモンドが扉に手をかけながら告げる。


「……あ、俺も行きます!」


 ローズのふてぶてしい姿に呆気にとられていたノアは、一瞬遅れて反応した。


 まだ会って間もないにも関わらず、彼の声は聞いていてなんだか居心地がいいのだ。ノアは惹かれるがままに席を立っていた。うまく説明できない、理屈ではない類いの他人の心を安心させる何かが彼にはあった。


 開かれた扉の向こうから、冷えた空気が足元に流れ込んで来る。


 レイモンドの背中に続くようにあとを追う。

 彼の纏う空気の流れは、なんだかゆったりとしていて居心地が良い。ノアは何故だか、エリゼの凛とした声の響きを思い出していた。


「ノア君も好きなの?」


 飲んだ事なかったが、頷いてみる。

 外へ出ると、澄んだ空気が喉元を通っていく。冷えた心地の良い空気が、肌を撫でて二人を冷たく歓迎していた。






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