ep.12

 大声を張らねば会話出来ないほどのやかましさが食堂全体を包み込んでいる。酒が入っていることもあり、その声はより一層活気に満ちていた。


「ほら、もっと食え食え、最後の夜なんだからよ」

「おーい!こっちにも追加の肉持ってきてくれ」

「おいまだ全然食ってねえじゃねぇか。そんなんじゃローズに勝てっこねぇぞ!」


「食ってる食ってる!食ってるって!」


 ノアが口いっぱいに料理を詰め込んだまま主張する。村にいた頃は自分が誰よりも食欲旺盛だったのに、ここでは皆がみなが育ち盛りのノアに負けず劣らずの勢いで、目の前の料理をガツガツと食らいついている。「満腹を感じる前にとにかく胃に詰め込め!」と夕食前にかけられた身も蓋もないアドバイスを思い出しつつ、ノアは味の濃い料理をたんまりと口の中に放り込んだ。


 ここで迎える二日目の夜。明日は出発日だと思うと、なんだかこの喧騒も名残惜しい気持ちになる。

 ほんの数日だったが良い土産話が出来た、と肉を噛みながらしみじみしていると、突然、視界の端に、盛りに盛られた山積みのパスタが現れた。ノアは思わず二度見した。明らかに胃の許容量を超えている。さすがにもう無理だ、と口から出かかったところで、隣の席にローズが問答無用で座ってきた。ローズはテーブルに着いてすぐ、目の前のパスタに手をつける。

 ノアは自分の皿でない事に一瞬安堵の表情を浮かべながらも、相変わらず、そんなに食ってどうするんだ、と呆れ半分で隣を見やった。


「お前どんだけ食うんだよ」


 口からはみ出たパスタを啜りながら、ローズは隣に座るノアに顔を向けた。


「食べても食べてもすぐお腹が減っちゃうんだよね。」


「だから、それ?」


「ん?」


「パンとかパスタとか……炭水化物ばっかじゃん」


「うん、腹持ち良いのが好き。あと甘いのも!」


 フォークが折れそうになるほどパスタを巻き付け、ローズが大きな口を開けると、すぐさま口の中に消えていく。


「ねえ、それで、何の話してたの?昨日」


「またそれかよ・・・いい加減しつこいぞ。向こうに聞いてくれよ。」


「だってボクが聞いてもはぐらかされるし。それに」


「それに?」


「なんかノアなら押しに弱そうだから教えてくれそう」


「・・・・・まじであんたらに俺ってどう見えてんの。そんなに俺って軟弱そうかよ。」


「うん・・まあ。」


 ローズがノアの頭のてっぺんから脚先まで視線を送ってから、なんの偽りもない真っ直ぐな顔で答えた。


「そりゃここの奴らと比べたらな、誰だってそう見えるわ!」


「腕相撲も弱かったし。」


 ローズのその一言に、威張っていたノアの姿勢は背骨が抜かれたようにガタリと崩れ落ちた。


 昨夜。夕食後に余興と称して開催された腕相撲で、ローズにすぐさま打ち負かされた記憶が鮮明に蘇る。彼女がいくら力が強い方だとはいえ、まさか負けるとは思いもしていなかったので、ノアは暫く放心状態になっていた。


 と、会話を盗み聞きしていたらしい隣の男が、思わずといったように吹き出した。


「あん時のノアの顔は傑作だったな。負けたのを理解しきれてねえ間抜けずらでよ。」


「ああもう、思い出させるなって…!悔しいとか通り越してショックだったんだから!」


「ノアのあの顔思い出すだけでしばらく笑えそうだよ」

「ローズにやられて、おまえ一瞬で終わったもんな。」


 ふたりが次々とノアに率直な言葉をぶつける。


「だって俺、男だぞ。なんでローズに俺が負けるんだよ。おかしいだろ」


「ローズをそこいらの娘と一緒にしちゃあいけねえ。こいつは俺たちと同格、いやそれ以上に腕っぷしが強えのさ。」


「それ以上って……この腕のどこからそんな力湧いてくんの。」


「ボクともう一回やったら分かるかもよ?試してみる?」


「もう絶対やらねえ!

 めちゃくちゃ飯食って、そんなに力つけてさ、お前どうなりたいわけ…」


「どうなりたいって、別にー。そんなの考えたことないよ。食べたいから食べてるだけだし、昔ちょっと鍛えたらそれで力が強くなっただけだし。」


「ローズは昔っから競争心やら自己実現やらの類いが一切ねえんだよ。そのくせ次々と力つけて軽々壁を超えていきやがる。そういう奴さ。」


「うわ、一番人から妬まれるタイプじゃねえか」


「ガハハハ、努力タイプで闘争心むき出しの奴からすると、そうかもな。」


 口周りがソースまみれになったローズの顔を見遣る。どこか掴みどころのない、普段から何を考えているのか全く読めない彼女は、周囲の人間から聞くに、どうやら本当にただただ直感的に、思うがまま生きているようだった。思考よりも先に足が動くからこそ、自分はあの時助かったのかもしれない。ノアはあの心臓に悪い出来事を思い出しながら、そんな事を思った。


 すると突然、ぐうううう、と隣りから音が鳴った。思わずローズの方を見ると、顔を歪ませたローズが背中を丸めて腹を撫でていた。


「うう……お腹すいた……」


 空になった皿を前に、ローズが項垂れている。


「ええっ?!こんだけ食っといて??!」


「今日は沢山動いたんだよ。ちょっとおかわりしてくる……。」


 とぼとぼと席を立つローズの姿を、ノアは唖然としながら見つめていた。


「…………まじでめちゃくちゃ食いますね」


「めちゃくちゃ食ってんな」


「……ここの食費どうなってんですか」


「そりゃあもう。俺らもローズも食うために働いてるようなもんよ」


 適当にはぐらかされた答えになんとなく察したノアは、苦笑いを浮かべた。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆




 ローズが返ってくるより先に、ようやく業務を終えたらしいレイモンドが食堂に顔を見せた。首にタオルをかけ、濡れた髪を掻き回している。


「いやあ、通り雨にあって濡れちゃったよ。運悪いよなぁ。」


 レイモンドは雨水で重たくなったシャツを脱ぐと、近くの男に投げ渡された服を掴んだ。


 笑いながら皆に嘆くレイモンドを傍目に、ノアは

 レイモンドのその腹の傷跡に目が釘付けになっていた。抉られたような跡。白くなった皮膚が不自然に盛り上がり、左脇腹を裂くように走っている。


「その腹の傷……何の傷ですか?」


 ノアは思わず口に出していた。


「ああこれね、昔ちょっと盗人にやられてね。近くで見るかい?」


 レイモンドが着替えた服の裾を上げて、腹をちらりとノアに見せる。


「いや、いいです…!」


 ノアが両手を振って全力で否定すると、レイモンドは口を大きく開けて笑った。


「ははは、減るもんじゃないのに。

 この傷さあ、ローズちゃんがもっと小さい頃の出来事でさ。またトラウマみたいなもんを見せちゃって、悪い事したなって反省してるんだよね。

 ローズちゃん、普段はあまり感情が揺れる子じゃないんだけど、その時ばっかりは泣きじゃくっててさ。後にも先にも、その時だけだったな。ローズちゃんの涙を見たのは。」


「まあ、あん時は人も少なかったからな。ここらじゃ人目につかねえし、狙われたんだろ」


「そう、だからそれをきっかけに仲間呼び掛けてたらどんどん増えちゃってさ。今じゃこの大所帯ってわけさ。」


「じゃあローズが鍛えてたって言ってたのもそれがきっかけで…?」


 トーンを落としたノアがレイモンドに疑問を投げかける。


「ああ、多分ね。よっぽどトラウマだったんだと思うよ。

 ま、俺からしたら、無茶してた頃の方がよっぽど痛い思いして来たけどね…!」


 腕を組んだレイモンドが白い歯を見せる。目にかかった濡れた髪が重く揺れている。


「なんの話ししてんのー?」


 唐突に、背後でローズの声がしたので振り返った。

 ノアを挟んで、レイモンドがわざとらしく「んー?ひみつのはなし」と応える。


「えーーまたボクに内緒話〜?!」


 重量のある大盛りのパスタを持ったローズが、ぶすくれた顔で不満を口にする。


 そんなローズをかわすように、レイモンドは「明日は天気良いといいね。」とにこやかに微笑んだ。



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マジェスティック・フロレゾン 飴山 @ameyama

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