生きる

ここ1年程急に無気力になり、なんかやる気がなくなっていた。


特に何かがあったということもなく。


別に何の不満もないのに、ただ、何もする気にならないのだ。


よく読んでた本も興味が薄れ、外にもあまり出なくなった。


人と接するのがとても億劫になり、だからといって別に鬱っぽいわけでも


なく、辛いというわけでもない。ただ、何かしたいという思いが湧いて


こないのだ。


久しぶりに文章を書いてみたくて、パソコンを開いた。


「生きる」


生きることって何なんだ?


自分で決めた訳でもないのに、気がついたら生まれて、生きてるし


生きなきゃいけなくなっちゃってる


それは、ただ、死ぬということが「未知」で、「怖くて」進めないから


そこに意思などない。


あるとすれば、それは、欲望という燃料がある場合


その燃料は、どこからきて、なぜあるか分からない


そのありかが分かれば、トラックで運ぶこともできるのに


燃料のない私の車は、ノロノロと走っている


別に走りたくないが、他の車の手前、走ったふりはしておきたいから


隣の車は、欲望という燃料満タン、アクセル全開で追い越していく


一体どこに行きたいのだろうか?


私は、走っているけど、どこにいくのか?どこに行きたいのかも決まってない


もしかしたら、走れば走るほど、自分の行きたい場所から遠ざかっている


かもしれない。


だけど、この流れから外れるのは怖い


外れたらどうなるのか?事故に遭わないか?、また走り出せるのだろうか?


何を失うのだろうか?


長い間走り続けていると、外れたいという思い自体忘れて、


走り続けられるかどうかの心配をして、死んでいくのだろう


そしたら、きっと、私の人生は、「走る続ける」ために生きていたという


ことになる。


走り続けろとは誰にも言われてない


私の中の「不安」がそう決めたから


他の誰でもない、決めてるのは「自分」


ならば、その鎖を断つのは簡単なはずなのに


時が経てば断つほど、その鎖は、太く強くなっていっている


自分でつけたんだから、自分で外せるはずなのに


外せない


自分のことなのに、「自分の心」は、「自分の頭」に支配されて動けない


どんな人生を選んでも、どうせ、数十年後には


自分も、自分を知っている周りも死んでるのだから


何を選んでも、大して変わりはない


評価される側も、する側もいない


ただの「無」なんだから


「無」に帰るまでに自分が望むことをすればいいと分かっているけど


「頭の自分」がそうはさせないと、こちらを睨んでいる


24時間365日、休みなく見張られている


さて、どうやってここを抜け出そうか?


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日々 shimo55 @shimo55

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