25、ディーンの剣①

その時、若女将からジルコン王子にご挨拶をどうしてもしたいというお客さまがおられるのですがとお伺いをたてられた。

その手に持つ盆には桃色の瑠璃のグラスを二つ乗せている。

ジルコンと二人で花見をしながら酒を飲むというありえない情景が目に浮かび、とうとうロゼリアの限界を超えてしまった。

こんなどきどきする状態で、男と二人で酒を酌み交わしたことなどない。

どうしていいかわからない。

しかもジルコンは自分のことを王子と信じて疑っていないのだ。

自分だけどきどきしているのも滑稽だった。

ロゼリアは庭をぐるりと見てきますから!といきなり立ち上がり、呆気にとられる若女将とジルコンを残してその場から逃げ出してしまったのである。


庭は美しく整えられていた。

宿をぐるりと囲むように庭がしつらえられている。

その借景とする森の景色に合わせて、石の庭、水の庭、砂の庭といった趣の異なる趣向が凝らしているようである。

その美意識の高さがロゼリアにも伝わってくる。

エールの洗練された文化である。

王都にはいれば、もっとロゼリアを驚嘆させるものがあるのだろう。

ここは、ジルコンが慈悲深くもロゼリアに与えた心の準備の猶予なのだと思う。


酒も飲んでいないのに、ふわりふわりと足が地につかない感じがする。

足裏でじゃりじゃりと玉砂利を踏んでいるのに、どこか遠い別世界から聞こえてくるような気がする。


この感覚は明らかに異常である。

先ほどから自分はおかしかった。


もしかして葛切りの黒糖蜜になにかリキュールのような酒が忍ばされていたのだろうか、なんてロゼリアは思ってしまう。


奥まったところには、ここがエールの騎士や兵士の宿泊施設としても人気が高いことを裏付ける、修練場があるようだった。

そこで誰かに相手をしてもらい、思いっ切り汗をながしたら目が覚めるだろうかと思う。

だが、ロゼリアには相手になってくれるようなアンジュもディーンも気心のしれた友人たちもいない。


「、、、アンジュさま?」


ロゼリアが自分を呼ばれているのに気がついたのは何回か呼ばれた後。

ジルコンの騎士のアヤがいた。

細い目に挑戦的な色をちらちらさせている。


彼女はロゼリアに対する反発心を隠さない。

ロゼリアは彼女が苦手だった。

ずばっとナイフのように切りつける遠慮のない物言いは、ディーンのものとはまた違う。

ディーンには裏がなく、厳しい物言いの中にも、ロゼリアには弟子に対する愛情のようなものがあった。

だが、彼女の場合は、ロゼリアを視線や言葉でざくりとえぐりたてるような気がする。

この数日の間には、直接に言わないまでも、わざと聞こえるようにロゼリアの悪口を言ったりもしている。

道を間違える、置いていかれる、など思い出しても赤面してしまう言われても当然のような、へまをしてきたわけではあるが。


だがアヤの物言いにはいわれのない敵意がある。

そのような敵意をロゼリアはこの人生の中で受けたことがない。

なぜにそのような敵意をぶつけられるのか、アヤの心はロゼリアには理解不能である。


アデールの国民の彼らの王子だからという、未熟な自分を温かにいつくしむ者たちの中で生きていたありがたさをはじめて実感する。

それも外にでなければ気が付かなかったことだった。

ロゼリアは思い返せばわがまま放題に生きてきたのだ。


外にでるというのはこの理解不能な敵意をどうするかの試練も含まれているのだ。

ロゼリアを守ってくれるものは自分以外にはないのだ。


「もう森を見てホームシックなのかしら?深窓の王子さまは繊細ね!」

嫌みが含まれる声の音程は不快気に上下する。

ロゼリアは不快な方向へ引きずられそうになるが、彼女の言動をことさら気にしないように意識する。

穏かに話をしていれば彼女の棘も丸くなるかもしれないと、淡い期待を抱くことにする。

アデールではロゼリア扮するアンジュ王子は、どちらかというと女性受けはいい方だったのだ。


「アデールの森とは全く違うよ。アデールの森に憩いの森の小道のようなものはなくて、あるのは獣道が大半だよ。この森は優しい。野生動物もそれなりには生息しているからかな、、、」

眼の端で梢を走るリスの姿。

ロゼリアの感傷にアヤは付き合うつもりはないようだった。


「ねえ、アンジュさま、少しわたしに付き合ってくれないかしら、、、?」


アヤは口元に笑みを浮かべロゼリアの袖をひいた。

瞬時に彼女がかたくらんでいるのかもしれないと思うが、ロゼリアはジルコンの待つ部屋に戻るよりはいいと思う。


アヤと話している間に、すっかりふわふわ浮ついた気持ちは収まってきている。足裏が踏む玉砂利の凹凸の感覚が戻ってくる。

だがそこで、ジルコンの穏かで優しい目を思いだすと、とたんにまた肉体の重さを忘れそうになる。


これは何とかしなければならなかった。

だからアヤに付き合うことにしたのだった。



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