第7話 ダイヤモンドの雨が降る島

 ふわっ。移動が完了すると同時に、リーヴとバルドルが目を開ける。


「うわぁ」

「ここは……」


 何もない場所に、三本の石柱だけが立っている。二人はその中央に居た。石柱はどれも同じくらいの太さで、高さは二人の背丈の倍ほどある。表面は滑らかで、全体に文字のような模様が刻まれている。


「どういう場所なんだ?」


 バルドルは左腕――ドラウプニルを見るが、どこにも引き付けられている様子がない。地面は何の変哲もない土のようだが、辺りに生えている草はまるで宝石のような光沢を持ち、常にぼんやりと光を放っている。近くにある岩の上には、木の根のようなものが落ちているが、近くに木が生えている様子はない。


「あっ、こっちは崖なんだ」


 リーヴが後ろを振り向くと、不自然に切り立った崖があった。


「この世界の端のようだな」


 バルドルが崖の下を覗いて言った。外の空間は深淵のように真っ暗で、果てが見えない。リーヴたちの知る夜のように、星のようなものが無数に輝いているが、太陽や月はどこにも見当たらない。そんな暗黒の海に、この光る島は浮かんでいる。


「きゃああ、動いた!」


 その時、リーヴが岩のほうを指さしながら悲鳴を上げる。見ると、岩の上に落ちていた木の根のようなものが立ち上がり、こちらに近づいてきた。それは数本の根をねじり合わせたような見た目をしていて、下が三本に分かれ、それぞれが足のように動くことで移動している。


「な、なんだ?」

「ギ、ギシ、ギ」


 バルドルがリーヴを守るように前へ出る。どのように発しているのかは分からないが、木の根のようなものは音を出した。


「これは何なの? 生き物、なのかな?」

「ギギ、シギ」

「音節がある……これは言語だ!」


 バルドルはその『木の根』の発する音を『声』であると判定した。幸いなことに、『木の根』から敵意は感じなかった。彼はしばらくその『声』を聴き、そして理解した。


「よし、大体分かったぞ。リーヴ、手のひらを出してくれ」

「うん」


 バルドルはリーヴの手のひらに人差し指で文字を書く。すると。


「わたくしの、言葉、分かった?」

「きゃああ、喋った!」

「彼らは『ドラシル』という種族だそうだ。ひとまず俺が理解した範囲でなら、会話が成立すると思うぞ」


 『木の根』――ドラシルの言葉が、人間の言葉のように聞こえる。バルドルが書いた、言語のルーンの力だ。


「ドラシル……」


 リーヴはその種族の名前を復唱する。木の根のような姿――そもそも、顔や口と思われる部位すら存在しないため、どのような原理であるのか想像もできないが、彼らは言語を持つ生命体だった。


「あなたたち、どこより来た? オジンと同じ場所?」

「ん? 今、オジンと言ったか?」


 バルドルが目を見開く。


「うん、言ってたね。オジンって何のこと?」

「ああ、オジンというのは父上、オーディンの昔の名だ」

「へえ! ということは、やっぱり居るんだ、オーディン!」


 その言葉に、リーヴも目を見開き、喜びをあらわにした。彼女はオーディンの存在は信じていたが、実際にドラシルの口からその名を聞き、確信を深めたようだ。


「……あ、そろそろ隠れて。ダイヤモンド、落ちてくる」


 ふいに、ドラシルはそう言ってどこかへ向かって走り出した。


「ダイヤモンド? って何の――痛っ」


 ドラシルの言葉の意味を理解する前に、リーヴの頭上に何かが落ちてきた。それはリーヴの額に軽い痛みを与え、地面に転がった。ダイヤモンドと呼ばれたそれは、雨のように次々と降り注ぎ、徐々に勢いを増してゆく。


「これがここの『雨』なのか? とにかく、隠れよう!」


 バルドルはリーヴの手を取り、ドラシルの後を追って走り出した。ドラシルが辿り着いたのは大きな岩陰だった。奥行きはないが、二人とドラシルが身を隠すのには十分な広さだった。


「これがダイヤモンドっていうの? 変わった石だね、こんなの見たことない」

「確かに見たことはないが……この石は俺を傷つけなかった」

「え、ということは」


 バルドルは頷いて、目の前で降り注いでいるダイヤモンドのひとつを取る。一見するとただの石のようだが、ところどころに角ばった透明の結晶が混ざっている。


「見たことがないだけで、きっと俺たちの世界にもあるものなんだろう」

「へえ、世界には不思議なものがいっぱいあるね」


 二人はしばらく、降り注ぐダイヤモンドを眺めていた。地面に落ちたダイヤモンドは、しばらくすると吸い込まれるように消えていった。


「そういえば、ドラシルには名前はあるの?」

「名前、とは?」

「名前という概念は知らないのか? 他のドラシルは居るんだろう?」

「他のドラシル、居るけど。動かない、喋らない」

「あ、そうなんだ……」


 二人はドラシルの言葉に少し戸惑いを覚えた。単純に、通常の植物のような個体も居るということだと解釈したが、あえてその『答え合わせ』はしなかった。


「ドラシル……あなたたちは、この島で何をしてるの?」


 リーヴが尋ねる。ドラシルは静かに答えた。


「ドラシルは、待っている。帰ること、待っている」


 ドラシルの言葉はどこか悲しげに響いた。彼らは故郷を失い、帰る時を待ち続けているようだった。


「ドラシル、君が帰るのを手伝いたい。オジンの居る場所は知っているか?」

「オジンは、木の神殿、居る。あそこ」


 ダイヤモンドは止んだ。ドラシルは胴体と思われる部分から伸びる、気根のようなものを動かして、ある方向を指した。


「俺の推測だが、ドラシルはユグドラシルの幼苗ようびょうなんだと思う。ラグナロクで燃え尽きてしまうことを知った父上が、帰ったら植え直すつもりで用意したんじゃないかな」


 世界を支える大樹、ユグドラシル。その根や枝葉は世界中に延び、あらゆる生命の活動を助けていた。それに応えるように、あらゆる生命がこの大樹を生かそうと尽力していた。だが、実のところ、ユグドラシルが存在しなくても世界は成り立つのだ。つまりこの大樹がなぜそこまで特別視されているのか、本当の答えは誰も知らない。


「そっか。じゃあ早くオーディンを見つけて、植え直してあげたいね」

「ああ、早速向かおう」


 二人はドラシルに別れを告げ、オーディンが居るという木の神殿を目指して出発した。

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