第8話 産み落とされる絶望と希望
「あっ、あの建物かな? 神殿というより、家みたいだけど……」
「まさしくそうだ。父上の神殿は、父上の『家』として建てられているからな」
木の神殿はすぐに見つかった。横に長い、木造の家のような建物。古びた木の香りと、苔の生え始めた壁が長い年月を感じさせる。二人は入口を見つけると、迷わずに扉を開き、中へ入った。
「オーディンは、居ない……?」
内部は簡素、というより、家具のようなものは一切存在せず、ここで生活をしているような様子ではなかった。しかしどういう原理か、内部は十分に明るい。奥には白い岩を四角く削って作ったような、虹色の光が溢れる祭壇があった。それは世界を繋ぐ虹の橋、ビフレストの残影か。
「これ、祭壇? だよね? ビフレストみたいな虹が出てるけど……」
「もしかして、どこかへ繋がっているのか?」
セイズの気配はないが、ゲートであるかもしれない。バルドルはそれを確かめようと、祭壇にそっと触れた。その時、祭壇の前に、何かが煙のように現れる。
「きゃっ」
「な、何が起きた?」
二人は慌てて、飛び退くように祭壇から離れた。
「う、うう……」
現れたのは、かろうじて人の形を保っている、異形のもの。泥とも肉とも見える、その『塊』がうめき声を漏らすと、周囲に黄金の光の粒子が溢れ、インクのように何かを描きだす。
「まずい――リーヴ、下がれ!」
一筋の光が、バルドルの肩を掠める。神なる槍――その出来損ないだ。とんっ。それはバルドルを傷つけ、床に刺さると、速やかに光の粒子に戻り、消えた。
「バルドル!」
「大丈夫だ、すぐに出よう!」
「どうしよう! 塞がれてるよ!」
見ると、扉は木の根のようなもので完全に塞がれ、壁と一体化していた。能力からして、この異形は間違いなくオーディンである。オーディンは正気を失い、自身の姿すら維持できなくなったのだ。
「うう、ううっ」
うめき声と共に、次々と槍が生み出される。出来損ないでも威力は十分。そしてなにより、これはバルドルを傷つけることができる。
「どうして! バルドルは傷つけられないはずなのに!」
「分からない……だが、神なる槍とは厳密には、父上か母上から生まれるものだけを言うんだ。今の父上は別人だから、この槍は『別の個体』なのかもしれない」
二人は柱の陰に隠れ、また、衣服を犠牲にして、なんとか攻撃を避け続けていた。が。
「きゃっ」
どん。リーヴが何かに足を取られたように転倒する。そしてそれを待っていたかのように放たれる、神なる槍。
「リーヴ! このっ!」
バルドルがリーヴの前に飛び出す。と同時に二人を包むように、虹色のベールが現れる。
「これって、神なる盾?」
「ああ。だが、母上と違って長くは出せない」
神なる盾は攻撃を防ぐと、直後に消えた。
「くそっ、うかつだった! 父上は仮にでも死んだんだ。別人のようになっていることくらいは想定すべきだった!」
「バルドル、また来る!」
とんっ。二人は互いを突き飛ばすようにして距離を取り、寸前で回避する。しかし、追い打ちをかけるように二本の槍が、それぞれに向かって飛んでくる。
「バルドル!」
「リーヴ! ぐっ……」
リーヴを襲った槍は、神なる盾によって防がれた。しかしその瞬間に無防備だったバルドルは、左腕を貫かれる。さらに追い打ちをかけるように、二本の槍が生まれる。
「危ない!」
「神なる盾よ、リーヴを守れ!」
今度はリーヴがバルドルを守るように飛び出した。バルドルはリーヴを覆う分だけ、神なる盾を出す。
「はあ、はあ……限界だ。神なる盾は、もう出せないっ」
「どうしよう、神なる槍なんて、防げないよ……」
「すまない、リーヴ――君を守れそうにない。一か八か、俺がおとりになる。俺が死んだ後、父上は満足して出口の封印を解くかもしれない。そうしたら君だけでも逃げるんだ」
バルドルはリーヴを自身の背後にやると、ゆっくりと数歩、前へ歩みだす。その足取りは、まるで生贄の儀式に向かうかのようであった。
「バルドル、そんなの駄目だよ!」
リーヴの声が悲痛な叫びとなって部屋中にこだまする。同時に、彼女は先日見た悪夢のことを思い出した。しかしそれを口にすることはできなかった。それを口にしてしまえば、この運命が決定されてしまうように感じたからだ。
「でも、誰かがやらなきゃいけないことだろ? 誰かがやらなきゃいけないことは、俺がやる。君の命のためならば、俺は喜んで茨の道を行こう。それが俺の愛だ。予言ではこの後、母上が現れるはず。だから、大丈夫だよ」
「嫌だよ! 死なないで!」
バルドルは微笑むと、覚悟を決めたような顔つきで、オーディンのほうに向き直る。彼の背中は、実際よりもずいぶんと大きく見えた。
《愛を》
「えっ?」
その時、どこからか声が聞こえる。
《首飾りに、愛を込めて、ください》
リーヴが目線を下にやると、フレイアの首飾り――ブリーシンガメンについている宝石が、仄かに光を帯びていた。彼女は声に従い、宝石を両手で包み込むようにして祈りを捧げる。
「お願い、死なないで! バルドル!」
「うっ、うう、う」
再び、オーディンのうめき声が響き渡り、黄金の光の粒子が奔流のように溢れ出す。それはまさしく、二人に対する死の宣告であった。
「愛って、まだよく分かんないけど……でも、私はバルドルに死んでほしくないよ。助けて、フレイア――」
まもなく『それ』は完成した。今度は数本程度ではない。視界を覆いつくすほど数多の、黄金に輝く槍が、雨のようにリーヴたちに降り注ぐ――
「こ、これは?」
バルドルの戸惑うような声に、リーヴは視線を上げる。虹色のベール――神なる盾が、この部屋を仕切るように大きく広がり、二人を完全に守っていた。ふと宝石に目をやると、渦のように見えていたあの揺らめきが、宝石から抜け出したかのように消え失せている。
「これは俺の力ではないぞ……」
「バルドル! う、上!」
「あ、あれは――」
リーヴが頭上の何かに気づいて叫ぶ。何者かがうつ伏せの状態で、虚空から現れている。手足は何かに掴まれているかのように伸ばされているが、苦痛は感じていなさそうだ。安らかな表情で眠っているそれは、紛れもなく――
「フレイア!」
「母上!」
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