第6話 どこでもない世界への扉
「えっ、そんなことまで分かるの?」
エーギルは一枚の石板を取り出す。
「俺の予言ではこうだ。まず、オーディンはラグナロクがきっかけで『どこでもない世界』へ行くらしい。それから――」
リーヴという女が生まれ、フレイアと出会う。フレイアは目的を達し、存在を失う。女は森を抜けた先でバルドルと出会い、共に姿を消した女神を探す。二人は世界の壁を超え、先に
「だが、その後のことは誰も知らない。おそらくそこから世界が『始まる』んだろう。セイズもルーンも、予言も通用しない、新しい世界がな」
「確かに、文脈から言って『女神』は母上、『男神』は父上のことに違いない」
バルドルの眼には確信が宿っていた。
「でも、どこでもない世界って、どこのこと?」
「それが問題だな。二人というのは俺とリーヴのことだろうが、世界の壁というのは……ゲートのことか?」
「ああ、それならもう見つけてあるぞ。どうせ案内させられると思ってな」
「へえ、あんたもたまには役に立つじゃないか。ほら、さっさと案内しな」
アルビダはエーギルの背中を軽く叩く。エーギルは気だるそうに肩をすくめると、船首に向かって歩き出した。
「こっちだ。そう遠くないぞ」
ばしゃっ。エーギルは海に飛び込むと、先ほどの大男の姿になって海面から出てきた。
「着いて来な」
エーギルが泳いでいく。アルビダはそれを追うように船を動かした。あれほど荒れ狂っていた海は、いつの間にか静かになっていた。
* * *
「よし、ここだ」
しばらくの後、エーギルが止まる。そこには崖が波で削られてできた洞窟――海蝕洞があった。
「向こうに天井が崩れている場所があるんだ。一度陸に上がるぞ」
エーギルに従って一同はボートに乗り込む。彼も人間の大きさに戻り、共に上陸する。
「うわぁ、結構険しい道だね……っと」
リーヴが足元を気にしながら言った。バルドルはリーヴが足を滑らせそうになるたび、反射的に手を差し出す。
「大丈夫か? この辺の岩は鋭いからな、転ばないように気を付けるんだぞ」
一同は険しい岩肌を踏みしめ、ゆっくりと崖の上へと向かう。エーギルとアルビダが前を、その後ろをリーヴとバルドルが並んで歩いている。
「エーギル、もっと楽な道はなかったのかい?」
「しょうがねえだろ、そもそも『道』なんてねえんだからよ。でも景色はいいだろ?」
エーギルはそう言って周囲を見渡した。彼の言う通り、この崖の突き刺すような岩肌や、そこに食らいつくようにぶつかる波のコントラストは、まるで絵画の構図のようだった。
「でも、本当にこの先に『世界の壁』なんてあるのかな? ゲートはもう消えちゃったはずだし……」
「きっと例外もあるさ。世界はひとつに繋がったが、そもそも『初めから繋がっていない世界』もあるかもしれないしな」
リーヴの不安を吹き飛ばすように、バルドルは明るく答えた。そうこうしているうちに、一同は崖の上に到着した。
「ここだ」
エーギルが、ある地点で立ち止まる。先ほど彼が言っていた海蝕洞の上、天井の崩れている場所だ。一同はその巨大な『天窓』から下を覗く。
「えっ?」
リーヴが困惑の声を上げる。そこには、何もなかったのだ。本来であれば海が見えるはずだが、見えるのは一同が両手を広げて輪になっても足りないほど巨大な穴だった。
「妙だろう? 下から行くとあそこは普通の海なんだが、ここから見ると、こうなるんだよ」
その穴は、まるで世界を飲み込むかのように口を開けていた。海水が滝のようにその穴に流れ落ちているが、それによって海が減っているわけではないようだ。
「ううん……確かに妙だが、微かにセイズの痕跡を感じる。これはゲートだろう」
バルドルは腕組みをしながら言った。
「え、ゲートってあの、虹色に光ってるやつじゃないの?」
「それは開いている状態のゲートだな。昔、父上がゲートを閉じるところを見たことがある。父上はゲートを、現実にある様々なものに擬態させて閉じるんだ」
きっと今回は慌ててゲートを閉じたために、ゲートの擬態が上手くいかなかったのだろう。と、バルドルは推測した。
「だが、問題は――」
「ゲートを開けるセイズが必要なんだろ? それなら俺ができるぞ。どうせ俺がやらされるんだろ? 知ってるよ」
「はいはい、分かってんなら黙ってやりな」
バルドルの抱えていた問題は即座に解決した。アルビダに小突かれ、エーギルは半ば諦めたような様子で続ける。
「俺たちのやり方だから、お前たちのやり方とは違うかもしれんが……これ、疲れるんだよな……」
エーギルは数回、遠くに響かせるように手を叩くと、地面を踏み鳴らすように踊り始めた。バルドルはそれを感心した様子で見る。
「おお、セイズにはこんな形式があったのか」
「俺は予言を通じてセイズを視たからな、視点が違うんだろう。セイズっていうのは、踊りから生まれるものもあれば、特定の言葉や、色や形から生まれるものもある――と、俺は解釈している」
エーギルは踊りながら、足の指で地面に何か図形を書いたり、空中に文字を書くように指先を動かしたりしている。ふわっ。空気の塊が落ちてきたかのような風が吹く。
「セイズとはあらゆるものから生まれる。言わば混沌と調和の合いの子、世界の一部であり、世界そのものなんだよ」
「なるほど……確かに、理屈は通っている。
どん。下から虹色の光が溢れる。先ほどまで底なしの穴のようだったものは、虹色の文字のようなものが無数に浮かぶ光の輪になっていた。見たものに危険な好奇心を抱かせる、あのゲートだ。
「ほら、開いたぞ。帰りは自分たちで何とかしてくれ」
「帰りは父上が開いてくれるから大丈夫だ。ありがとう」
「なんか、緊張するな……」
そう言って、いつになく不安そうな表情を浮かべるリーヴ。今までは特に心配なく飛び込んでいたゲートだが、それが急に恐ろしく感じるようになったのは、『失うもの』ができてしまったからだ。
「大丈夫さ。俺もついているし、向こうには父上も居る」
「リーヴ、あんた、夢を叶えたいんだろう? 叶えておいで」
アルビダが腰に手を当て、真っすぐにリーヴを見る。その眼差しに、リーヴは胸に何か暖かくなるものを感じた。
「アルビダ……うん、私、フレイアに会ってくる!」
「よし、行こう、リーヴ」
リーヴとバルドルは互いに見合って頷き、揃って『天窓』からゲートへ飛び降りた。ふわっ。二人の姿が消えた後、アルビダは呟くように口を開いた。
「エーギル。あんた、あの予言、最後の一行だけ隠してただろう」
「はっ、我が妻は何でもお見通しだね」
「何が書いてあったんだい?」
エーギルは、巨人族の言語で記された予言の石板を再び取り出す。
「二人は世界の壁を超え、先に男神を見つける。女神は後から現れる――そして、一人が死ぬ」
一瞬、空気が凍り付く。アルビダは表情を変えずに言った。
「……なぜ教えなかった?」
「俺たちが他人に予言を教えない理由は二つある。ひとつは、予言はあくまで予言だからだ」
予言の内容はあくまで『最も可能性の高い未来』であり、異なる未来になる可能性も十分にある。しかし、予言の内容を伝え、皆が信じてしまうことで、その可能性が失われてしまう。予言の力を持つ者は皆それを嫌がり、予言の力があることすら誰にも言わない者も居る。と、エーギルは説明した。
「そうかい。それで、もうひとつは?」
「それは予言の力を持つ者が、一番初めに知る未来……誰もが信じたくなくて、目を背けていることだ。本当は口にしたくないが――」
エーギルは少しだけ言葉を詰まらせた後、覚悟を決めたように、静かに言った。
「生き残った神族と巨人族は、一人の神が死んだ後、全て死ぬ」
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