第三十四夜 鉄壁を破れ

「へっ、ノイアーね」

 柊は短く呟いて守備に戻った。


 ドイツ代表の不動の正ゴールキーパーになぞらえるほどの実力とは思えないが、ジュニアユース世代としてはかなりの長身である金髪をなびかせたドイツ人ゴールキーパーにはかなりのパフォーマンスがあるのには間違いない。


 ドイツはゴールキーパーの育成に明確なメソッドを持っている。いかに失点を防ぐか。いかに攻撃の始点として適切な判断と正確な配球ができるか。乱暴に言えばそれがすべてで、ポジショニング、キャッチング、フィード。すべて動作はこのメソッドに沿った理に適ったものだ。


 「哲史、お前に絶対決めさせるからね」


 哲史は柊にそう言われてきょとんとしたが、すぐに笑って、


「ああ、いいラストパスくれよ」

 と言った。


 リトル・ノイアー、本名をセバスティアンというらしい。カザン甲州のコーチが叫んでいたから分かった。


 セヴァスティアンはロングフィードを蹴らず、右のサイドバックがセンターライン付近まで上がっているのを見て速いグランダーのパスを出した。

 

 考えもせずただロングフィードを蹴るゴールキーパーとの違いはこういう所に出る。効率的に点を取る。ゴールキーパーも十一人目のフィールド。


 それがドイツ式か。


 カザンの右サイドバックは脚が滅法速い。富士坂ウチトップ下の二人柊と双葉は距離があって追うことすらできなかった。俺の出番だ。


「双葉! カバー頼む!」

 オレは相手の右サイドバックを捕まえるために左サイドに流れるから、双葉に下がるように指示を出した。双葉は言われなくても、という顔をしている。


 ウチの左サイドバックが正面に、俺が横からチェックを入れに行ったのでやっと止まった。


 いったん相手のボランチに預け、ボランチが今度は双葉がカバーに入っていなくなったスペースをついてドリブルを始める。そして相手トップ下の琉玖ルーク―― こいつも天才の類だ―― にすぐにパスを供給した。


「晴矢!」

 山田さんの叫び声が聞こえる。


 瞬時に俺は反応して中央に戻り、チェックしに行った。


 琉玖は速いフェイントを入れてオレを躱そうとしたが、俺はお前よりドリブルの速くて巧い奴といつも練習しているんだぜ?


 俺は必死に脚を伸ばして琉玖からボールを刈り取った。


 俺は瞬時に柊を探した。目が合った。


 「行けーっ! 柊!」

 山田さんは俺からパスを受けた柊に叫んだ。


 柊は、また上境戦の時と同じように、脚にボールがくっついているかのような滑らかなドリブルをして、鮮やかに相手ディフェンダーを破った。


 セバスティアンが飛び出してくる。


 柊もこの距離で? という顔をして面食らっている間にドリブルが長くなったところをスイープされた。


「おいおい、楽しませてくれるじゃん。セバスティアン君」

 セバスティアンは日本語をあまり話さないようだが、名前を呼ばれたし、柊が何を言ったのかは分かったようだ。親指を立てて柊に向かって笑った。セバスティアンも柊にはきっと一目置いたのだろう。


 その後、両チームとも一進一退で得点は無し。


 俺はひたすら琉玖を抑えてボールを奪い、柊にボールを供給し続けた。


 さすがに琉玖も四回目に俺からボールを奪われた時には聞こえるように舌打ちをした。


「イライラさせておけ。イライラした琉玖なんて怖くねえよ」

 双葉が俺に声をかけてきた。


 前半三十分間が終わった。


「前半お疲れ。晴矢、ワンボランチなかなか良かったぞ。後半も行けるか?」


「うす」


「よし、後半の入りも同じメンバーで行くぞ。但しシステムは少しいじるぞ。」

 山田さんは俺たちにシステムの変更と基本的な連動の説明とその狙いを話した。


「こりゃ、琉玖怒るね」

 柊が双葉に話している。


 相手ボールで後半開始の笛が鳴った。前半とは打って変わってカザンはボールを回して様子を窺っている。哲史が前からチェックしに行くと、たちまちボールはディフェンダーまで戻される。これを何回か繰り返しているうちにセバスティアンと最終ラインの間にぽっかりと広大なスペースができた。


「合図はオレが分かりやすく出してやる」

 山田さんはハーフタイムの最後、そう言って俺たちを送り出した。


 山田さんの右腕が天に指差している。


―― 合図だ ――


 哲史やほかのフォワード二人もチェックをしなくなった。


 カザンのミッドフィルダーは全員上がり始めた。もちろん琉玖もだ。


 わざと守備をルーズにして、相手をおびき寄せ全体的なラインを押し上げさせたのだ。


「晴矢!」

 また自分の飼い犬を呼ぶがの如く山田さんが叫ぶ。


 俺は琉玖からまたボールを刈り取った。すぐに柊にマークがつく。


 しかし俺は今度はドリブルを始めた。完全に裏をかかれたカザンはパニックになった。


 手薄な中盤、最終ラインとの距離はあまりなく、そしてその裏には広大なスペース。


 相手ボランチは柊のマークを外して俺をチェックしに来た。琉玖が叫ぶ。


「バカ! そっちじゃねえ!」

 セバスティアンも何やらドイツ語ではなく英語で怒鳴っている。


 俺は完全にフリーになった双葉に横パス。双葉はマークを外した柊がスペースに走り込むタイミングを見計らってふわりとした浮き球のパスを送った。


 セバスティアンが再び猛然と突っ込んできた。


 しかし、双葉の送った浮き球はしっかりとした逆スピンがかかっていて、バウンドしたボールの勢いは完全に死んでいた。セバスティアンの表情が歪む。


 柊は、浮き球をコントロールし、ダイアゴナルラン(※斜めに走ること)右サイドから詰めていた哲史にラストパスをカーブを掛けて送った。


 あっけなく哲史は右足でボールを蹴り、ゴールネットを揺らしたのだった。


 ペナルティエリアから出そうな勢いで突っ込んできたセバスティアンは悔しそうに後ろを振り返っている。琉玖は手を叩いて、


「ほらほら、まだ時間はあるぞ!」

 と、仲間を鼓舞している。


 試合は再開されたが、このあたりから雪がかなり強くなってきた。


 視界が明らか悪くなり、あっという間にピッチは白いもので完全に覆われてしまった。


 カザンはその後も悪い視界とスリッピーなピッチに攻め手を欠き無得点で俺たちに敗れた。


 センターラインでお互いに握手をした別れ際、柊が琉玖に話しかけている。


「雪が強くならなかったらどうなってたかな」


「へっ、お前たちはちゃんと強かったよ」

 琉玖はさっぱりしたいい奴だ。 


「うちのボランチ、結構やるでしょ?」


「あ? ああ。球際強いな」

 オレの事か。


 今日は芳原と琉玖の二人の天才に覚えてもらったようだ。ドキドキの先発だったがいまは自分が誇らしく思える。


 それよりも、オレが嬉しかったのは、その二人が認めた「磯辺 柊」という天才から「結構やるでしょ」と言ってもらえたことだった。


 リーグ戦はまだ続くが、今日はこの二試合で終わりだ。


 試合の後も雪は降り続いている。


 いろいろなものを隠しながら。


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