第43話
ようやく冷静さを取り戻し始めて、俺は肩で息をしていることに気づいた。
全部終わった。アルは死んだ。俺が殺したんだ。
そう意識した途端、身体から力が抜けた。
虚ろな瞳が不気味に月の光を反射している。微動だにしない。
冷ややかな風が暗澹たる雲行きを助長してくる気がした。
「……殺した…………か」
空を見上げて呟いた。
今や雲がまばらにしかない空には無数の小さな光が飾られていてきらびやかだった。都会では、いや、温暖化の進んだ元の世界ではこれほどの光景は滅多にお目にかかれないものだろう。
そして、ひときわ大きな星がまばゆく煌めいていた。
そうか、この世界にも月があるのか。
「凄い空だな……綺麗だ」
綺麗と自分で言って、改めて今の状況が悦に入ったものだと自覚した。
己の黒い感情、激情に身を任せた結果だ。
リミットレス・ウルフがユミをバラバラに食いちぎっていく様、漂ってくる血生臭さには恐怖を遥かに上回る怒りを覚えた。
アルがユミを殺したようだが、その上死者をなぶり冒涜して嗤うさまを見せつけられて、到底冷静ではいられなかった。
人の尊厳を何とも思わないアルに俺の全力の殺意をぶつけた。そして気づいた。
こちらに来て何度もよぎったその衝動。
メアの首を絞めたとしたら――
ヒデヲが絶望したとしたら――
その命の際を仮定し、だがしかし理性がその先を阻んでいた。
だが、ついぞ先刻アルの首を絞め命を絶つ寸前で、思い出して納得した。
あの時と同じで美しいと恍惚して…………。
「終わりがあるからこそ美しいなんて。ははは、あははははははははっ」
俺の静かな歓喜の笑いが漏れる。
興奮しているが、つとめて頭は冷静に。
「……さて、これからどうしよう?」
そう、終わった事を考え続けていてもしょうがない。空を見上げていればアルやユミが蘇るわけでもあるまいし。
それともそういった術もあるのだろうか?
……いや、無いか。
村の皆がトモキの心配をしていたのだ。
輪廻転生だろうが生命活動からの脱却が可能なようならばもっと悠長になると思う。もしくはあったところで容易ではないとか、死後まだ魂が残っているうちに~とかって時間制や精神論が絡んでくるならお手上げだろう。
とりあえず、このアルの死体をどうすればいいのだろうか?
ヒデヲの住む家で匿うのも限度があるだろうし、地面に埋めるなり川に沈めるべきだろうか。
だがローン村にアルの死体がある限り、見つかる危険性はあると踏んでいる。
魔法とかで探知出来るかもしれないからな。
「と、なると……」
俺は死体遺棄の方針を定めてゆっくり立ち上がり、アルの死体を担ぎ上げて夜闇の中を歩き出した。
到着した関所の掘っ立て小屋を慎重に覗くが、灯りがともってはいるもののそこには誰もいなかった。
大門横の勝手口となっている扉を開けて村の外に出る。
戻って来るために扉は開けっ放しにした。
周辺への警戒心も薄いから大丈夫だろうと踏んでいるのだが、もし誰かが閉めてしまったとしたら潔く放浪者になるしかない。
並大抵のモンスターなら迎撃できる自信がある。
素手でもリミットレス・ウルフをのすことが出来たんだからな。
次の村だか町だかまでは生き延びれるだろう。
……つか、俺、実はかなり強いんじゃね?
脳筋パラメーターで残念なところではあるが。
門や柵を挟んだ村の外も、雰囲気は村と変わりない。だだっ広い草原だ。
俺は、そのうちの一角にある闇がより濃い場所を目指して進んだ。
木々が沢山生い茂っている。深い森だ。
ヒデヲやアルが、森には近づかない方がいいとトモキの受け売りを言っていた。
皆がこの森を警戒していることは明白だ。
――とは言え、村に近いと誰かが気づくかもしれないから、更に進むしかない。
ここにもリミットレス・ウルフはいるのかもしれないし、何が起きるか分からない。でも危険は承知の上で、ある程度奥へは進むしかない。
俺は方角を見失わないように意識を集中させて唾を呑み、草木を分けて踏み込む。
森の中は木々の隙間から覗くわずかな光でしか視界を確保できず、人の手つかずの大自然のため非常に歩きづらい。
様々な草木が生い茂り、ツタが絡みあっていたり、木が倒れていたりしている。
それらを歩幅を小さく手探りで避けてゆっくり進んでいく。俺が周囲を探り足を運ぶ音以外には何も聞こえない。
何か生物に遭遇してはいないが、所々に獣道のような跡が窺えた。
小さな虫とかはいるのかもしれないが暗すぎて良く分からない。
……てか、ヒルとか毒虫みたいなのがいたとしてもどうしようも無いじゃん。うへぇ気持ち悪い。都会っ子には地獄の環境だぞここ!
そんな事を考えながらある程度進んだところで、唐突に風が吹いて辺りの草木がざわついた。
タチサレ………………タチサレ。
最初は空耳かと思ったが、緩やかに流れる風が止んで静寂が戻ってきたところで、その声は再び聞こえた。
タチサレ。ニンゲンヨ、クモツヲオイテ、タチサレ。
ワガマナコノアルウチニ、カッテハユルサン。
ニンゲンヨ、クモツヲオイテ、タチサレ。
どこから聞こえてくるのかも判別できないその戒め。
俺の意識は強烈に警笛を鳴らした。
これ以上は進んではいけない。直感がそう全力で訴えかけていた。
心臓がこれまで以上に異様に早鐘を打つ。
スグ、タチサレ。
俺はその場にアルの死体を置き去りにし、道なき道を辿って振り返ることなく引き返した。
来た時以上に神経を研ぎ澄ませ、早足で。
その後は謎の声が聞こえることは無く、森を無事に抜けた俺は草原を足早に駆け村に入って急いで扉を閉めた。
「終わったあぁぁぁ」
緊張の糸が切れてへたりこむと同時に全身に脱力感が込み上げた。
マジ、何だったんだよ、あの声。
この一日でくぐった修羅場の中でも、あれは別格のような恐怖があった。
きっと、対面したら、本当に死ぬんじゃないか……?
自身の荒い息だけが聞こえてくることに安堵した。
とにかく、死体は隠ぺいして、命拾いした。
もう思考も巡らない。とりあえずよく頑張ったんじゃないか。うむ、よくやった俺。
「……戻って寝よう」
疲労した身体を引きずるようにして、俺はようやくヒデヲの家への帰路に就いた。
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