第6話:黄昏のマーケット・バトル


 日曜日の午後七時。激安スーパー『マツバヤ』の惣菜コーナーは、一日のうちで最も殺伐とした時間を迎えていた。剥き出しの蛍光灯が、戦士たちの顔を青白く照らし出す。

 悠人は、いつもの「神月悠人」を完全に封印していた。

 深く被った黒いキャップ。口元を覆う白いマスク。膝の生地が白く薄くなったスウェットに、首にはゴワゴワの黄色いタオルを巻いている。その姿は、どこにでもいる「日雇いバイトに疲れ果てた青年」そのものだ。

(──よし、あと五分でタイムセールだ。……西園寺麗華から大金をむしり取るための活動資金、ここで一円でも浮かせてやる……!)

 悠人は、値引きシールを待つ群衆の中に、見覚えのある「三つ編み」の後ろ姿を見つけた。

(……あ。思い出した。今日の午前中、国道沿いの現場で必死に段ボールを運んでいた、あの効率の悪そうな三つ編み女か。なんだ、やっぱりこんな安スーパーの半額品に群がるような、ド庶民だったんだな)

 一方、麗華もまた、伊達メガネの奥からキャップの男を忌々しげに観察していた。

(……あら。あの不潔なスウェットの男……間違いないわ。さっきの現場で、ぼんやり棒を振っていたあのキャップ男ね。あんな単調な仕事で満足しているから、この時間に値引きシールを追いかけるような生活になるのよ。私のような『強者』が、社会の厳しさを教えてあげなくては!)

 二人の脳内では、相手を「昼間に見かけた、自分と同じ底辺を這う貧乏人」として即座にリンクさせた。そこに、学園で化かし合っている宿敵の影など一分たりとも存在しない。

 そして──。

 ペタッ。最後の一パックとなった『牛すじコロッケ』に、待望の「半額シール」が貼られた。

 二人の手が、獲物を狙う猛禽のごとく同時に放たれる。

 ガシッ! と、パックの端を両側から掴み取った。

「……おい。これ、俺が先にロックオンしてたんだ。離せよ、三つ編み。昼間のノロマな動きとは大違いだな」

「……何言ってるのよ。私の指の方が、コンマ一秒早くプラスチックに触れたわ。昼間に棒を振るしか脳がなかったキャップ男の分際で、この私に指図しないでちょうだい」

 火花を散らす視線。結局、二人のあまりに殺気立ったオーラを見かねた店員が、「……あ、もう一つ在庫出しますから」と裏からパックを持ってきたことで、この泥臭い戦いは幕を閉じた。

 悠人は戦利品のパックを抱え、安物のデジタル時計に目を落とした。

(……いけね。もうこんな時間か。アパートに帰る前に、病院の面会時間に間に合わせないと。……このコロッケ、母さんに半分持っていってやるか。……明日、学校であの女のすました面でも拝んで、また一稼ぎするための英気を養うとしよう)

 悠人は重いエコバッグを担ぎ直し、アパートとは逆の方向にあるバス停へと足を向けた。

 一方、麗華も反対側の歩道を、獲物を守るように歩き出す。

(……早く帰って夕食にしましょう。……ああ、本当に不愉快な男だったわ。明日、学園であの男の余裕たっぷりな顔でも見て、西園寺再興への志を高く保たなくては……)

 悠人が病院のベッドサイドで母親の細い手を握り、束の間の「ただの息子」に戻っている頃。

 麗華は誰もいない二〇二号室で、冷めたコロッケを一口ずつ、大切に噛みしめていた。

 お互いに、自分たちが同じボロアパートの壁一枚を隔てて住んでいるなどとは、夢にも思わずに。

 そして、自分たちの「心の拠り所」が、実はお互いの存在(を騙して利用すること)になりつつあることにも気づかないまま。

 偽りの自分を演じ続けるための、孤独な夜が更けていく。



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