第5話:偽飾のランチタイム
数日後。悠人は再び、麗華によって生徒会室へと呼び出されていた。
一年生にして生徒会会計の座に就く麗華は、今日も完璧に整えられた漆黒のロングヘアーをなびかせ、マホガニーの執務机に優雅に腰掛けている。
「待っていたわ、神月くん。今日は少し、あなたと『深い話』がしたかったのよ」
麗華は冷徹な微笑を浮かべ、テーブルに三段重ねの豪奢な漆塗りの重箱を置いた。
「学園の食堂は騒がしいでしょう? 私が自ら腕を振るった『伝統的な魚介の照り焼き』を用意したわ。これでも食べながら、今後の学園運営について意見を聞かせなさい」
(── よし、見た目は完璧。昨日の特売で一袋三十円だった『ちくわ』も、縦に裂いて内側に細かく隠し包丁を入れ、特製ソースで照り焼きにすれば……見た目だけは『最高級アナゴの蒲焼』にしか見えないはず……!)
対する悠人も、負けじと持参したスタイリッシュな銀の弁当箱を開く。
「奇遇だね、西園寺さん。僕の方も、家のシェフに無理を言って『現代的な解釈を加えたベジタブル・テリーヌ』を用意させたんだ。君の口に合えばいいんだけど」
(── ふん。正体は一丁二十円の『厚揚げ』を極限まで薄くスライスし、コンソメで煮込んだだけの代物だ。だが、このパセリを散らした盛り付けなら、お前みたいな世間知らずの令嬢には『フォアグラのテリーヌ』にしか見えないはずだぜ!)
二人は、互いの「虚飾の結晶」を交換し、一口運ぶ。悠人は、麗華の「ちくわアナゴ」を慎重に咀嚼した。
(──……!? なんだ、この暴力的なまでの弾力は。噛んでも噛んでも、強靭な筋肉が牙を跳ね返してくる。……いや、待て。本物の最高級アナゴというのは、これほどまでにアスリートのような肉質なのか? 普段、駅前の半額弁当で食っているクタクタの魚の死骸とは、存在の格が違うっていうのか……!?)
悠人は、ちくわ特有の「ぷりぷり感」を、必死に高級な語彙へと脳内で変換した。
「……驚いたな。これほど力強い食感のアナゴは初めてだ。野性的でありながら、気品を感じる。流石は西園寺さん、素材選びからして妥協がないね」
「ふふ、当然だわ。その個体は特に『活きの良いもの』を厳選させたから。……さあ、私もあなたのテリーヌを頂くわね」
麗華もまた、厚揚げの皮の食感に戸惑いながらも、女王の微笑を絶やさない。
(──!? 何これ、外側の皮が妙に香ばしくて……中は驚くほど淡白ね。正直に言えば、昔食べた『豆腐の揚げ物』に似ている気がするけれど……)
麗華は翡翠色の瞳を微かに見開いた。かつての西園寺家では、一食数十万円の懐石料理も珍しくなかった。その英才教育の記憶が、目の前の「厚揚げ」と激しく衝突する。
(──いいえ、騙されないわ。神月くんのような『本物』が、ただの豆腐料理なんて出すはずがないもの。そうか、これが噂に聞く『究極の引き算』。素材の雑味を極限まで削ぎ落とし、大豆の魂だけを凝縮させた……選ばれし者しか理解できない、高貴なミニマリズムの味なのね!)
空腹で研ぎ澄まされた彼女の脳は、厚揚げの油の旨味を「未知の高級不飽和脂肪酸」だと勝手に定義し、自分の過去の経験さえも都合よく上書きしてしまった。
「ええ、神月くん。あなたのテリーヌも、大地の滋養が凝縮されているわ。……まるで、庶民的な豆腐のような親しみやすさを装いながら、その奥に圧倒的な気高さを隠しているわ。実に私好みの味よ」
(──ふふ、神月悠人。所詮は御曹司といえど、この程度の味しか知らないのね。私の『ちくわ』を絶賛するなんて。この男の審美眼なんてその程度。容易く手玉に取れるわ!)
(──いいぜ、西園寺麗華。お前が俺の『厚揚げ』を絶賛すればするほど、お前は俺の術中にハマっていくんだ。せいぜい、その高貴な舌で俺の策略を味わってろ)
その時、廊下から騒がしい足音が近づいてくる。
「麗華様! 今年度の予算案の件で、副会長様がお呼びです!」
生徒会室のドアが開き、取り巻きの一人が顔を出した。麗華は一瞬で「氷の令嬢」の顔に戻り、鋭い視線でそれを遮る。
「……取り込み中よ。下がってなさい。彼との『実態調査(ランチ)』はまだ終わっていないわ」
ドアが閉まる。麗華は、そっと胸を撫で下ろした。もし今の瞬間に、重箱の隅に隠していた「ちくわ特有の穴」を、貧乏に詳しい誰かに見られていたら、全てが終わっていた。
「……失礼。雑音が入りやすくて困るわね、神月くん」
「いいよ。それだけ君が、この学園にとって重要な存在だという証拠だろう?」
悠人は余裕の笑みを作りながら、内心では昨夜自分のボロアパートのポストに叩き込まれていた、赤い封筒の「電気代の最終通告状」のことを思い出していた。
一ミリも噛み合わない二人の「利害」が、偽りの高級食材を媒介にして、さらに深く、泥沼のように結びついていく。
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